朝鮮王朝最後の王27代純宗は知的障害!最後の子孫李垠との関係とは

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500年以上続いた朝鮮王朝最後の王といわれる
第27代皇帝純宗。

日本政府によって即位させられ、日韓併合に
よって李氏王朝は幕を下ろすことになりました。

傀儡皇帝として名にもできないまま王朝の
歴史を終えてしまった純宗ですが、彼の
知的障害やその子孫が注目されています。

朝鮮王朝最後の王27代純宗の知的障害の噂や、
最後の子孫が彼の異母弟の李垠となった訳、
最後の妃となった日本人女性についてお伝えします。

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目次

朝鮮王朝最後の王27代純宗プロフィール

純宗(李朝朝鮮27代国王・第2代大韓帝国皇帝)
姓・諱:李坧(イ・チョク)
生年月日:1874年3月25日
没年月日:1926年4月25日
出生地:韓国ソウル(昌徳宮)
父:高宗
王朝:李朝
在位期間:1907年7月20日~1910年8月29日

朝鮮王朝最後の王の成り立ち

純宗(スンジョン)は、26代王だった高宗(コジョン)
の長男で、日本の植民地化の邪魔となり強制的に
退位させられた高宗の譲位を受けて、朝鮮第27代王
大韓帝国第2代皇帝として即位しました。

とはいえ、その在位期間は日本の侵略を受け続け
ついには主権を喪失し、朝鮮王朝の幕を閉じることに
なり傀儡皇帝としての地位につくことになります。

純宗即位直後、日本は国政全般に対して日本人
統監が干渉できるようにし、政府の要職に日本人を
就任させました。

さらに財政難を理由に大韓帝国軍を解散させ、
司法権をも奪い1910年日韓併合条約で大韓帝国を
滅亡させ、その後純宗は、52歳で生涯を閉じます。

27代純宗は知的障害者だった

純宗については、知的障害の可能性があったと
噂されており、王族一家と交流のあった英国人
イザベラ・バードも彼に謁見した時のことを
記述しています。

“皇太子は肥満体で、あいにく強度の近視であるのに作法上眼鏡をかけることが許されず、そのときはわたしに限らずだれの目にも完全に身体障害者であるという印象をあたえていた。彼はひとり息子で母親に溺愛されていた。王妃は皇太子の健康についてたえず気をもみ、側室の息子が王位後継者に選ばれるのではないかという不安に日々さらされていた。
(中略)謁見中の大部分を母と息子は手を取り合ってすわっていた。”(「朝鮮紀行」)

また、皇帝高宗・純宗親子を通商で不正を働き
流罪となった李氏朝鮮の元ロシア語通訳官が
逆恨みし毒殺を試み死罪になった「毒茶事件」
も何らかのつながりがあるといわれています。

1898年9月11日夜10時頃、高宗と皇太子純宗が
宮殿での晩餐の際に吐き気をもよおしたといいます。

父である高宗は、日ごろからコーヒーを愛飲、
このときは匂いの異変に気づいてほとんど口を
つけなかったのですが、純宗は誤って半椀ほど
飲んでしまいます。

同じコーヒーを飲んだ内侍7名、女官3名、別入侍
1名にも同様の中毒症状がみられ、死者はなかった
けれども純宗には障害が残ったということも伝わって
います。(毒物はアヘンまたはヒ素化合物)

