舩後靖彦の高学歴に若い頃の経歴!ASL発症で受けた障害者差別との闘い

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船後靖彦アイキャッチ

山田太郎率いる、れいわ新選組から参議院議員選挙で
見事当選した船後靖彦さん。

政権脱却を目論む、れいわ新選組の山本太郎氏率いる
船後靖彦さんが今後議員として、どのような政策を
打ち出すのか注目が集まっています。

船後さんがASLとなるまでの若い頃からの経歴に難病
発症で受けた障害者差別との闘いなど、これまでの
船後靖彦さんの学歴やWikiも踏まえて追って見ようと
思います。

船後靖彦プロフィール

氏名    船後靖彦「ふなご やすひこ」  
生年月日  1957年10月4日(61歳)19年8月時点
出生地   岐阜県岐阜市
出身地   10歳から千葉県千葉市
身長    167cm 
職業    参議院議員   
活動期間  2019年7月~
所属政党  れいわ新選組
趣味    バンド演奏
家族    妻と娘一人      

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船後靖彦氏の高校大学が高学歴

参議院議員の船後靖彦「ふなご やすひこ(61歳)」は
今年の7月21日に行われた参議院通常選挙でれいわ新選組
から立候補して初当選を果たした人物です。

彼は筋萎縮性側索硬化症「ASL」という指定難病を
患っているにも関わらず、選挙活動を精力的に行い
多くの人の支持を得ました。
経歴

彼の経歴を見ますと学歴だけでなく社会人としても
大変優秀だったことが伺えます。

船後は岐阜県岐阜市に生を受け9歳までここで育ちます。

10歳になると慣れ親しんだ土地を離れ千葉県千葉市に
移ることになりました。

そんな彼は千葉県立千葉南高等学校拓殖大学政治
経済学部
を卒業していたことが広く知られています。

まず千葉南高等学校は進学校として知られ、中央大学
青山学院大学・慶応義塾大学など名だたる大学への
進学実績があります。

努力する生徒には周囲の教員もそれを伸ばす為の
支援を積極的に行っています。

従ってそれに能力が伴えば大きく成長出来る環境が
あるのが特徴です。

卒業後は所ジョージや鈴木宗男・前田真三ら多くの
著名人が卒業した拓殖大学政治経済学部に入学します。

早稲田・明治の次に長い歴史を持つ学部で、偏差値は
平均的ですが法律・経済・政治を柱とした積極的な
教育・研究を行っています。

ですから特別高学歴というわけではありませんが
それなりに高い学歴を持ち学生の頃から必死に
勉強されてきたのだと思います。

船後靖彦氏の若い頃の経歴と年商が凄い

現在は41歳から発症したALSの難病を患い進行形の病気で
ある事から、意思の疎通も身体を動かすことも不自由な
状態の船後靖彦氏。

テレビで報道された姿は車椅子に乗り介助者無しでは
動けないような状況でした。

ALSは身体の各部位だけでなく、呼吸を司る筋肉が
衰えますが、筋肉そのものではなく運動をせよと
筋肉に指令を送る運動ニューロンが正常に機能しない
障害です。

なので本人の意思と関係なく筋肉が衰え日常生活に
支障をきたします。

このような難病に犯された姿を見ると若い頃の姿は
想像出来ないと思いますが、41歳でこの病気になる
前までは時計宝石商輸入卸売り商社の商社マンを
していました。

若い頃
コロコロブログ:引用

ダイヤモンドと高級時計という非常に値が張る商品
を扱っていたにも関わらず、年間6億を越える売り上げを
8年連続で成し遂げました。

これだけの売り上げを達成したのはなんとバブル崩壊
後の厳しい経済状況下のなかでのことです。

まさに会社にとってなくてはならない優秀な営業マン
だった彼が、ある日突然ALS発祥した時は人生に絶望し
自殺も考えました。

しかし後のALS患者との繋がりが彼の人生に生き甲斐を
見出だすきっかけとなります。

そして自分と同じように身体が不自由で苦しんでいる方
を救う為に、株式会社アースという介護支援を行う
企業の副社長に就任した他特殊な装置を使用した
全身麻痺ギタリストとしても活躍していました。

更には執筆や講演など幅広く活躍し障害に負けない
働きをしたことが大きな反響を与えた人物です。 

そうした経験を目に留められ、れいわ新選組の代表
山本太郎氏が目を止めて今回の参議院議員への出馬へと
繋がったのでしょう。

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船後靖彦氏のASL発症で受けた障害者差別

船後靖彦氏が受けてきた障害者差別が具体的に
どのようなものだったのでしょうか?

やはり、そこには健常者には見えない壁でもある
非常なまでの障害者差別を体験されていたようです。

ALS発症後の4年目だった。千葉市中央区の病院に入院中のころ。入浴後に机やベッドデスクの位置がおかしく、直してもらおうと看護師を呼んだ。直してはくれたが位置がいまだにおかしく、正してもらうよう要請。そのとき、看護師が何かをわめきながら机を蹴飛ばしたという。舩後氏は7月3日の出馬会見で、報道陣に対し、病院で受けた仕打ちに触れたうえで「ショックでした」と伝えた。その時住んでいた施設でも自身が退去する11年11月までに、入居者に対し、看護師が舩後氏にした類似の行為をする介護士が5人までとなり、13年に市行政の調査が入ったという。

7月3日の出馬会見で舩後氏は、16年7月に起きた神奈川県相模原市の障害者施設殺傷事件などを踏まえ、「1919年、世界で最初に人種的差別撤廃提案を国際連盟委員会において主張した日本が、なぜ、障害者、さらには人間の価値を生産性のみで捉え、優生思想や障害者差別が色濃い国になったのでしょう」としたうえで、

「戦後欧米の労働生産性が高いものを尊ぶ文化、金もうけがうまい人を尊敬する風潮が流入したからだと私は考えます」

と分析。そして、「生産性が高いものを尊ぶ風潮が日本に蔓延している限り、相模原施設殺傷事件のようなことは再び起こる可能性があります。なぜなら、あの難病専門の病院の看護師のようなタイプのナース、介護士は、生産性もない重度障害者は生きている価値がない、という考えがあるかもしれないから」としていた。
出典 https://www.j-cast.com/2019/07/22363147.html?p=all

ですが前述したようにALSは身体が満足に動けない
病気ですから、それに対する偏見や差別はかなりの
ものだったのだと思います。

身体的な不自由かあるとはいえ、視力や聴力・臓器などは
正常なのが特徴です。

実際、船後氏は介助を要するといっても、会社経営や
童話などの執筆に精力的に取り組んでいます。

それにもし障害と無縁だったならまだまだバリバリ
働いていたかもしれません。

社会全体に少しずつ障害を患った人への支援が
増えてきているとはいっても、差別や偏見はまだ
多く残りバリアフリー化もそれほど進んでいません。

彼が議員当選を果たしたことで障害者に対する見方
がどう変わるのかとても興味深く思っています。

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おわりに

今回の当選は彼のような難病を抱えた方に対しての支援を見直す切っ掛けに繋がるといいですね。今後は更に世の中にある障害者差別が消えていくことを切に願います。明日は我が身という誰にも、その可能性がある事を心のどこかに持って重度障碍者にこそ優しい社会でなければならない、と船後靖彦さんのような方の発信があってこそ気が付かされます。
今後の政界での、れいわ新選組の活躍にも期待したいと思います。


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