英祖(ヨンジョ)の米びつ息子餓死事件!思悼世子27歳の悲劇の死

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ドラマ「トンイ」のヒロイン淑嬪(スクピン)
を母に持ち母の教えを52年の朝鮮王朝に最も
生かした王として知られる21代王英祖。

500年以上続いた朝鮮王朝の中でも最も長く
王座に就いた英祖と言えばやはり、自身の息子を
餓死させた米びつ事件が有名です。

常に子供に恵まれる事の無かった英祖が唯一無二の
存在だった王位継承の世子を何故殺す必要があったのか?

今回は、朝鮮王朝21代王の英祖(ヨンジョ)の息子
思悼世子27歳の悲劇の死と、そうせざるを得なかった
英祖の悲劇を追ってみようと思います。

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英祖ヨンジュの息子達

(側室の子の病死)相次ぐ死

500年以上の長い歴史がある朝鮮王朝には
27人もの王が存在しており、なかには韓流時代劇
ドラマに取り上げられた王もいます。

ドラマには名君っぷりがよくわかる王もいれば
「こんな人が王でいいの!?」という王もおり…
決して国を豊かにする名君だけではありませんでした。

ヨンジョ
21代王の英祖(ヨンジョ)は52年という最長の座位
期間を期間を誇っており、さぞ立派な名君だったのかとも
思えますが、実は彼は自身の息子で王位継承にあった実の
息子を殺害すると言う暴挙を起こした王でもあるのです。

朝鮮王朝時代の中でも実の息子を、しかも正式な
王位継承にあった息子を殺害した理由とは?

21代王、英祖(ヨンジョ)はなぜ、そんな惨い事を
しなければいけなかったのでしょうか。

英祖(ヨンジョ)には2男7女の子供がいました。

長男は1719年に側室の靖嬪李氏が生んだ孝章
(ヒョジャン)です。

本来であれば彼が英祖の跡を継ぐはずだったのですが、
1728年に9歳という若さで病死してしまいました。

そして次男が1735年に産まれたイソンです。

兄であり世子であったヒョジャンが早世していたので、
次男であるイソンは2歳のときに世子となりました。

世継ぎとなる次男が産まれてこれで未来は明るい…
と思うところですが、実はイソンが産まれる以前は、
側室の子が相次いて亡くなるという暗い時期が
続いていました。

1718年には英祖と靖嬪李氏のあいだに生まれた
和億翁主(ヒョジャンの実姉)、ヒョジャンが
亡くなった以降は、英祖と暎嬪李氏のあいだに
生まれた次女と三女、四女の3人が2歳から4歳という
かなりの若さで相次ぎ亡くなっています。

また、長女であった和平翁主も21歳という若さで
病死
しており娘を溺愛していた英祖は大変悲しんだ
そうです。

英祖は17世紀の時代においては最も珍しく82歳と言う
長寿を全うし王位も52年と朝鮮王朝の中でも最も座位
が長い王として君臨した王ですが子供には恵まれなかった
王とも言えます。

