文定王后(ムンジョンワンフ)希代の悪女と呼ばれた女の生涯

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朝鮮王朝時代を象徴する「三大悪女」と呼ばれる
3人の女性がいますが、その悪女の象徴的存在として
今に語られているのが文定王后(ムンジョンワンフ)です。

朝鮮王朝11代王中宗の妻であり、13代王明宗の生母で
ある文定王后ですが彼女はいったいどんな悪女で、どんな
生涯を送ったのでしょうか?

今回は、朝鮮王朝希代の悪女と呼ばれる文定王后について
をまとめましたのでぜひご覧ください!

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文定王后プロフィール

名前:文定王后尹氏(ムンジョンワンフ・ユンシ)
生年月日:1501年2月1日
死亡:1565年12月29日(64歳)
両親:父は尹之任(ユン・ジイム)
母は全城府夫人李氏(チャンソンブプイン・イシ)
夫:朝鮮王朝11代王の中宗(チュンジョン)
子供:5人うち、1人が朝鮮王朝13代王の明宗(ミンジョン))

文定王后(中宗)の三番目の妻として

中宗嫁

518年もの長い歴史を誇る朝鮮王朝には様々な
王がおり、聖君または暴君として歴史上に名を残し
骨肉の争いを経て王座を守った時代でもありました。

しかし中には、王よりもはるかに存在感を持っており、
王宮や政治をかき乱した「これぞ悪女!」という女性が
いた時代もあります。

それが現代まで語られる朝鮮王朝を象徴する悪女と
した語られる文定王后(ムンジョンワンフ)です。

文定王后(ムンジョンワンフ)は、1515年の17歳の
ときに、朝鮮王朝11代王の中宗(チュンジョン)の
3番目の妻となります。

中宗の最初の妻である端敬王后慎氏(タンギョンワンフ・シンシ)
は中宗が即位後わずか7日で廃妃となり、2番目の妻である
章敬王后尹氏(チャンギョンワンフ・ユンシ)は
のちの12代王の仁宗を産んですぐに亡くなりました。

廃妃や産褥死などで正室が不在だった中宗の元に
嫁いできたのが、文定王后だったのです。

文定王后はもともと中宗の2番目の妻だった章敬王后の
遠縁で、継子の仁宗とはまったく縁がなかったわけでは
ありませんでした。

2番目の妻の代わりに仁宗を育てることになった
文定王后ですが、最初こそは仁宗を実の子のように
可愛がっていたそうです。

世子を育てるというのはとても重要な役割なので、
「3番目の王妃として世子を大事に育てねば」と
思ってたかもしれませんね。

また、中宗との間にも子が何人もできましたが、いずれも
だったので、このときは「我が子は王位継承には無縁」
とも思っていたことでしょう。

しかし、そんな文定王后が豹変するのは1534年に
男児である明宗(ミョンジョン)が産まれてからでした。

もともと野心が強い女性だった文定王后は、我が子に
男児が産まれたことで、いつしか潜んでいた野心に
火が付くのです

「仁宗よりも我が子の明宗を王に…」

と強く望むようになったのです。

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文定王后は野心の為に手段を選ばない

文定王后

先ほどもお伝えしたように、文定王后は野心が強く、
元々世子であった仁宗よりも我が子である明宗を
王にしたいと思うようになっていました。

そう思ってからはこれまで可愛がっていた継子であり
世子である仁宗をとても疎ましく思うようになり、
文定王后は仁宗に冷たい態度を取るようになります。

また、文定王后は態度だけでなく明宗を王にするために
実際に行動を起こしていくようになります。

朝鮮王朝は「王位は長男が継ぐ」という習わしを
とても大事にしているので、いくら文定王后が
頑張っても、次男である明宗が王になることはできません。

当然文定王后もそんなことは知っていますが、彼女は
野心の為なら手段を選ばない女性だったので不可能を
可能にするため手段を選ばない暴挙に出るのです。

「仁宗を亡き者にする」

という方法で実子である明宗を強引に王座に
就かせようとしたのです。

本来であればこんな方法は許されるわけありませんが、
それほど「我が子を王に」という彼女の野望はとても
強かったのでしょう。

文定王后は自分の野望のために仁宗を暗殺しようと、
あるときに手先に命じて仁宗の屋敷に火をつけさせた
ことがあります。

結局、この火事による暗殺は失敗に終わりますが
可愛がったこともあった継子を自分の野心のために
殺そうとするなんてとても恐ろしい女性ですよね…

しかしこの失敗で文定王后が懲りるわけもなく、
その後も手段を選ばず仁宗の暗殺を企て続けます。

また残念な事に、このような王后のあからさまな
王位継承者を狙った殺害未遂など王族を侮辱した
態度でありながら、それを咎める事すら出来ない
無能で気弱な王が中宗だったと言う事も悲劇でした。

王后とはいえ、許される事と許されないレベル
の行為があったはず、明らかな王位継承者を狙った
殺害行為は王后とはいえ決して許されない行為で
罰する事はいくらでも可能だったはず。

それでも残念な事に心から愛した端敬王后でさえ
廃妃にされても周りに逆らう事が出来なかった
「棚ぼたの王」と言われた中宗は文定王后の
息子への暴挙を見て見ぬフリをするのです。

