
フジモリ元大統領は、1990~2000年、日系人として
初めて大統領を務めたが、2005年11月、事実上の
亡命先だった日本から渡航したチリで身柄を拘束。
2010年に市民虐殺事件などで禁錮25年が確定し
首都リマ郊外の警察の施設に収監されていました。
国民の間で今も根強い人気がある一方、在任中の
強権的な手法に批判も多く、恩赦に対し賛否の議論が
高まりそうなフジモリ元大統領が恩赦を受けることに
なった経緯や、逮捕された理由や功績に今回話題の恩赦
で釈放に至った経緯を追ってみましょう~
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目次
フジモリ元大統領プロフィール
アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ
(Alberto Kenya Fujimori Fujimori)
現日本名 片岡 謙也(かたおか けんや)
旧姓 藤森 謙也(ふじもり けんや)
生年月日 1938.7.28
出身地 ペルー(リマ)
国籍 ペルー、日本
職歴者 政治家、第91代大統領(1990.7~2000.11)
趣味 釣り、料理
フジモリ元大統領はなぜ逮捕されたのか?功績と罪は何?
フジモリ元大統領の功績としては、メスティソの部分を排除し
メスティソが得ていたものをインディヘナ(原住民)に直接
配分したために、貧困者の喝采をあびたものが大きいといえます。
ペルーは階層社会で、国民の10%程度の白人が、国富の
大半をにぎり、そのおこぼれを白人と原住民の混血者である
メスティソがもらっており、国民の半数を占める原住民
国富の5%ていどしかもたず、貧困にあえいでいました。
外国からの援助も、半分を上流階級の白人がとり、残りを
メスティソが取り、メスティソの使い古しを原住民に配る
といったことが、実際に行われていた国でした。
フジモリ元大統領が逮捕、投獄された理由は、様々なメディアが
話題にあげていますが、簡単にまとめてみると、
・出生率を調整するため「強制避妊」させた
・公金横領
・二重国籍を隠して大統領になった
との事です。
この4つのうち、禁固25年の実刑となったのは
軍の責任という部分だけで、その他は罪としては
確定しませんでした。
ペルー軍特殊部隊による民間人殺害事件というのは
ペルー国内で「センデロ・ルミノソ」という反政府組織の
ゲリラ活動(テロ)の鎮圧に軍の特殊部隊を使った際
民間人を犯人と見間違えて誤射して殺害してしまった事件です。
いわゆる「任命責任」という部分なので
フジモリ元大統領からしたら避けようがない
ところだったともいえます。
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フジモリ元大統領恩赦に、歓迎と反発の声も
クリスマスイブの24日夜、ペルーのクチンスキー大統領は
緊急の閣議を開き、25年の刑で首都リマ郊外の警察の施設に
収監されているフジモリ元大統領に、健康上の理由から恩赦を
与えることを決めました。
フジモリ氏は23日、心拍異常と血圧低下のため、収監先の
首都リマの国家警察施設から病院に移送されたばかり。
近年、がんの手術を受けるなど健康状態が悪化し
入退院を繰り返していました。
フジモリ元大統領の家族や支持者からは歓迎の声が上がり
移送先の病院前に集まった支持者が「フジモリは自由」と
書かれたカードを振りながら恩赦決定を喜ぶ一方
反フジモリ派は決定に反発を強めている。
これまで認められなかったフジモリ元大統領の恩赦が
今回認められた背後には、クチンスキー大統領と
フジモリ一族の勢力との間で、政治的取り引きが
あったのではないかという見方も現地メディアなどで
いわれています。
今回のフジモリ元大統領の場合は「特赦」なので、
「罪は残るけど刑はなし」という措置になります。
近く、治療を受けている病院を退院し家族の元へ帰る
見込みで、今後のペルーの政治にどのような影響を
及ぼすか注目されています。
逮捕時25年の刑期から一転、2005年12月以来
12年ぶりの自由の道が開けたフジモリ氏の今後
の動向に注目が集まりますね。
まとめ
今回はフジモリ元大統領を紹介しました。
ペルーに残された功績があるフジモリさんですが、日本では英雄として取り上げられていますが、海外からはフジモリさんに対して冷たい目線で犯罪者扱いみたいですね。
収監されていたフジモリさんですが、この度体調を崩してしまい、治療に専念も優先し、過去の功績を称えられ解放されたそうです。
実際には罪が無くなったわけではなく、ただ禁固刑が無くなったということらしいです。
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