小林亜星の息子長男朝夫は曲者?父亡き現在も義母と遺産で大揉め

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小林亜星アイキャッチ

昭和の巨匠と言われる程、かつての芸能界でマルチタレントとして活躍した小林亜星。

昭和生まれの方なら数々のCMソングやドラマなどでもその存在感ある唯一無二の個性で記憶している人も多い事でしょう。

そんな小林亜星さんの亡くなった現在、残された長男ら息子が父亜星氏の残した遺産相続で大揉めだと話題になっています。

亜星さんとは8年もの絶縁状態にあり、不肖の息子とも言われた曲者らしい朝夫氏は、義母と遺産を巡るトラブルが未だ続いているようで気になります。

小林亜聖の息子長男朝夫が曲者、父亡き現在も義母と遺産で大揉めをお伝えします。

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小林亜星プロフィール

氏名:小林亜星(こばやしあせい)
出身地:東京府豊多摩群渋谷町(現:東京都渋谷区)
生年月日:1932年8月11日
死亡日:2021年5月30日(88歳没)
学歴:慶応義塾大学経済学部卒業
ジャンル:アニメ・特撮、歌謡曲、映画音楽、ジャズ、CMソング
職業:作曲家、作詞家、俳優、タレント
事務所:アストロミュージック

小林亜星てこんな人

2021年5月30日、マルチタレントとして活躍した小林亜星さんが心不全のため88歳で亡くなりました。

小林亜星さんは、アニメやテレビ番組などで生涯6千曲もの楽曲を手がけた希代の作曲家で、俳優としても「寺内貫太郎一家」などに出演、マルチタレントとしても知られていました。

亡くなってからから5か月後の11月、『女性セブン』で彼の「4億円遺産」巡る後妻と息子の相続トラブルが報じられ、にわかに息子の朝夫氏が注目を集めています。

小林亜星さんは、1932年生まれ、昭和1ケタ世代で、1961年にデビューしてから昭和のコマーシャルソングや流行歌の作曲で偉大な足跡を残しています。

レナウン「ワンサカ娘」やサントリー「夜がくる」、日立「日立の樹(この木なんの木)」に明治「チェルシー」、大関の「酒は大関こころいき」など名CMソングを送り出した希代のヒットメーカーでした。

アニメソングもてがけ、「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」などの名作も手掛けた才能の持ち主です。

都はるみさんの「北の宿から」でレコード大賞もとり、他にも「ママとあそぼう!ピンポンパン」のピンポン体操、埼玉西武ライオンズの球団歌「地平を駈ける獅子を見た」も作曲。小林亜星の曲はいつも昭和のテレビやTVCMソングを彩っていました。

小林亜星が体重110キロの風貌を買われ、頑固おやじとして出演したドラマ「寺内貫太郎一家」は大人気で、平均視聴率30%超えの大ヒット、才能はもちろん人柄も愛された人でした。

亜星さんは、23歳の時前妻の英子さん(当時21歳)と結婚、その後2人の息子をもうけたものの、「寺貫」ヒットし人気絶頂の41歳の時、6歳年下だった早苗さんと愛人関係になり、妻と別居。

小林亜星さん曰く「パンツ一丁で家出して(浮気相手)だった早苗さんのアパートに転がりこんだ」形で前妻との生活に見切りを付けます。

1982年に離婚が成立し、その早苗さんと再婚し小林亜星の最期を看取っています。彼女との間に子供はいないそうです。  

亜星さんは昨年5月亡くなったわけですが、数々の名曲を産んだ彼の著作権はじめ遺産の相続をめぐり、〈スムーズに相続問題が解決することはないと思っています(中略)あまり釈然としない日々を過ごしています〉と有料ブログに記した亜星さんの息子の小林朝夫氏(60)に注目が集まっています。

