貴乃花と宮沢りえの馴れ初めから婚約破棄に美川憲一が明かす真相

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貴乃花アイキャッチ


今から25年以上の年月を経てそれでも記憶にしっかりと
残る華々しい当時の角界のプリンス貴乃花と売れっ子
モデルやタレントとして活躍中だった宮沢りえの婚約発表。

誰もが羨む婚約に二人の華々しい活躍に見合った似合いの
夫婦誕生を思わせる発表だった。

だが事が一転するのはそれから2ヶ月後、相思相愛に
しか見えなかったお似合いの2人は急転直下で婚約
破棄の発表をする。

当時の世相を担ぐ程の人気者の二人にいったい何が
あったのか?

馴れ初めから婚約、婚約破棄へとならざるを得なかった
当時の貴乃花と宮沢りえのあの時の真相をもう一度
追ってみようと思います。

貴乃花と宮沢りえの馴れ初め

現貴乃花親方と今や大女優となった宮沢りえの
当時の人気は同世代だった故ハッキリと記憶に
残っています。

私の記憶が確かであれば確か既に角界のプリンスと
して若貴フィーバーで大人気だった貴乃花と同じく
モデル出身で「サンタフェ」など世間を騒然とさせる
程の当時では大胆かつ斬新なアイデアで宮沢りえは
売れっ子芸能人として今駆け上がっている誰もが
知る若手有名人だった。

若貴りえ
出典:http://www.jprime.jp/articles/-/10116?page=2

そんな同年代の二人は雑誌の対談で知り合ったのが
最初の馴れ初めだったと思う。

貴乃花が1歳年上で見た目も人気も申し分の
無い二人でした。
貴りえ
出典:http://bodychen.com/502.html

その雑誌の対談後同年代という事でも意気投合した
二人はドキュメンタリー番組でも当時の若貴兄弟と

りえとの三人で船の上から飛び込んだりしながら
若者らしくはしゃいで

「りえちゃん!」

「こうちゃん!」

呼び合って笑った姿が印象的でした。

当時は若貴として鳴らした兄弟仲も本当に良くって
三人でふざけて楽しそうにする普通の若者と言った
感じが今とは天と地ほど違う姿で尚更懐かしく思います。

ただこの船のドキュメンタリー映像は婚約発表後
だったのかそれ以前だったのか記憶が定かでは
ありません。

でも二人共が人気力士と人気女優と言う事を
抜きにしてもとてもキラキラして本当に楽しそうで
本当に笑顔が輝いていた姿が今振り返ると尚更
印象的です。

貴乃花プロフィールと当時の人気ぶり

四股名   貴乃花光司(たかのはな こうじ)
生年月日  1972年8月12日(45歳)18年2月
出身地   東京都杉並区
身長    183㎝
体重    150㎏
血液型   O型
最高位   第65代横綱
所属部屋  藤島部屋→二子山部屋

当代きっての人気力士初代貴ノ花を父に持ち母親は
元女優の藤田紀子で兄に元横綱の若乃花(現花田虎上)
叔父に父親の兄である初代若乃花という由緒正しき
角界のプリンスとして華々しく相撲界にデビュー。

花田家
そして人気の源となったのは何より血統に負けない
実力と整ったルックスに兄弟そろっての力士誕生と
して『若貴フィーバー』なる人気は凄まじい人気
で相撲ブームの一世代を作ったと言っても過言では無い。

サラブレットとして注目されながら実力は折り紙付き
数々の最年少記録を打ち立て20歳で大関、22歳で
横綱へと駆け上がり当時頂点におり盤石の強さを誇った
元横綱の故千代の富士を引退にも追いやった。

若貴

その時の大一番や兄弟対決。そして周囲の反対を押し切り
出場した膝の怪我を押して出場した武蔵丸との優勝決定戦。

まさに鬼の形相と言われたあの千秋楽での見事で豪快な
上手投げ、当時の小泉総理に

『痛みに耐えてよく頑張った。感動した』と日本中が
間違いなく貴乃花という大横綱を認める存在であった
力士です。

途中宮沢りえとの破局や洗脳疑惑、兄との不仲説に
母親の不倫問題など様々なスキャンダルに見舞われ
ながらも、最後まで自身の相撲道を生粋のガチンコ相撲
を守り抜いた事で証明した平静の大横綱と言われるに
相応しい活躍を経て現在に至る。

宮沢りえの当時の人気

対する宮沢りえの人気も物凄い人気だった。

今の女優で言うところの広瀬すず的な立ち位置で
彼女と一つ違った所があるとすれば何より絶対に
大女優にするべく事を目標とする母親(りえママ)
が彼女には寄り添っていたこと。
宮沢りえ

プロフィール
氏名   宮沢りえ(みやざわ りえ)
生年月日 1973年4月6日(44歳)18年2月現
出身地  東京都練馬区
身長   167㎝
血液型  B型

日本人の母(りえママ)とオランダ人の父との
間にハーフとして誕生。

11歳でモデルデビューし、その後セブンティーン
の表紙を飾った事で注目を集める。

CMでは「三井のリハウス」初代白鳥麗子を務め
注目を集めスターの階段を駆け上がる。

その後17歳で「ふんどしカレンダー」で話題となり
18歳で篠山紀信カメラマンに「サンタフェ」でヘア
ヌード写真集を発売して奇抜ながら彼女の若さと美貌で
当時はかなり話題となる。

