イバンウォン李芳遠の史実!生い立ちから生涯までは超下克上体現者

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イバンウォンアイキャッチ

韓流ドラマにハマっている人なら
韓流時代劇「六龍が飛ぶ」を見たことがあるでしょう。

初期の朝鮮王朝を舞台にしたドラマで
韓流ドラマ好きなら一度は目に留まるはずです。

そんなドラマ「六龍が飛ぶ」ですが、
主人公格である李芳遠(イバンウォン)に
目が行く人も多いでしょう。

彼は本当の歴史ではどんな人物だったのでしょうか?

今回は、朝鮮王朝3代王の太宗(テジョン)である
李芳遠(イバンウォン)についてをまとめましたので、
ぜひご覧ください!

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李芳遠(イバンウォン)プロフィール

李芳遠(イバンウォン)のプロフィールは、
次のとおりです。

名前:李芳遠(イ・バンウォン)
在位:朝鮮王朝3代王・太宗(テジョン)
在任期間:1400~1418年(18年)
生年月日:1367年6月13日
死亡:1422年5月30日(54歳)
両親:父は朝鮮王朝初代王・太祖(テジョ)、母は神懿王后韓氏(シヌィワンフ・ハンシ)
妻:正妃は元敬王后(ウォンギョンワンフ・ミンシ)、側室は12人
子供:29人(うち1人が、4代王となる世宗(セジョン))

第3代朝鮮王朝 李芳遠(イバンウォン)時代の日本は?

イバウォンの生きた時代1367年から1422年の
54歳の生涯だった彼の生きた時代、日本は
何時代だったのでしょう。

かなり血なまぐさい骨肉の争いで兄弟や周囲を
粛清して8人兄弟の5男だったイバウォンが王座に
付いたのは彼自身が望んで手にした王座です。

日本は室町時代の真っ只中でした。

室町時代は1336年から1573年まで237年もの
長きに渡り続いた時代です。

イバンウォンの生い立ち~初代朝鮮王の5男として

三代王
朝鮮王朝3代王である太宗(テジョン)こと
イバンウォンは1367年に朝鮮王朝初代王の
太祖(テジョ)となる李成桂(イソンゲ)の
子として産まれました。

当時のイソンゲはまだ王ではなく、武官として
高麗王朝に仕えていたのです。

イソンゲには8人の息子がいました。

・長男:李芳雨(イ・バンウ)
・二男:李曔(イ・キョン)
・三男:李芳毅(イ・バンウィ)
・四男:李芳幹(イ・バンガン)
・五男:李芳遠(イ・バンウォン)
・六男:李芳衍(イ・バンヨン)
・七男:李芳蕃(イ・バンボン)
・八男:李芳碩(イ・バンソク)

イバンウォンはイソンゲの五男であり、
二男のイキョンは朝鮮王朝2代王の定宗(チョンジョン)
です。

また、長男イバンウから六男イバンヨンまでは
第1夫人である神懿王后韓氏との子供ですが、
七男イバンボンと八男イバンソクは第2夫人である
神徳王后康氏との子供になります。

現代で考えると妻が何人もいたり腹違いの兄弟が
いたりするのは少し特殊で複雑な気持ちにもなりますが、
この時代の王族ともなるその環境は当然のものでした。

イバンウォンは幼い頃からとても頭がよく、1383年には
高麗王朝の官吏の採用試験に合格しています。

語学力が高いとても優れた文官だったようで、
当時から王として頭角を現していたようです。

イバンウォンと李氏朝鮮建国の立役者 (高麗から李氏朝鮮建国の成り立ち)

朝鮮王朝
1392年に李氏朝鮮が建国し、イソンゲは朝鮮王朝の
初代王となるのですが、彼が太祖になるまでのストーリー
には5男であるイバンウォンの活躍を抜きには語れません。