純宗はこの事件で24歳にして重体になり、知的障害を
抱えたとされており判断能力を失ったとされていますが
詳しい事実はあまり多く見えません。

最後の大韓皇帝となった純宗は、日本に対し従順で
あったといわれていますが、これも彼に正常な判断が
できない状態がなしたものであるといえそうです。

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27代純宗の最後の子孫は李垠にした訳

最後の子孫

純宗の父高宗には、李垠(ウン)という名前の
王子がいました。

貴妃・厳氏から生まれた、純宗の異母弟です。

李垠は高宗の7男として誕生しています。

兄の純宗が27代王として即位すると、7男にも
関わらず、この李垠が次の皇太子となりました。

長男が跡を継ぐのが慣例でしたが、異母弟である
李垠が跡取りとされたのは極めて異例といえます。

それでも最後の朝鮮王朝だった純宗は生涯で2人の
妻をめとりましたが、軽い知的障害があったことの
他に子供にも恵まれませんでした。

それを理由として、1926年純宗の死後、形式的に
この異母弟である李垠が王位を継ぐことになった
ようです。

1897年に清王朝からの独立が認められた朝鮮が
大韓帝国となり、李氏王族は皇族となります。

ただ国民は李氏のこれまでの失政に対し不満を
持っており生活難も変わらなかったため、日本の
統治を望む声が高まりました。

そして1910年日韓併合条約を結び、大韓帝国を
日本の一部とすることにしたのです。

韓国の皇族は皇族に準じる王公族の身分を
与えられます。

当時の皇帝、純宗は李王となり、1926年純宗死後は
李垠に引き継がれています。

李垠は満10歳で当時の日本初代の総理大臣、伊藤博文ら
日本政府の招きで留学し、日本で教育を受け、学習院や
陸軍中央幼年学校を経て陸軍士官学校を卒業しています。

学校さえ、まともになかった当時の韓国を哀れみ、
日本側が彼ら韓国王族に教育の場を与えたといわれて
います。

李垠は日本陸軍に所属する有能な軍人となり、
1936年の2.26事件の際も歩兵連隊長として軍を
牽引し反乱軍を抑えるなど大きなはたらきを
しています。

27代純宗の最後

27代純宗は年、1926年52歳にして心不全で
亡くなっているといわれています。

ただ彼の最後やその原因についての記述が
あまり見えず、父親の高宗や子孫の李垠と
比べるとやや情報が少ないようで確かとは
いいがたいところもあります。

純宗が即位直後も、日本は国政全般に干渉し
政府要職にも日本人を当てるなどし、彼は
名目だけの皇帝として名を刻んでいます。

日本が大韓帝国を滅ぼし、それにより全国各地で
反日運動が活発になりましたが政府の弾圧を
避けることはならず、結局純宗は皇帝から王へ
降格され昌徳宮で暮らし最後を終えました。

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子孫の李垠は日本人の皇族と結婚

純宗の子孫、李垠は日本人女性と結婚したことが
話題になっています。

しかもその日本人は一般人とは全く異なる皇族
から選ばれて嫁いでいます。

その理由こそが1910年の韓国合併から終戦までの
1945年の韓国人の考える日本の植民地時代です。

ただこの当時の日本人の考え方こそ韓国合併を
「日本の一部」として取られていたからこそ日本を
代表する皇族の方子様を韓国王族に嫁がせたのです。

現在まで問題とされる元徴用工らの不当な植民地
支配下の中での強制労働が今だに裁判の対象となって
いますが、実際は日本は不法な植民地支配はしていない
と考えています。

方子様と言う列記とした皇族を韓国王族に嫁がせた
事も同胞だと考えたからこそ婚姻関係を結んだのです。

そして1910年当時の韓国は現在人気の韓流ドラマ
で見るよりも遥かに想像を超える極貧状態でした。

まず、辺り前に無ければならない学校、病院、道路
鉄道、下水道などの一般的なインフラが全く整って
おりませんでした。

それらを日本の「一部」としたからこそ莫大な
国税を使い現代の韓国と言う国の礎を整えたのです。

どうして植民地だと考える国に、それほどの投資が
できるのでしょう。

ですので、一方的に韓国民が当時の日韓合併条約
後の時代を植民地支配時代と言うのはいささか
酷い言い方ではないかと思うばかりです。

朝鮮王朝最後の皇太子妃方子様とは?

朝鮮李王朝最後の皇太子妃となったのは日本の
皇族梨本宮家の王女である方子(まさこ)妃です。

真面目で気品のある女性で、昭和天皇の妃候補
とも言われていたはずの彼女が異国の男性に
嫁ぐということを知り当初は泣き崩れたそうです。

ですが李垠は日本文化にも造詣が深く、礼儀作法
などもたしなんでおり真面目で寡黙な彼に方子妃の
心も動かされていきました。

夫妻は晩年まで仲が良く2男をもうけています。
(後に2人とも亡くなっています。)

彼女は韓国李氏王族李垠との政略結婚
いわれたりもしましたが、仲むつまじく夫の
最期まで添い遂げています。

敗戦で帰国を望むも王権復古を恐れた当時の
初代韓国大統領の李承晩が妨害。

なかなか帰国が叶わず在日韓国人として日本に
暮らしましたが、朴正煕大統領に変わり韓国籍に
戻る事を認められ1963年夫妻は韓国へ帰還。

以後2人で障がい者支援にいそしみました。

李垠は脳梗塞を患いソウルで入院し、方子妃は
7年間懸命の介護をし韓国でも称賛されたといいます。

彼女は夫の死後も韓国で慈善活動を行い平成元年
87歳でこの世を去っています。

朴大統領が政権を握ってからはじめて2人が韓国に
迎えられた時は、世間の反日感情も激しく方子妃は
「異国の女」扱いをされたりしましたが、彼女の
葬儀は准国葬として盛大に行われ、韓国民の多くが
涙し喪に服したといいます。

韓国に帰化した方子妃は李垠の遺志を引き継ぎ、
当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児教育
(主に知的障害児・肢体不自由児)に取り組み
大変評価されています。

韓国と日本の友好に尽くした皇族女性として
方子妃の生涯は歴史に残り、1965年日韓基本条約で
両国の正式な国交が始まることとなり両国の発展に
寄与したことはいうまでもありません。


おわりに

朝鮮王朝最後の王27代王純宗は知的障害があり、子どもがなかったために異母弟の李垠が最後の子孫として後を継いだことがわかります。
李垠の妻が日本人皇族の方子妃で、韓国でも称賛される人物だったのには驚きます。様々人物や事件が王朝の歴史に隠れている面白さを味わっていくとよいですね。

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