李方子は朝鮮王朝最後の王妃の馴れ初めと子供暗殺の波乱の半生とは

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日本の皇族から韓国李王朝最後の皇太子に
嫁いだ女性として知られる李方子妃。

日韓の暗雲たちこめる激動の歴史の中で行われた
政略結婚といわれましたが、彼女の献身的な姿は
心を打ち日韓の架橋のような存在として記憶されています。

日韓両国の間に立ち結婚し、子供が暗殺されるという
悲劇に遭いながらも気丈に運命に立ち向かった李方子様
の生き方が注目されています。

李方子様は朝鮮王朝最後の王妃、結婚の馴れ初めや
子供暗殺の波乱の半生についてお伝えします。

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李方子プロフィール

李方子(りまさこ、イ・パンジャ、りほうし)
続柄:梨本宮守正王第一王女子
称号:王妃
生年月日:1901年11月4日
出生地:渋谷町
没年月日:1989年4月30日(87歳・韓国ソウル)
配偶者:李垠(李王朝第26代高宗皇帝の王子)
子女:李晋、李玖
身位:女王→李王妃女王→身位喪失

李方子は朝鮮王朝最後の王妃までの馴れ初め

李方子様は18歳で日本の皇族から朝鮮王朝最後の末裔
李王朝に嫁いだ女性として知られています。

夫であり李王朝最後の王である李垠(イ・ウン)との
馴れ初めは、おだやかなものでは決してありませんでした。

皇族梨本宮家の長女として生まれ、昭和天皇の有力な
お妃候補であった彼女は侍医から不妊症と診断され
その道を下ろされたといいます。

時は日韓併合の日本統治時代の真っ只中です。

日韓融和と銘打って実は李王朝を断絶させようと
たくらむ軍閥により、李垠のもとに方子様は
嫁がせられた政略結婚といわれました。

1916年15歳の方子様は手元にあった新聞に自分と
李垠の写真が並んだ婚約記事を発見し大変ショックを
受けましたが、正式に父親から婚約の話を聞き覚悟を
決めたそうです。

一方日露戦争後、10歳で日本留学し、日本の教育を受けた
李垠も日本の軍人の道を歩みますが、いわゆる人質の
身であるがゆえにあまり感情を表に出さず、複雑な
環境にありました。