小林亜星の息子は2人

昭和の巨匠と呼ばれた小林亜星さんの芸能界でのマルチな活躍ぶりを紹介しましたが、小林さんには前妻との間に息子2人がいました。

その2人の息子の中でも、とりわけ現在まで話題になるのが息子の朝夫さんですが、朝夫さんは以前芸能界で俳優として活躍した時期があっただけに小林亜星さんの長男の印象が強いようですが、どうも朝夫さんは1961年生まれの次男で現在はちょうど60歳の還暦を迎える年齢かと思われます。

長男は名前も職業も詳しい詳細も分かりませんが、情報が出回っていない事から一般人として生活していると考えられています。

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小林亜星の息子朝夫の経歴

今回話題になっているのは長男ではなく、次男の朝夫さんで、この朝夫さんの評判がなかなかのヤバい人と言う事でも話題に。

朝夫氏は1982年に離婚した前妻で小林亜星氏が学生結婚した女性との間にできた次男で、明治大学を在学中に「劇団ひまわり」に入団。

昭和の時代を彩る芸能界で未だに巨匠と呼ばれる程の活躍をした父、亜星氏への憧れもあったのでしょう大学卒業後は、父の口利きもあって特撮ヒーローものの「太陽戦隊サンバルカン」の隊員役や所ジョージさんのラジオ番組のアシスタントの経験もある元俳優です。

ただ芸能界も甘くなく今でいう二世俳優や、タレントしての活動を夢みたのでしょうが、「太陽戦隊サンバルカン」以降は思ったような活動ができず5年余りで芸能界での引退を余技なくされます。

芸能界引退後は明治大学の経歴を生かし塾講師に転身、東京エコール進学塾、大原予備校、TAP進学塾、サピックス進学教室など数々の有名塾で勤務し最終的には自らの学習塾まで開業していた時期もあったようです。

その傍ら数冊の著書も10冊もの教育関連の本を出版したり、芸能界での成功こそなかったものの一般人としてな順風満帆な生活を送っていましたが、そうした生活も長くは続かなかったようで後に数々の問題行動を起こしています。

小林亜星の息子朝夫の犯罪と不信な行動

雲行きが怪しくなりだしたのが自ら「特別な力を持った地震研究科」としてブログを開設しだしたころからのようで2011年東日本大震災も自ら予言していたと、発言。

新聞投稿欄を利用し自分がいかに講師にふさわしいかという偽の投稿をし、物議をかもし何度も災害予告をしたりと奇異な行動が。

私生活でも結婚、事実婚を何度も繰り返し、当時の妻へのDV騒動まで起こしているとかで、亜星さんは朝夫さんとは絶縁状態だったといわれています。

2006年頃から東京から2人の娘と長野八ヶ岳に移り住み、家族4人で塗装業を営んでいた頃は、まだ父親の亜星氏との交流もあり、長野へも顔を見せる事があったと言います。

がこの当時から嫁は駅の売店で働き自分はブロガーと称しながらブラブラしてろくに働かない状態で隣町と沖縄に愛人を作り隣町の愛人との間に子供を作る。

当然前妻との関係も破綻して奥さんが家を出る形で前妻と離婚するも上の娘の大学進学のタイミングで、家を出た前妻は下の子で当時中学生だった娘だけ朝夫の元に置いて出て行ったというのです。

前妻も朝夫の家庭を顧みない行動に相当苦労して、当時から円形脱毛症が出来たり下血したり相当な苦労を強いられたと言いますが、下の娘を置いて出ていきその後前夫と愛人の元に置いて行ったという行動にも驚いてしまいます。

