井上康生の兄の死の理由!若くして急死した兄の存在や母との秘話

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井上康生アイキャッチ

日本のお家芸でもはや金メダルが必須と言われる
日本柔道界の代表監督を務める井上康生さん。

井上康生さんと言えばタレントの東原亜紀さん
を奥様に持ちメダリストとしても知られた存在です。

しかし順風満帆な柔道家としての半生には彼の
実の兄や母親の存在が欠かせませんでした。

でもそんな彼の理解者でいつでも味方だった兄も
母親も突然の急死をしています。

若くしてこの世を去った兄の死の理由と母親との
秘話など井上康生の柔道家としての生い立ちを改めて
追ってみようと思います。

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井上康生プロフィール

氏名    井上康生(いのうえ こうせい)
生年月日  1978年5月18日(41歳)19年12月時点
出身地   宮城県宮崎市
身長    183㎝
体重    100㎏
血液型   O型
現     柔道日本代表監督
階級    100㎏級
引退    2008年
家族    2008年1月~東原亜紀 子供4人

井上康生の戦歴

2000年  シドニーオリンピック 金メダル
1999年  世界柔道選手権(バーミンガム)   金メダル
2001年  世界柔道選手権(ミュンヘン)    金メダル
2003年  世界柔道選手権(大坂)       金メダル
1998年  アジア大会(バンコク)       金メダル
2002年  アジア大会(釜山) 無差別級    金メダル