ある意味中宗も罪深い王だったと言えるでしょう。

王が止める事の出来ない王后の暴挙を誰が止める
事が出来るのでしょう。

もはや文定王后を止められる人物は誰独りと朝廷
内にはおりませんでした。

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文定王后の悪女と呼ばれた悪行の数々

ここまででお伝えしたことを振り返ると、
この時点でも文定王后は相当な野心家であり
悪女であることがよくわかりますよね。

しかし、彼女が「悪女」と呼ばれるには
まだまだ理由があります。

まず、彼女が悪女と呼ばれる最大の理由は
「仁宗を毒殺した」という説があるからです。

前の章でもお伝えしたように、
過去に火事を装って仁宗を暗殺しようと
しましたが、このときは失敗に終わっています。

ですが1545年に仁宗が亡くなった原因は
「文定王后の手にかかったから」
言われているのです。

中宗が亡くなった翌年、仁宗は文定王后から
「祭祀が終わったら挨拶に来るように」
言われます。

臣下は体調を崩していた仁宗を気遣って
「控えたほうが…」と言いますが、
仁宗は「親に呼ばれたのだから、行かないと」
と無理を押して文定王后を訪ねます。

文定王后は訪ねてきた仁宗をとても上機嫌に
部屋に向かい入れ、世間話をしながら仁宗に
餅を食べるようにと勧めました。

継母の機嫌の良さや自分への優しさが嬉しかった
仁宗は、文定王后から勧められた餅を喜んで
食べたそうですが…

この一連は全て文定王后の陰謀だったのです。

餅を食べて以来、仁宗は著しく体調を崩し、
元々体が弱かった仁宗はついに命を落として
しまいました。

どんなに冷たい態度をとられようが、命を
狙われようが、親として敬意を払っていた仁宗を
あっさりと毒殺してしまう文定王后…

518年に及んだ朝鮮王朝の27代王の中でも最も
この12代王と即位した仁宗が王座について8カ月
と最も座位が短かった王としても記録に残っています。

彼女はまさしく朝鮮王朝希代の悪女と言えるでしょう。

また、彼女の悪女ぶりは仁宗が亡くなったあとも
増長していきます。

仁宗が亡くなって晴れて自分の息子である明宗が
13代王となりましたが、即位時の明宗は11歳と
まだまだ子供。

当然その年齢の事もが自分1人では政治を行うことが
できないため母である文定王后が摂政を務めることに
なりました。

現代でも判断能力がない未成年は親が代わりに動く
ことが多いので、幼王の母である文定王后が摂政を
務めることになるのは不思議でもないのですが…

文定王后はここでまた野心溢れる悪女ぶりを
発揮しています。

実質的な王権を握った状態になった文定王后は、
自分の好き勝手に政治を行い、自分と敵対する勢力や
対立してくる臣下を次々と粛清していきました。

最初は我が子を王にするだけでも大満足だった
はずですが、自身も大きな権力を持ったことで
更なる野心を抱いてしまっていたのです。

文定王后の悪政の結果、政治は乱れに乱れました。

文定王后の一族に取り入ろうと賄賂が横行したり、
凶作で苦しむ民に目もくれず自分の富を優先し
悪政を続けたり…

とにかく文定王后はやりたい放題でまともな
政治をしませんでした。

そんな朝鮮王朝の暗黒時代とも言える文定王后が
いた時代も、1565年に「彼女の死」によってようやく
終わりを迎えます。

しかし文定王后の悪女ぶりは、彼女が死しても
まだ終わっていませんでした。

母の言いなりになっていた明宗は文定王后の死後、
母が乱しに乱した政治を整えようと母の息がかかった
臣下を免職にしたり、国のためになる優秀な人材を
積極的に採用したりしていきました。

異母兄の仁宗に似て聡明で気が優しかった明宗なので、
このまま自分が思うように政治を行っていけば
きっと良い王になれたでしょう。

しかし明宗は、母である文定王后が亡くなった2年後に
33歳という若さで亡くなってしまいます。

明宗は聡明で優しい性格でしたが母に頭が
上がらなかったため、長年母に抑えつけられてきた
ことによるストレスで早死してしまったのではと
言われています。

誰よりも大切だった我が子の寿命すら縮めてしまう悪女…

まさしく文定王后こそが「朝鮮王朝希代の悪女」
と言えるでしょう。

ちなみに、そんな文定王后の悪女ぶりを
もっと知りたい人は韓流時代劇ドラマ「オクニョ 運命の女(ひと)」
がおすすめなので、ぜひご覧になってみてください。

王を主役にしたストーリーが多い韓流ドラマの中でも
朝廷で権力と悪行の限りを握った文定王后の生き様が
見事に描かれています。

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おわりに

中宗の3番目の正室であり、12代王仁宗の継母という女性としてはかなりの地位にいたはずの文定王后。
かなり恵まれた環境に身を置きながらも心のどこかで「私はこんなもんじゃない、もっと成り上がれる」と思っていた矢先に男児を産んだことで、とんでもなく黒くて大きな野望が芽生えてしまったのでしょうか。
大きい野心を持たず、自分に与えられた役割をこなしていれば「朝鮮王朝希代の悪女」なんて呼ばれることもなかったでしょう。
自分を信じて疑わなかった継子の仁宗王の暗殺、好き放題に行った代理政治、我が子である明宗王に与え続けた寿命すら縮める多大なストレス…無能と言われた中宗王であれ、その息子仁宗も明宗もみな心優しく気弱で聡明だったと言われる事から当時の王位に就く男達にも勝る出世欲で朝鮮王朝を我が物にした文定王后の悪女ぶりは今でも語り継がれています。


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