そんな中での唯一の存在次男のイソンに、どれほど
の期待を込めてヨンジュが育ててきたのか…知る由も
ありません。

期待が大きかった分、愛しさ余って憎さ100倍の
心境となってしまったのでしょうか…

自らが朝鮮王朝の王として王位を守る難しさを
知るだけに結局は最後まで最愛の息子に手をかける
と言う最も過酷な運命を背負う事になるのです。

ヨンジュの米びつ息子餓死事件

米びつ
前の章でもお伝えしましたが、英祖の長男であり
世子であったヒョジャンが亡くなったので
次男であるイソンが世子となりました。

英祖はイソンが産まれたときにはすでに40歳を
超えており世子となる次男のイソンが産まれて
さぞホッとしたことでしょう。

年を取ってからの子はカワイイと言いますし、大切な
後継ぎとなる子なので英祖はさぞイソンを大事に
したんだろうな…と思う人も多いでしょうが

英祖は息子であるイソンを残酷に死なせる
事件を起こします。

それは朝鮮王朝の長い歴史の中でもむごい死に方と
言われる、かの有名な

「米びつ息子餓死事件」です。

当時のイソンは素行が悪く、殺人や奇行が
目立っており英祖も頭を悩ましていました。

そんな中で

「イソンが謀反を起こそうとしている」
というリークがあり父の英祖はとうとう堪忍袋の
緒が切れてしまいました。

英祖はイソンを呼びつけて問いただしますが、
イソンはただひたすら謝るばかり…

しびれを切らした英祖は世子を廃止し、イソンに
自決を求めます。

イソンは
「許してください」「これからは正しく生きます」

と懇願しますが、それを無視した英祖は家臣に
米びつを持ってこさせ、そこにイソンを閉じ込めて
しまったのです。

そして英祖は周りの者に

「米びつを絶対に開けないように」と命じます。

米びつの中には食べるものも飲むものもなく、
ただ暗闇があるだけでした。

米びつの中からは耳を覆いたくなるイソンの悲痛な
叫びが聞こえていましたが

「絶対に開けてはいけない」

という王命を破ることはできず…

周りの者も手出しすることはできません。

イソンが米びつに閉じ込められてから8日目、
ようやく米びつの蓋が開かれました。

食料も水も与えらていなかったイソンは既に
絶命しており、世子としては考えられないような
むごい最期を遂げていました。

イソン享年27歳。

少し昔の日本にも子供が悪いことをしたら罰として
押し入れや物置に子供を閉じ込めたという時代も
ありましたが、長くてもせいぜい数時間程度。

たった数時間でも暗闇に閉じ込められたという
恐怖は強いものです。

なのに、大人とはいえ何日も米びつに閉じ込められ、
しかも食料も水も与えられなかったイソンは
どれだけの恐怖や絶望、飢餓感を味わったことでしょうか…

いくら素行が悪かったとはいえ、尊く高貴な存在だった
はずのイソンの最期が餓死なんてむごすぎますよね…

しかもイソンは正式に誰もが認める王位継承の世子
だったのです。

前代未聞の米びつ事件は、こうして21代英祖が実の
息子を餓死させると言う朝鮮王朝時代の中でも最も過酷で
残忍な行為として今も語り継がれているのです。

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息子(イソン)の性格と放蕩

イソン

前の章でもお伝えしたように餓死する直前の
イソンは素行が悪く、父親である英祖も頭を
抱えていました。

特に好き勝手する性格と放蕩がヒドく、側室を
殺したり政務をさぼって遊んだり怪しい連中を
付き合ったりと世子としては相応しくないふるまいを
繰り返していたようです。

ですが、彼がこんな性格や素行を取るように
なってしまったのは父親の英祖が深く関係
しています。

英祖は昔からイソンにとても厳しい父親でした。

幼いころから勉強だけをするように言いつけており、
遊んでいたのが分かると激しくイソンを叱りつけた
ようです。

それでも父の期待に応えようとしたイソンは、
10歳には親のいいつけで結婚、14歳には英祖の
代理として政務をするようになります。

英祖は自分の後継ぎであるイソンに様々な教育や
要求をしてきたようですが…

1人の子としてはかなり負担だったことでしょう。

また、イソンが一部の政務を代理するように
なってから英祖はさらにイソンに対して厳しくなり、
まだ幼く若いイソンの心はボロボロになっていき、
心を病んでいきました。

躁鬱のような症状も現れていたイソンは次第に
奇行に走るようになり、そのたびに英祖はイソンに
罰を与えていましたが、それは逆効果でイソンの
病状を悪化
させ、さらなる奇行へと走らせたのです。

気に入らない女官を殺し、父の制止を聞かず
酒や女に溺れ、家臣に向けて刀を振り回す…

20歳を超えたころには、イソンはもう手が
付けられないような状態になっていました。

イソン謀反の陰謀の被害者に

イソン性格
イソンが英祖によって米びつに閉じ込め
られたのは、これまでの奇行などの素行の
悪さも関係してますが、引き金となったのは

「謀反を企てているのでは」

という疑惑からでした。

イソンが王位について権力を持ってしまうことに
危機感を持っていた老論派は、英祖の怒りを
焚きつけるために悪意をもってイソンの素行の悪さを
かなり大げさにして英祖に訴え続けました。

最初はそんな老論派の訴えを信じていない英祖
でしたが、確かにイソンの素行が悪い様子が
目立っていたので次第に英祖の息子を見る目が
変わっていきました。

そんな中、とうとう老論派は英祖に

「イソンは謀反を企んでいる」

という根も葉もない報告をしました。

それによって、とうとうしびれを切らした英祖は
イソンを呼び出し…

結果としてイソンは米びつに閉じ込められて
しまったのです。

もともとイソンにも悪いところは盛りだくさん
ではありましたが、謀反の濡れ衣を着せられて
それが死につながったと思うとちょっと
不憫になりますよね…

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死後付けられた思悼世子27歳の死

サドセジャ
イソンは27歳という若さで実の父によって
米びつの中で餓死というむごたらしい死を
遂げました。

こんな悲劇を招いたのは老論派の陰謀
よるところが大きいですが、感情的になって
癇癪を起した英祖にも大きな原因はあります。

英祖はイソンが餓死してからすぐに英祖は我に返り

「息子に酷いことをした」と反省し、息子の死に
関連した者を処分しました。

そしてイソンの死から半年後、英祖はイソンの
世子廃止を取り消し「思悼世子(サドセジャ)」
の称号を与えます。

「思悼(サド)」という言葉には「世子の死を悼む」
という意味があり、英祖がイソンを死なせてしまった
ことを深く後悔し、悲しんでいる様子がわかりますね。

イソンにとても厳しく、老論派の陰謀や自身の
癇癪から息子を死なせてしまった英祖ですが、
決してイソンが憎かったわけではなかったのです。

第21代国王英祖を描いたドラマは沢山ありますが
ドラマなら「イサン」が実の父英祖に期待されながら
最後は殺害された悲劇の世子、思悼世子(サドセジャ)
と父子の悲劇を描いた映画は

【王の運命(さだめ)歴史を変えた8日間】

が若手演技派俳優ユアイン演じる息子イソンと
21代王英祖を演じるソンガンホがリアルで素晴らしい
迫真の演技で当時を再演しています。

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最後に

英祖の次男であるイソンは、本来はとても真面目で頭脳明晰な世子でしたが、大きすぎる父の期待やプレッシャーで心が壊れて奇行に走り、
最終的には米びつの中で心も体も乾ききって死んでしまいました。
一部のエピソードだけ切り抜くとイソンはとんでもない人物に見えますが、朝鮮王朝の中でも聖君と言われる22代王の正祖(チョンジョ)の父でもあります。正祖(チョンジョ)はイソンが米びつに閉じ込められたときも父を助けようとしたり無惨な死を遂げた父のために立派な墓を建てたりする親孝行な面がある上に、朝鮮王朝の発展にも大きく貢献した人物です。
こんな立派な王の父であるイソンも幼いころにもっと大らかに育ったら、英祖が教育以外にイソンに与えるものがあったら、もしかしたらイソンは朝鮮王朝歴代王の中でも偉大な王になっていたかもしれませんね。


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