井上康生の兄の死の理由

選手としても監督としても偉大な功績を
残している井上康生さん。

しかしその偉大な功績を残した裏には家族の
支えが存在しました。

今回は、井上選手の亡くなった長男の事、
母親との秘話があるのです。

 
井上選手は男3人兄弟の末っ子で、一番上の
兄の将明さんは32歳の若さで死去されています。

将明さんは、2005年6月16日に急逝いたしました。

井上選手がアテネオリンピックの準々決勝で敗退し、
翌年1月の試合中に大胸筋腱断裂をしてそのケガから
復帰し練習を再開した矢先に起きた出来事でした。

将明さんは宮崎市内の会社に勤務しており、出張先の
大阪市内のホテルのベットで亡くなっているのが
発見されました。

心臓に持病を患っていたそうですが死因は
不明と報道されています。

一部報道では、母親と同じ「くも膜下出血」
だったとの掲載もありました。

シドニーオリンピックとアテネオリンピックでは
、観客席で亡くなった母親の遺影を父・明さんとの
姿が今でも印象深いですよね。

井上選手は1999年にくも膜下出血によって最愛の
母のかず子さん(享年51歳)を亡くしており、
母親に死に続く哀しいニュースでした。

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井上康生の若くして急死した兄の存在

長兄・将明さんは、柔道家である井上選手を
応援していました。

その証拠に将明さんの嫁・由美さんは将明さんの
死後も将明さんの夢であった井上選手のメダルを
見届ける井上家に残ることを決意しました。

将明さんが井上選手を応援していた様子を
表すひとつのエピソードがあります。

それは母親のかず子さんが亡くなり、通夜・葬儀は
3日3晩続けて行われた日の事でした。

火葬場から自宅に戻った日の事、父の明さんの
あとをずっとついて回る井上康生さん。

その様子がおかしかったので、父親の明さんは

「母の後追いで自殺してしまうことを井上選手が心配しているのでは?」

と思ったそうです。

そして井上康生さんに

「康生、おれは子ども3人をおいて、お母さんのあとを追うようなバカなまねはしない。安心しろ」

と伝えると、井上康生さんから思いもよらない
返答がかえってきたのです。

【全日本の大学柔道大会があるから、東京に帰らせてほしい。】

当時、井上選手は大学3年生ながら東海道大学の
エースでした。

当時監督として井上選手を育ってきた山下泰裕
さんも葬儀に参列していました。

明さんは、母親の葬式の時に何を言い出すのかと
激高し、山下監督にそそのかされたと思い

「母親の葬儀の日に、なにを言い出すんだ。そんな大会やめろ。そんな大学も、いますぐやめろ」

と井上選手を怒鳴りつけたそうです。

そこで、仲裁に入ったのが兄・将明さん
だったのです。

将明さんは父の明さんに

「康生がここで嘆き悲しんでいるのと、大会に出場して勝つのと、母親はどっちを喜ぶか」

と明さんに尋ね、なだめたのです。

その後、明さんは井上康生さんを東京に向かう
飛行機のある空港へ送って行きました。

兄の将明さんのこのフォローがなければ、今の
井上選手の功績はきっとなかったに違いありません。

僅か20歳での最愛の母との別れがどれほど末っ子だった
井上康生にとってつらい出来ごとだった事か?

想像するだけで胸が締め付けられますね。

恐らく長男の将明さんが誰よりも、そうした心情を
察していたのではないでしょうか?

だ彼こそ母親が支えてくれ心から応援してくれた
柔道で絶対に結果を出したいんだ。と…

その決意の表れこそが葬儀を済ませて直ぐに活動拠点の
東京に戻って良いか?の言動となったのでしょう。

絶対誰よりも一番母親に寄り添いたかったはずの
彼が言うのだから…

井上康生の母との秘話

井上康生さんと言えば、現在でも日本代表柔道界
監督を務めている柔道界の重鎮です。
母親
現役選手だった頃には2000年に行われたシドニー
オリンピックの男子100㎏級で金メダルを獲得した際に、
母のかず子さんの遺影をもって表彰台に立ったことが
有名ですよね。

兄だけでなく、母親もずっと井上選手のことを
支え続けていました。

井上選手が柔道を始めたのは5歳の頃でした。

宮崎県警の警察官で柔道家だった父の影響で
柔道を始めました。

そのため、父であり師範である明さんはとても
厳しかったようです。

その分、母・かず子さんは優しく見守って井上
選手の事を支えてくれていたようです。

母のかず子さんの悲報を聞いたのは、シドニー
オリンピックで代表には選出されていたものの
オリンピックに向けての各大会で優勝できず
苦しんでいた最中でした。

しかし、その苦しみから救ってくれたのも母でした。

亡くなる10日ほど前に井上選手に書いたまま
渡し忘れてしまった手紙を、父の明さんが葬儀を
終えて全日本選手権に出場するため東京に向かう
井上選手に渡しました。

その手紙には

【柔道を好きで好きでたまらなかった、小さい頃の気持ちを思い出してほしい。すべて、初心に戻って頑張ってください】

と記してあり、この手紙によって自分の柔道
が分からなくなりスランプに陥っていた井上選手は
自信を取り戻すことが出来ました。

1999年10月の世界選手権の決勝時には、それまでの
試合では目に入らなった母の遺影が決勝の時だけは
視界に入り、その途端に気合いが入って、決勝に
対する怖さがなくなり、

「一本を取るんだ、優勝するのは俺だ」

と強く思えたそうです。

実際にこの大会では優勝しており、金メダルを
獲得しています。

この思いを胸に、翌年開催されたシドニー
オリンピックでは亡き母に金メダルをプレゼント
しようとする気持ちで挑んだようです。

父と兄は観戦席で母の遺影を持って応援していました。

井上選手は見事優勝しました。

実はこの時、優勝が決まって大喜びした瞬間に、
遺影を落として表面のガラスを割ってしまったのです。

しかし、ガラスがあると危険物として表彰台には
持っていけなかったようですので、禍を転じて
福となしたようです。

井上選手の柔道人生には母の支えがなくては
ならないものだったのですね。

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おわりに

日本柔道界を見事復活させ存在感ある柔道家として誰もが知る金メダリストの現日本代表の監督井上康生さんの華麗な柔道人生には彼を誰よりも理解していた兄と母親の存在があったのですね。あまりに短命な長男と母親の早すぎる死と、その遺影を持ってのシドニーオリンピックには一体どれ程の想いでメダル獲得に挑んだのでしょう。柔道家として日本代表の監督としても益々の活躍が期待される井上康生さんの来年に控えた東京オリンピックも楽しみですね!


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