尚且つそんな娘を朝夫は、ほぼ放置状態で、離れに放置してたまに箱買いしたカップラーメンを差し入れして愛人とその間に出来た子供と暮らす体たらく。

そして時を同じくして朝夫氏が周囲に吹聴しだした言葉が『遺産が4億円ある』との発言も度々口に出すようになっていたようです。

そんなさ中の犯罪歴なのか、とりわけ話題になったのが犯罪歴となる2013年に青森県で朝夫氏が起こしたアパートの一室で女子高生に起こした淫行事件です。

その事件で起訴された朝夫氏の弁護士費用や60万円の罰金や被害者への賠償金を父親である亜星さんが手切れ金替わりに立て替えたと言われています。

当然これらの異常な息子の行動から亜星さんは激怒。

「亜星さん、朝夫さんとは絶縁状態だったんです。そうなる前から、朝夫さんは亜星さんの頭痛の種だったんですが、例の“事件”の後、亜星さんが勘当したんです。今回も朝夫さんには“亜星さんが亡くなった”という連絡だけで、葬儀には呼ばなかったそうです」(同・知人)

 
2013年に、児童ポルノ製造容疑で逮捕され、罰金60万円の略式命令を受けて即日納付して釈放された小林朝夫氏はかなりの曲者だったといえるでしょう。

そして父親小林亜星は、この事件以降次男朝夫氏を勘当し、親子は最後のその日まで絶縁状態となっていたと言います。

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小林亜星の遺産

小林亜星さんの没後、その遺産について話題になっています。

長年にわたり活躍した小林亜星さんの遺産は息子の朝夫氏の発言通りに4億円はくだらないと言われているようです。

この遺産相続をめぐり不満をブログに投稿し注目されているのが当の小林朝夫氏。

記事などには、預貯金や不動産などいっさいを、今の妻に相続させるという遺言書に従って遺産の手続きが終了したそうです。

朝夫氏と亜星さんの妻は音信不通の状態で、手続きも済んだあととなっては、いくらブログで不満を吐露してもしょうがないのでしょうが。

「亜星さんは、遺産を朝夫さんに渡さないというわけではないんです。生前、奥さんと一緒に別の遺言書も作っていて、それによると奥さんが亡くなった後には、息子さん2人に遺産は相続されることになっているそうです。次男の朝夫さんがそれを知らないのかもしれませんが、長男は納得しているはずです」 (ヤフーニュース:引用)

大きな遺産を残しいってしまった小林亜星さんも、この騒動を予感していたのかもしれませんね。

小林亜星亡き後も義母と大揉め

小林亜星さんの亡き後も遺産をめぐり、義母と大揉めの様相を伺わせる朝夫氏。

ワープロ打ちで3枚、最後に「小林亜星」の署名と捺印があるその遺言書の作成日は、2013年。そこには故人の不動産である東京・杉並区の自宅と千葉・南房総の別荘、そして著作権、預貯金などの財産を、すべて後妻に渡すと記されていた。

「10年ほど前、赤坂で食事をした際、親父が“実は遺言を書いたんだ”と漏らしたことがありました。その時は“お前にはこれこれを残す”と。その話と中身が全く違うのでびっくりしたんです」 (引用:ヤフーニュース) 

そして何より「生前、(亜星さんの楽曲の)使用料として親父には、月に100万から150万円ほどが入っていたと聞いています」(朝夫氏)という著作権の扱いが大きな火種になりそうだ。 「著作権を受け継ぐことには、財産を得るだけでなく、その作品を後世に伝えるという役目もありますよね。80を超える友恵さんが継いでも、難しいのではないかと思います」 (同上)

後妻のほうは自己の見解を述べる朝夫氏に対し「答える必要はありません」との回答だったそうですが、過去に警察沙汰もあり問題の絶えなかった朝夫氏には納得ができないようで、今後も不満発言が出てくるのか気になりますね。


おわりに

希代の作曲家として急逝を惜しまれる小林亜星さんの息子朝夫氏は、偉大な功績を残した父親とは真逆で奇異な行動が目立ち、警察沙汰まであった問題児だったことがわかります。朝夫氏は亜星さんとは絶縁状態で、没後は父親の大きな遺産をめぐり反論、義母と大揉めの様相が世間の注目を集めています。
遺産をめぐるトラブルの行方が亜星さん没後にわかに話題となってしまいましたが、亜星さんの名を汚すことのないような結末を期待しています。

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