これらをけん引したのが当時からりえのマネージャー
として常に寄り添ってコントロールしていたりえママ
の存在が大きいと言われている。

この時の人気絶頂の超の付く世間の誰もが認める
美少女にヘアヌードを進めて、結果的には神がかった
美しさから人気を後押しした形となった「サンタフェ」
ではあったがこれを後押ししたのはりえママ本人だと
言われている。

宮沢りえを売り出した敏腕マネージャーとしても
有名だった。

貴乃花と宮沢りえの婚約発表

そんなこんなの二人の婚約発表は1992年
11月場所直前に婚約発表
をした。

婚約会見
出典:https://www.daily.co.jp/gossip/2018/01/26/0010932286.shtml?ph=3

宮沢りえ19歳。貴乃花20歳の時。

当時の二人の人気からしたら世間がどれほど
騒然としたのか想像も付かないだろうが物凄い
勢いで日本中に衝撃を与える発表となったことは
間違いありませんでした。

婚約
そしてそんな喧噪の中二人の幸せそうな笑顔が
本当にキラキラしていて素敵だったこと。

今でも記憶に残る程の若くて才能溢れるの本中の
人気者だった二人のまがいもない人生においての
美しい一コマだったことに違いは無いでしょう。

貴乃花と宮沢りえの婚約破棄

でもこの後わずか3か月たたずの2か月後の
1993年1月に婚約破棄の発表をします。

これも本当衝撃的でした。

と言うかショックでしたね。

この会見で貴乃花が言った発言が後の破局の真相を
考えると心臓がえぐられるような感覚を覚える程
何故?と思ってしまいます。

貴乃花は全てを庇って自分が悪者になっても
構わない覚悟でこう発言しています。

『連絡も取ってないし、会ってもいません』

『彼女への愛情がなくなりました』

この会見は貴乃花が史上最年少での大関昇進となった
同日に発表しています。

りえはこの二日後に

『残念です』と破局を認める会見をしています。

貴乃花と宮沢りえを破局させたのは美川憲一?

この急転直下と言っても過言でない日本中を熱狂
させる二人の急な婚約発表から婚約破棄までの
破局に貴乃花の言う『愛情が亡くなった』
まんま受け止めた人は早々いないでしょう。

誰もが不可解に思いながらこの20年以上を過ごす
中芸能界のご意見番と言われる美川憲一が2014年に
なって『私が二人の仲を壊した』と発言するのです。

美川さん曰く、人気絶頂にあった宮沢りえの貴乃花
との結婚を壊して欲しいとりえママに頼まれて自らが
説得したことを認める発言をしたのです。

『頼まれて、ぶっ壊したのよ、私が・・・』

そう発言して、世間をまたも騒然とさせたのです。

まぁ貴乃花の『愛情がなくなった』が本当とは
思ってなかったですが・・・

19歳のりえと20歳の貴乃花のあの幸せそうな笑顔
を思い出すとよくぞ婚約破棄などという重い留まる事
が出来たものだな~と思ったりもします。

宮沢りえにとってのりえママは絶対が真相

本当の真相は結局母親(りえママ)にあると思います。

当時一卵性親子と言われる程の親子を超えたりえの
プロデューサーとしても間違いなく力を発揮していた
りえママ。

自らが女優としてなりえなかった夢をりえに託すべく
絶対大女優にしたかった彼女は通常の母親とは全く
考え方が違います。
りえママ
出典:https://www.daily.co.jp/gossip/2014/09/25/p1_0007361617.shtml

もちろん娘としての愛情もあったとは思いますが
親子としてより女優としてのりえを一端にすることに
最も何が一番なのかを考えていたと思えるのです。

それが証拠に結局17歳での「ふんどしカレンダー」
18歳になりたてのヘアヌード写真集『サンタフェ』

その後女優として駆け上がる為にも利用できると見込んだ
相手やプロデューサーなどには

『○○さんには力がある。一晩共にしてきなさい』
りえに枕さながらを進めていたと言われている。

それは過去カップヌードルのCM共演をした北野たけし
にもCM撮影で訪れた現場での出来事でエピソードと
してこんな事が残っている。

海外ロケで泊まったホテルに深夜、突然りえが
『ママに言われて来た』と現れた。たけしはりえを
傷つけないように『早く帰って寝なさい』と帰したんです。
母親自ら娘の“枕営業”を勧めるわけですから、さすがの
たけしも、りえママのパワーに脱帽でしたよ」
出典:http://topicks.jp/14424

こんな事想像しただけで泣けそうです・・・汗

宮沢りえは間違いなくりえママがプロデュースした
最高傑作だと思います。

りえはママにとっても若い頃から忠実だったそうですので

でもこの親子関係こそが涙をこらえても婚約破棄に至った
一番の原因だった。

そう思えて仕方ありません。

奇しくもりえママ事光子さんは2014年9月23日に肝腫瘍の
ため死去
された後に暴露していることからあながち説得役と
して破局させる役目を担った事は間違いではないでしょうが
一番の真相はやはり『りえママ』にあった。

貴乃花との結婚よりもママを取ったりえ・・・

その後二人は現在に至り別々の家庭や子供を持ちますが
お互い未だ世間の注目にさらされる中どう相手を見ている
のでしょうね。

おわりに

切なすぎる二人の破局の真相が分かれば分かる程人間全ては手にできないようになっているのかな~と思えて仕方ありません。あの時もし反対を押し切って二人が一緒になっていたら~そう想像しずにはいられない程当時の二人は本当に素敵だったし幸せそうでした。その後何度見てもあの笑顔を超える顔を見る事は出来ていない気がしてなりません。

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