6代王端宗は悲運の王!運命に翻弄された若き王の半生と死因が壮絶

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タンジョンアイキャッチ

朝鮮王朝6代王の端宗(タンジョン)は11歳という
若さで即位、在位期間も僅か3年の悲劇の王として
語り継がれています。

520年に及ぶ朝鮮王朝は骨肉の争いの連続だった
事は知られた事実ですが端宗もまた、その悲運に
巻き込まれた王でした。

端宗の生きた時代と家系図などから彼が抗う事が
不可能な立場の正当な王位継承の立場でもありました。

若くして王となった彼の生い立ちから座位、王座を
追われる原因となった裏切りと最後の壮絶な死因まで
第6代王端宗の生い立ちと生涯を追ってみましょう。

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端宗(タンジョン)プロフィール

王名    第6代国王  端宗(タンジョン)
氏名    李 弘暐(リ ホンウィ)
生年月日  1441年8月9日(正統6年)
座位    1452年5月14日(景泰3年)~1455年6月11日(景泰6年)
没年    1457年11月11日 享年16歳
父     文宗(ムンジョン)
母     顕徳王后(けんとくおうこう)
后妃   定順王后(ていじゅんおうこう)

第6代朝鮮王朝 端宗(タンジョン)の日本

僅か3年と言う短い座位で王座を追われた
端宗ですが、タンジョンが生きた時代は
日本では何時代だったのでしょう。

日本の1450年前後は室町時代になります。

室町時代は西暦1338年足利尊氏の室町幕府の
初代征夷大将軍となり20年の間政権を司り
1466年まで128年続いた時代です。

6代王端宗の誕生と母の死

朝鮮王朝6代王の端宗(タンジョン)は、1441年
8月9日に、当時はまだ世子だった父である5代王の文宗
(ムンジョン)と母親の顕徳王后(ヒョンドクワンフ)
のあいだに生まれました。

次の時代の世子となる男児の誕生したので王室内は
幸せムードに満ちていた…

かと思われましたが、母である顕徳王后は端宗を
出産した3日後に還らぬ人となります。

顕徳王后は元々体が弱かったので、激しいお産に
体が耐えきれなかったのは仕方がないことでした。

それに加えて父の文宗も病弱なため、祖父であり
かつて4代王であった世宗(セジョン)は孫の端宗が
長生きできるかとても心配していたそうです。

そして世宗は母がいない孫である端宗の将来を考え、
かつて病弱な文宗の世話をしてくれていた自分の側室の
恵嬪楊氏(ヘビンヤンシ)を端宗の乳母として任命しました。

恵嬪楊氏はちょうど世宗との子を出産したところで
乳母としてはまさに適役でしたし、恵嬪楊氏も喜んで
乳母を引き受けました。

端宗の生い立ちと半生

タンジョン生い立ち

500年以上も続いた朝鮮王朝は、27人の王が
存在しています。

その中でも悲運の王として語られる端宗の
生い立ちと生涯を追ってみましょう。

先ほどもお伝えしたように、
端宗は生まれてまもなく母である顕徳王后を
亡くしています。

生母のぬくもりや愛を知らずに育つ端宗ですが、
祖父の世宗が選んだ乳母の恵嬪楊氏によってとても
大切に育てられました。

また端宗は、父である5代王の文宗の血をしっかりと
受け継いでおり、とても学識に優れていたので、
王としての素質は十分に備えていました。

このまま健やかに、そして王としての教育や
政治学などをしっかりと学んでいけば立派な
王となったでしょうが…

そう都合よくはいきませんでした。

端宗が11歳のときの1452年に、父・文宗が僅か38歳
と言う若さで死亡してしまいます。

文宗が王になってからたったの2年後のことで、
38歳という若さでこの世を去りました。

そして同年、世子であった端宗は、当然ながら
朝鮮王朝6代王に即位します。

このとき、端宗はなんとわずか11歳。

自分の意思は関係なく、世子は時が来たら
王となるのは避けられない運命だったのです。

若すぎる王として偉大なる朝鮮王朝に
君臨することになりました。

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端宗の唯一の味方叔父の裏切り

タンジョンセジョの裏切り
父の死から、あっという間に朝鮮王朝
6代王となった端宗。

そんな端宗が王として政治を行う際に頼ったのが、
父の弟であり叔父である首陽大君(スヤンデグン)
でした。

本来であれば未熟な若き王のサポートは王の母や
祖母がするものですが、端宗は母も祖母も既に
他界しているため、摂政として頼れる人がいません。

そんなときに、首陽大君(スヤンテグン)が
親族代表として端宗の政務のサポートをしてくれる
ことになったのです。

母だけでなく父をも亡くした上に王という責務を負った
少年にとっては血が繋がった叔父の存在やサポートは
とても心強く、大きなものだったでしょう。

本当にやまし野心が何一つなければ問題なかった
のですが…

たった11歳です叔父の言われるままに政治を行い
全てを信用し、ヨコシマな叔父の企みに気が付ける
はずもありません。

520年に渡る朝鮮王朝は初代李成桂(イソンゲ)に
始まり骨肉の争いで幕開けしたように、その流れは
朝鮮王朝時代最後まで変わらず終始血なまぐさい
骨肉の争いの連続です。