高麗王朝末期にクーデターを起こしたイソンゲですが、
仲間であったチョンモンジュ氏と意見の違いから対立
してしまいました。

革命によって高麗王朝を無くして、まったくの新しい
国を築きたいというイソンゲと高麗王朝は残しつつ
改善する方向に持っていきたいチョンモンジュ氏…

真逆な意見を持つ2人の対立は深刻で、イソンゲ派と
チョンモンジュ派(高麗王派)というように派閥ができ
朝廷内は混乱していました。

そんな様子を良しとしていなかったイバンウォンは
父であるイソンゲにチョンモンジュ氏の暗殺を進言します。

しかしイソンゲはイバンウォンに

「チョンモンジュは殺さずに、味方にするように」

と命じますが…

チョンモンジュは拒否したため、結局イバンウォンに
殺害されてしまいました。

その後、反発する者がいなくなったイソンゲは王になり
イバンウォンは見事、初代李氏朝鮮の立役者となったのです。

イバンウォンの邪魔者なら消してしまえと言う発想…

恐ろしくて残忍な行いですが、イバンウォンの
行動力や決断力がなければイソンゲは朝鮮王朝を立ち上げ、
初代王になれてはいなかったと言われています。

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イバンウォンの下克上は「第一王子の乱」 (後継者争い)

第一王子の乱
先ほどもお伝えしたように、イバンウォンは
父親であるイソンゲが王になるために尽力
していました。

ここまで貢献したのだから
「次の王は自分に違いない」
イバンウォンは思っていたことでしょう。

実際に次期王はイバンウォンだと思っていた
人も多かったようです。

しかし、王が周囲の予想に反してイバンウォンが
王位継承者として指名されることはなかったのです。

まず初代李氏朝鮮王となった父イソンゲ、のちの
太祖が1392年に朝鮮王国を建国。

その後、同年9月に世子に任命したのが後に王位継承者
として任命した末っ子の8男イバンソクだったのです。

幼い事から聡明で温和だったと評判の良いバンソク
ではありますがイソンゲには冒頭で紹介した通り
バンソクの上に7人の兄が存在していたのにも関わらずです。

5男イバンウォンからしたら高麗の旧勢力を倒す
大きな役割を果たしている自分を差し置いて…

次期王として指名したのは、なんと
八男のイバンソク!

父であるイソンゲから大層可愛がられていた
そうですが、それは寵愛していた2番目の夫人
神徳王后康氏の次男であった事も大きく関係。

神徳王后康氏の意向が大きく影響したのは間違い
ないと言い伝えられています。

当然イバンソクを王にと望む声も高かったのですが、
イバンウォンはこの決定に激怒します。

母を同じくする兄達ならまだしも、腹違いの弟と
となると全く納得ができなかったようです。

イバンウォンは、イバンソクを後継ぎとするのに
賛成していたイソンゲの側近であるチョンドジョンと
政敵関係となり激しく対立するようになりました。

そして1398年、イバンウォンは邪魔者である
チョンドジョンやその他の重臣七男のイバンボン、なんと
後継ぎ候補であり八男のイバンソクを殺害してしまいます。

イバンソク享年16歳。

朝鮮王朝建立後、初めて世子に任命された王子
でありながら、腹違いの兄によって、その座に
就く事がなかった悲劇の世子ともいえるでしょう。

この事件後、イソンゲは我が子らが王位を巡って
争うことに心を痛め王位を退き、二男のイキョンに
王座を譲りました。

「ここはイバンウォンが王にとなるのでは?」

と思うところですがこの「第一王子の乱で」重臣や
親族を殺しすぎたので、反発を警戒してあえて王位を
辞退していたのです。

結局は二男イキョンが2代王となりましたが、イバンウォンは
丞相(大臣)となり朝廷での実権を握ることに成功しました。

また後継者争いとなった時にも次男のイキョンには
子供が居なかったため、その心配もなかったことも
幸いしたと言われています。

イバンウォンの第二王子の乱

島流し

丞相となったイバンウォンは、王の権力を
高めるために王族の私兵廃止を推し進めていきます。

王族が私兵を保有するというのは、王の権力を
脅かすおそれがあったからです。

しかしイバンウォンのすぐ上の兄であり、イソンゲの
四男であるイバンカンはこの私兵廃止を猛反対しました。

イバンカンは第一王子の乱の際にイバンウォンに手を
貸して活躍したにも関わらず、見返りはなく不遇な
扱いを受けていました。

また、イバンカンと同様に第一王子の乱での活躍に
見返りがなくイバンウォンに恨みを抱いていた
朴苞(パクポ)は、イバンウォンが殺害計画を立てて
いるとイバンカンに密告します。

それによって激怒すると同時に危機を感じたイバンカンは
反乱を起こしますが結局は反乱は鎮圧され、イバンウォンの
勝利で幕を閉じます。

その結果、反乱のパクポは処刑され、首謀者である兄の
イバンカンは島流しの刑となりました。

実の兄であり唯一イバンウォンに対抗し得るイバンカンの
流刑はかなりショッキングなものでした。

実兄にすら容赦しないイバンウォンに恐怖と身の危険を
感じた2代王はイバンウォンに譲位を申し出て、イバンウォンは
3代王として君臨しました。

イバンウォン嫁の兄2人も殺害の暴君が凄い

ここまでのお話で、イバンウォンの権力への執着や
目的のためなら身内でも決して容赦ない様子はお分かり
いただけたことでしょう。

しかしイバンウォンの暴君っぷりはこれだけではありません。

なんと、反乱の際にイバンウォンに助力しつづけた
妻である元敬王后の兄2人も殺害していたのです…!

