徳恵翁主は朝鮮王朝最後の王女の晩年と生涯!ラストプリンセスの悲劇

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李氏朝鮮26代王高宗の娘として生まれ
朝鮮王朝最後の王女と呼ばれた徳恵翁主。

ラストプリンセスとして知られる彼女の生涯は
波乱に満ちており、13歳で日本に留学してからの
彼女の生涯はまさに悲劇的でした。

徳恵翁主は日本に留学後、結婚し子供にも
恵まれますが故郷への思いが募り心身に不調を
きたしてからは入院を続け、やっと帰国した時には
変わり果てた姿に変貌して周囲の悲しみを誘いました。

徳恵翁主の晩年やその生涯、ラストプリンセスの
悲劇についてまとめてみました。

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徳恵翁主プロフィール

徳恵翁主(とくけいおうしゅ)
(李氏朝鮮国王・大韓帝国高宗の王女)
別名・俗称:李徳恵、宗徳恵、梁徳恵、徳恵姫(とくえひめ)
生年月日:1912年5月25日
没年月日:1989年4月21日(76歳没)
配偶者:宗武志
子女:宗正恵
父親:高宗
母親:福寧堂貴人梁氏

徳恵翁主は朝鮮王朝最後の王女としての背景

日韓併合後2年経った1912年、徳恵は26代皇帝
高宗の子、翁主(朝鮮王朝の姫君)として生まれました。

父高宗の還暦近い年で授かった最後の子で、彼の
溺愛を受けて育った徳恵翁主でしたが1919年徳恵
6歳の時高宗が崩御
します。

1921年(大正11年)、徳恵は京城(現ソウル)の
「日の出小学校」に編入します。

この学校は日本人子息か、朝鮮人でも上流階級のみが
通学できるエリート教育機関で、徳恵という名は
ここに入学する時つけられました。

そして1925年(大正14年)、徳恵は日本へ留学
することになります。

これは生前、父の高宗が最も恐れていたことでも
ありました。

当時の朝鮮王族は留学や結婚という形で来日
させられ、祖国へ帰れない事も多かったのだとか。

親たちは身を切る思いで彼らを見送ったといいます。

朝鮮王族でありながら藤色の振袖を身に着け複雑な
思いの中、徳恵翁主は東京へ旅立ったのでした。

徳恵翁主の悲劇の始まり~13歳で日本へ

13歳で日本にやってきた徳恵翁主は女子学習院に
入学
しましたが、以前の明るさが無くなり内気で
表情も暗くあまり話さない子になってしまいました。

ホームシックから心も閉ざすようになり完全に
周囲と離れていくしかなく、親族の葬儀や法要など
わずかの時しか帰れないつらさを味わいます。

1929年徳恵が17歳の時、母親の梁氏が永眠します。

少女時代から発症していたと言われる総合失調症
があったとされますが、朝鮮から慣れない異国の
国、日本への移住、そして母との別れで徳恵の
精神は更にバランスを崩します。

葬儀が終わるとあまりのショックで彼女は精神に
変調をきたし、奇行不眠が頻発し始めます。

そしてこの時も「早発性痴呆症(統合失調症)」

という診断を受けます。

深い憂鬱を抱え、学校にもほとんど通えず寡黙な
彼女でしたが1931年3月学校を卒業し、5月には
伯爵の宗武志と、あわただしく結婚、その後
長女・正恵が誕生します。

それでも、うつ状態は深刻を極めていき、彼女は
療養しますが空襲もひどくなり夫武志も出征して
しまい、33歳となった1945年、とうとう終戦を
迎えました。

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徳恵翁主ラストプリンスセスの生涯

結婚
1947年には華族は身分を失い、徳恵翁主の
宗家も伯爵でなくなり、祖国も南北に分裂
朝鮮戦争に入ります。

この頃、徳恵は松沢病院という精神病院に
入院しており、1955年には夫との離婚が
成立
しています。

妻を、ここまで追い込んだとして非難も
浴びた宗武志ですが、経済的な困窮など
致し方のない事情も重なった結果。

詩人でもあった彼の刊行した詩集には別れの
悲哀を綴っており妻を大切に思っていたようです。

離婚後、徳恵は母の姓を取り「梁徳恵」
なりますが、朝鮮王朝の王女の離婚は初めて
だったといいます。

1962年にようやく王族の帰国が叶い徳恵翁主は
迎えを受けますが、衰弱しきった彼女は帰国後
そのままソウル大学病院に入院します。

朝鮮王朝のラストプリンセスの生涯はあまりにも
悲しく、悲惨な状態での帰国に人々は深く哀れんだ
といいます。

徳恵翁主の帰国と晩年

徳恵翁主の帰国後は病院で7年間療養
続きましたが、症状の改善が見られることは
なかったそうです。

彼女は長い月日の中で亡くなった兄李垠の
ことや、娘の正恵が帰国後、行方不明になり
その後死んだこと、元夫宗武志の再婚や死なども
知らずに自分だけの世界に生きていました。

最晩年の徳恵は、テレビを見て時折アリランを
口ずさんでまるで幼い子どものようだったと
いいます。

アリランは朝鮮民謡の一つで朝鮮半島各地に
あり、哀調を帯びた節回しが特色だそうですが
一人悲しいメロディにくれる徳恵の姿が浮かびます。

彼女は日之出小学校時代に作詞の能力を認められ、
「童謡の姫君様」と讃えられ、1922年頃に作った詞
「雨」と「蜂」は1923年10月頃に京城に滞在した
日本の音楽家宮城道雄が箏で作曲をつけ、同年京城で
「徳恵姫御作童謡発表会」が行われたそうです。

1929年7月には日本ビクター
(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)
からレコードが発売されたこともあり、故郷で明るく
過ごした幼年時代才だけが支えだったのかもしれません。

1989年看護人2人に見守られ、徳恵翁主は永眠し
父高宗の墓の側に葬られたということです。

1989年4月21日76歳でした。

朝鮮王朝最後の王女として、実に波乱に満ちた
生涯をやっとの事で閉じる事になります。

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最後の王女ラストプリンセスが泣ける

日韓併合後の僅か2年後に朝鮮王朝26代
高宗の最後の子供として誕生した徳恵が
父が60歳の高齢で誕生したこともあり溺愛
されその幼少期を送ります。

ただ日韓併合から2年で父の後を継ぐ純宗
が27代朝鮮王朝最後の王となるも明らかに
朝鮮王朝の終わりを告げる時代の変換機でした。

時が時なら思うままに人生を終えただろう
徳恵の時代に翻弄された実話が涙の女王と
して演技派女優のソンイェジンが熱演します。

リアルな時代背景と、現在の反日派が日本
植民地時代と言われる日韓合併時代に祖国と
日本に翻弄された最後のプリンセスの映画
「ラストプリンセス」が涙無しには見られません。

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おわりに

徳恵翁主は朝鮮王朝最後の王女でしたが、日本留学後のホームシックから心身を病み療養するも改善せず、帰国した後もうつ状態がひどくなり亡くなるという悲劇のプリンセスとして今も伝わっています。
小学校時代から作詞の才能に秀でており童謡の姫君とたたえられ、明るく愛情に包まれ育った徳恵翁主が来日後豹変し家庭を持ち子供ができても彼女の心は癒されることが無かったのはとても哀れでした。
悲劇のラストプリンセスの生涯はあまりにもつらく、希望に満ちた青春を見ることがなかった戦争の犠牲者として長く記憶されるものとなるでしょう。


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