また当時彼の父、朝鮮王朝代26代王、高宗皇帝の
急死に日本人による毒殺説があがります。

方子様は朝鮮人の王妃となることへの罪悪感にも
さいなまれたようです。

夫婦ともに当初は互いの国の政治に利用された悲劇の
結婚となりましたが若くして結婚を知らされた彼女は
打ちひしがれながらも運命を受け入れます。

ぴったりと髪を真ん中分けした朝鮮式髪型にし夫に
尽くすことを決意し、日韓の懸け橋として自身の身を
投じる覚悟を新たにしていきました。

李方子の子供晋暗殺の背景

婚姻前に不妊症と診断された方子様ですが、結婚後
見事にその診断が誤りだった事を証明します。

婚姻から僅か数カ月の1921年李方子様の長男晋(チン)が誕生。

その喜びもつかの間、生後間もない晋が死を迎える
という悲劇が訪れます。

親子3人で晋誕生の翌年1922年1歳の晋を連れて
日本統治下にある朝鮮への里帰りをします。

1922年4月東京を出発した時、長男の晋はまだ
8か月の赤ちゃんでした。

幼い子供を連れていくのは病気も心配で気が
進まない2人でしたが、韓国側の要望や祖国で
朝鮮風の結婚式があるということでやむなく
参加します。

当然李王朝の儀式などに参加した2人でしたが
日本への帰国の日が近づいたお別れ晩餐会直後
息子の呼吸が急に荒くなり嘔吐し、なかなか回復
しなかったといいます。

医師によると急性消化不良でしたが同年5月11日
2人の長男、晋は亡くなってしまいました。

この突然の晋の死因については、あまりに急変して
の死亡だった事から日韓両国側の毒殺が疑われる事と
なります。

李王朝に日本人の血が混じることへの反対からとも
または李太王を毒殺されたと考えた朝鮮側による報復
から毒殺されたともいわれています。

また日本軍側の毒殺説もあったと考えられていますが
確かな真相は闇のようです。

李方子様は長男晋の亡骸にただ泣き、棺に自身の編んだ
毛糸の衣類やおもちゃなどを納め葬儀を行い夫婦そろって
傷心のまま帰国します。

夫李垠は悲しみから逃れるように、軍人としての訓練に
没入し方子様を励まし続け、2人はけなげに立ち直って
いくのでした。

また、その後2度の流産を経て1931年、晋誕生の10年後
に大望の次男玖も誕生しています。

心優しい方子様は、息子死亡の悲劇を運命と捉えて
日本帰国後は、当時日本に留学していた夫李垠の
末っ子の妹李徳恵でした。

彼女が初めて日本に来た時から方子様は慣れない
日本での生活を義理の妹である彼女を甲斐甲斐しく
世話をしたと言います。

自分も運命に翻弄され、初めての我が子を乳飲み子
でありながら不審死となっても方子様は義理の妹
徳恵を思いやり世話をしたそうです。

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李方子の終戦後の韓国帰還まで

1945年終戦を迎え日本が敗戦したことで、夫婦2人は
王族の立場をはく奪されることになり、一般の在日
朝鮮人という立場に陥落します。

生まれつきの王族だった彼らはお金の使い方も知らず
電車に乗ることもないなど生活力ゼロの状態でした。

軍人恩給もなかったため困窮し李王邸
(現在の赤坂プリンスホテル旧館)まで手放しました。

李垠は祖国に帰国を打診しますが、国民感情と当時の
初代大統領、李承晩が妨害。

朝鮮王朝の末裔である李垠の帰国を
恐れてなかなか帰国を許してくれません。

その後1961年韓国で軍事クーデターが発生し、朴正煕
政権が発足し一気に流れが変わります。

時の権力者朴正煕が2人に韓国籍に戻る事を認めます。

韓国政府が李垠らのために生活費などを保障することを
決めますが、李垠は脳血栓で倒れており意識も
混濁状態だったといいます。

1963年11月22日、李垠66歳、方子62歳にして、やっと
2人は日本政府のチャーター機で帰国することになり、
これまでの悲劇と不運からの脱出となったのでした。

夫李垠は在日生活56年、既にベッドに横たわったままで
はっきりと意識できない状態でしたが、方子様は彼に
やさしく話しかけながら帰国の途につきました。

李方子の最後

ソウルでの暮らしは夫の介護を献身的に行い
暮らしていた方子様ですが、夫婦の金婚式を
済ませた3日後の1970年5月李垠が静かに息を
引き取ります。

ただ方子様はその後も夫の故郷である韓国に
定住し夫の遺志により福祉活動に取り組みました。

その活動は素晴らしく1967年に障害を持つ子供の
ための施設、1972年には精神薄弱児教育機関
「慈恵」学校を設立します。

1989年4月30日、87歳で李方子様は永眠しますが
夫に最後まで連れ添いその祖国にとどまり、不幸な
人々のために尽くしました。

半日渦巻く韓国で日本の皇室出身でありながら
「韓国障害児の母」と、国民に、うたわれたその
人生に韓国でも優しいまなざしが向けられています。

李王家に嫁ぎ日韓の溝の、はざまにあり身動き
ならない哀れな人生を送った彼女でしたが、どこまでも
温かい志を持った人であったことが今も伝わっています。

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李方子は韓国と日本の架け橋に

李方子様は自身の祖国について生前こう話しています。

「二つあります。一つは生まれ育った国(日本)、そしてもう一つは骨を埋める国(韓国)です。」

と語っています。

李方子様にとって日韓二つの国とも祖国であり、
そのどちらも自身の大きなルーツであるという
ことを伝えています。

韓国で夫の看病をしながら、知的障害児や肢体
不自由児などのために尽くし施設や教育機関を
設立します。

夫の死後も韓国で活動し、寄付を募るため100回
以上も日韓を往復したり、李王朝の宮廷衣装ショーを
世界中で開催するなどし資金を集めて障害児教育に
貢献し支援を惜しみませんでした。

結婚当初は日本人であるがゆえに彼女に対し
批判的な声もあったようですが、弱い立場の
人々へのまなざしを忘れず、1981年には韓国政府から
「牡丹勲章」が授与。

彼女の葬儀も異例の「準国葬」の尊い扱いとなり1キロにも
及ぶ葬列ができたといいます。

後年、韓国の尊敬される女性のベスト5にも常に
名を連ねるなどし、方子様は韓国のオモニ(母)
として愛される人となります。

両国を行き来し、自身の身の不幸に負けず、ただ
人間として与え続ける愛に全てを捧げた素晴らしい
女性であったといえるでしょう。


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おわりに

ラストクイーンとして日韓の架け橋となった李方子は、最後の皇帝である夫や韓国での障害児事業に全てを注ぎ、悲劇の結婚から長く時代に翻弄されてきたにもかかわらず2つの国に貢献した女性として語り継がれています。
政略結婚とされながらも夫や子供への愛情を忘れず、戦後不幸な人達への国境を越えた活動に尽くし人々の心に灯をともした彼女の姿は美しく、 また本来の日本人の姿として尊重されなければならないといえるでしょう。

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