元敬王后の兄である閔無咎(ミンムグ)と閔無疾
(ミンムジル)はイバンウォンが王座に就けるようにと
サポートし続けていました。

そしてイバンウォンが3代王となった暁には閔家は
イバンウォンに「一緒に国政を行おう」と望みましたが、
イバンウォンは拒否。

閔家が大きな力を持ってしまい、反乱を起こすことを
警戒していたのです。

また、ミンムグやミンムジルは、我が子であり
後継ぎ候補であった譲寧大君とも親しくしており
イバンウォンの「このままでは国を乗っ取られる」
という不安を煽りました。

そして1406年、イバンウォンはミンムグとミンムジルを
島流しの刑に処し2人は4年後に流刑先の島で処刑されて
しまいます。

イバンウォンにとってはかつての協力者である
妻の兄すら自分の王座や命を脅かす危険因子にしか
過ぎなかったのでしょう。

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イバンウォン父に負けない子沢山に絶句

プロフィールでもご紹介しましたが、
イバンウォンには正室である元敬王后の他に、
12人もの側室がいました。

そして子供の数は息子、娘を合わせてなんと29人!!

王という立場や時代とはいえ、この妻や子供の
数は驚異的です。

王は優秀な後継ぎを作るためにも、正室以外に
側室持ち子供をたくさん作るのは義務とも言えます。

しかしこれだけの子供がいるとは…
現代人としては驚きざる得ませんよね(^^;

ちなみに、イバンウォンの父であるイソンゲも
前述したように8人の息子がおり、それ以外にも
5人の娘がいた子沢山王でした。

イバンウォンは朝鮮王朝の下克上の体現者

朝鮮王朝の礎

ここまでで、イバンウォンは自分の野心の
ためなら手段を選ばず例え実兄であろうとも
決して容赦しない人物であることがお分かり
頂けたと思います。

自分の理想を実現させるためとはいえ、
かなり過激なことをしてきたイバンウォンは
まさに朝鮮王朝の下克上の体現者と言えるでしょう。

そんなイバンウォンは、1418年に後に聖君と
呼ばれるほどの名君となる世宗に王位を譲ります。

しかし、譲位から亡くなるまでのおよそ4年間は
実質的な王権を握っていたのはイバンウォン
だったそうです。

かなりの野心家かつ下克上の体現者であり、
そして朝鮮王朝最高の聖君の父もあるイバンウォン。

彼は良くも悪くも朝鮮王朝の礎を作った
王だったと言えるでしょう。

イバンウォンにスポットを当てたドラマ【六龍が飛ぶ】
が面白いです。

演技派俳優ユアインが、初代李朝鮮王建国に奔走し
その後の父親との軋轢、思惑自身の欲望を忠実に
迷い苦しみながらも力によって権力をモノにする。

リアルな朝鮮王朝が面白いです。

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を是非ご覧になってくださいね。

おわりに

500年以上にわたる朝鮮王朝の礎を作ったと言っても過言ではないイバンウォンの波乱に満ちた人生は自らの欲求を抑える事無く力でもって権力や実権をその手にしてきたイバンウォンと朝鮮王朝の幕開けと共に真の下克上の体現者として人生を全うしたイバンウォン。
時には冷酷に時には兄弟や自分を支えてくれた妻の兄弟にまで手をかけて守り築いた朝鮮王朝の礎はまさに冷酷と言われるイバンウォンの功績が一番大きかったと言われています。
バンウォンの存在なくして、その後500年近く続いた朝鮮王朝はあり得なかった、と考えると感慨深いモノがありますね。
2020年の現在から振り返って620年もの昔に、これだけの行動を起こし権力の頂点に立ったイバンウォンは、まさに語り継がれる朝鮮王朝には必須の3代王太祖なのかもしれません。


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