端宗(タンジョン)の第6代朝鮮王も例外なく
彼が幼く無知な事をいいことに虎視眈々とその座を
狙われ想うままに翻弄される事となります。

父、文宗が亡くなり、王座についたその日から悲運の
王の運命は始まっていたのです。

実は叔父の首陽大君は、とても野心に溢れた男で
のちの朝鮮王朝7代王となる世祖(セジョ)だったのです。

首陽大君は世宗の次男であることから世子では
ありませんでしたが内に秘めた野心は、とてつもない
もので父であり端宗の祖父である世宗は息子のそうした
気性を生前から危険視していました。

しばらくは大人しくしていた首陽大君ですが、
兄、文宗が亡くなって幼い端宗が即位した途端に
野心を剥き出しにし始めたのです。

そして1453年10月、首陽大君(スヤンテグン)はついに

「癸酉靖難(ケユジョンナン)」

と呼ばれるクーデターを起こします。

首陽大君は、父である世宗や兄の文宗から

「端宗を守るように」と頼まれていた重臣の金宗瑞
(キムジョンソ)や皇甫仁(ファンボイン)らを殺害し、
守る者がいなくなった端宗から強引に王座を奪い取ります。

自分を助けてくれると思った大人、そして肉親として
身近に感じてた叔父から裏切られた端宗は、
さぞ絶望的な気持ちだったことでしょう…

いくら学識に優れて頭脳明晰な端宗でもまだ幼い上に、
自分を助けてくれた重臣たちも失っていることから
首陽大君に対抗する術はありませんでした。

流されるがままに世子となり王座について、そして
また叔父によってその座を奪われた端宗の無念さは
優秀な少年だったことを考慮しても図りしれない想い
だったことでしょう。

端宗の死因が壮絶

その後の端宗の運命はより過酷な運命を
たどる事になります。

叔父のクーデターによって王位を奪われた端宗に
待っていたのは、過酷で悲しい運命でした。

幼い甥っ子を裏切り、自分の野心を強引に突き通すことで
朝鮮王朝代7王の世祖(セジョ)となった首陽大君ですが、
そんな彼に反発する者は多く、正当な王位継承者だった
端宗を復位させようとする者もたくさんいました。

主君への忠義を貫こうとした成三問(ソン・サムムン)
を始めとする「死六臣(サユクシン)」に、世宗の
第7王子で世祖の弟である錦城大君(クムソンテグン)など、
様々な者が兄の世祖のやり方に異論を唱え歯向かってきます。

ですがどの計画も失敗に終わり、端宗の復位を望む者は
すべて世祖に処分されました。

こうしているうちに世祖は

「端宗がいる限り、復位などバカなことを考えるやつが現れ続ける」

と考え、端宗から上王の資格を剥奪した上で
王室から追放します。

そして1457年9月、とうとう端宗は流罪となり、
その1ヶ月後には死罪となりました。

このとき、端宗はまだたったの16歳…

あまりにも短く、儚い人生でした。

端宗の死因は明らかになっていませんが、
絞殺説が有力のようです。

薬殺刑とも言われています。

どちらにしろ何の罪もない正当な王位継承者
だった端宗が1番の頼りとしていた叔父のクーデター
によって最後は16歳の若さで薬殺と言う最後だった…

この事実は悲運意外の何者でもありません。

かつては尊い身分だったのに、最期は流刑地で
首を絞められ苦しみながら死んでいくなんて…

ただだだ壮絶で、悲しすぎます。

さらには殺害後の端宗の死体は雑に扱われ、
埋葬もされずに投げ捨てられていたそうです。

叔父の野心に満ちた陰謀に巻き込まれ、16年
という短い生涯を閉じた端宗。

流刑の末に死罪(絞殺)や薬殺なるなんて、あまりにも
悲しすぎますよね…

これが座位も3年と短く、その後の人生も
僅か16歳と短命だった第6代朝鮮王朝端宗(タンジョン)
が悲運の王と言われる由縁となったのです。

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端宗の逸話

これほどの悲運の王として語り継がれる
端宗には死後逸話が語られています。

秋益漢は前漢城府尹(現在のソウル市長)に該当
する人物が悲運の王端宗が亡くなった日夢に出てきた
端宗がこう語ったと言います。

「太白山(韓国の山)に行く」

この時の夢で端宗は白馬に乗っていたことから
悲劇の王の事を太白山の神になった。

そう語り継がれているそうです。

あまりに無念であまりにも運命に翻弄された悲劇の王
端宗の幸薄い短命を嘆き民間信仰となったようです。

おわりに

誕生と共に母を失い、瞬く間に若くして父も亡くなり、あっという間に王位に就いた朝鮮王朝の幼き6代王だった端宗。
野心家の叔父に裏切られて王位を奪われて、最期は若くして流刑地で殺害されたと思うと可哀想になりますね…
あまりにも悲惨な人生を送った端宗ですが、後に11代王の中宗によって端宗の正式な墓が建てられたり、19代王の粛宗によって王位を回復したりなど、再び尊い存在となりました。
生きているときは運命に翻弄され、叔父に裏切られ、若すぎる彼には過酷な人生でしたが、後の世に彼の死を悼む人がいたのはせめてもの心の救いではないでしょうか。


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