小泉純一郎の三男画像が激似!再会願うも姉信子拒否のシスコン疑惑

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小泉純一郎アイキャッチ

歴代総理の中でも平成時代に活躍した総理として
抜群の存在感と、ある種のカリスマを持った元総理
小泉純一郎氏。

政治家としても若い頃から清廉潔白なイメージの強い
彼ですがプライベートでは、また違う一面が闇として
語られる事があります。

それは小泉純一郎氏の実の息子三男の存在と、元嫁との
若い頃の関係です。

姉信子さんらに支えられた政治家人生を全うした小泉
純一郎氏の三男との関係や姉信子氏とのシスコンとも
言える力関係など、小泉純一郎氏の闇の部分をクローズ
アップしたいと思います。

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目次

小泉純一郎元総理の闇

衆議院議員の小泉進次郎さん「38歳」が元フリー
アナウンサーの滝川クリステルさん「41歳」と
結婚し、小泉家には幸せな話題が舞い込みました。

しかしその一方小泉家には表には出る事のなかった
三男の宮本佳長さんの存在がありました。

三男と父小泉純一郎さんは26年もの間、絶縁関係に
あったといいます。

総理としても歴代総理の中でも吐出した人物として
語られ、そして世襲政治家の跡継ぎとして小泉家を
率いる進次郎を持ってしても、父親として愛情深く
育ててくれたと言わしめる小泉純一郎元総理。

ただ今回の進次郎氏の結婚発表でも、並み居る報道陣の
中で誰一人、その生き別れした母親の存在や弟の存在を
聞く人物はいませんでしたが、報道では、かなり元嫁と
まだ産まれぬ、我が子、三男佳長さんには、どれほど
過酷な対応をしてきたことか。

それはそれは冷酷な態度をとったと言われています。

元々エスエス製薬の創業者の孫であった宮本佳代子さんは
結婚すると同時に、小泉家に入るも20歳も年の離れた
小姑(義姉)や義弟、それに姑、舅の義家族と同居。

まだ20歳そこそこのお嬢様だった佳代子さんが、生活費
ですら義理姉の信子さんらにお願いして貰う形の新婚生活
がスタートしたと言います。

その中での生活も、義理姉らの言うことは絶対服従。

「口答え一つ許されない絶対服従関係」を強いられたと
言います。

当然わずか5年での結婚生活に終止符を打つときも佳代子
さんは、まだ幼い孝太郎と進次郎の親権も調停で争いましたが
結局跡取りとなる二人を小泉家にとられ、生き別れになります。

その後、離婚当時まだお腹の中にいた三男の佳長さんまで
親権を争って、小泉家にとられそうになるも何とか三男
佳長さんだけの親権は勝ち取る事が出来たのです。

とは言え、お腹を痛めて生んだ我が子で可愛い盛りの
孝太郎と進次郎との生き別れを振り返り、

『一生分の涙を流したと思います』と佳代子さんは
言っています。

そこまでして取り上げた長男と次男、そしてその小泉
純一郎氏にも生き別れどころか生まれる前から別れる
事となるわが子に、その後政治家を引退するまでは絶対
に会わないと決意して、三男からの『会いたい』にも
決して答える事がなかったのは知られた事実です。

これを小泉家の姉らが許さなかったにしても・・・

離婚の原因には、どちらかが一方的と言うことは
恐らく考えにくく二方に問題があって別れを選んだはず
子供には何一つ罪が無いにも関わらず、その信念を貫き
通した小泉純一郎氏は、やはり、よくも悪くも只者では無い
人物なのは間違いないでしょう。

今も語られる小泉家の闇の部分ですが、今回の次男
進次郎の晴れの席でも、ただの一言も
『母親への報告は?三男への報告は?』の一言も
マスコミから無かった事が、何かしら小泉家に忖度
しているのか?と後に言われるほど不自然だったと
言われています。

確かに、ただの一言も自分を生んでくれた母親に報告
しない息子がこの世の中にどれほどいるでしょう。

そう考えたら、マスコミも政治家としての小泉家にも
空恐ろしいモノを感じてしまいます。

小泉純一郎の三男画像が1番父親似

小泉純一郎さんが総理時代には、散々報道されて
ご存じの方も多いと思います。

詳しくは後述しますが二人の離婚当時に当時の妻だった
佳代子さんのお腹にいたのが小泉純一郎元首相の三男
なる佳長さんなんですね。

現在、出回っているわずかな画像を見ると確かに
目元や顔の輪郭父親にそっくりです。

私の当時、小泉純一郎氏が現役総理大臣の時に
出回った三男の画像は、驚くほど長男や次男とは
次元の違うレベルで父親に瓜二つと言っても過言
ではないレベルにそっくり。

間違いなく三兄弟のなかで一番父親に似ています。

そして不思議な事に、父小泉純一郎氏の手元に残った
孝太郎さんと進次郎さんが、別れた母親に似ている
と言う運命の悪戯のような事実・・・

DNAの不思議を感じるほど、瓜二つの親子は、三男の
佳長さんが、まだ母親の佳代子さんのお腹の中にいる
時に離婚が成立した事から、完全なる生き別れ状態
となっていたのです。

当時は出回った画像も今では佳長さんが一般人で
あることを考慮して画像を削除されたのか、冗談
みたいにそっくり。

まるで運命の悪戯のように、あんなに生き写し状態
に似た親子の、両親離婚後の佳長さんにとっては
数奇な運命を紹介しましょう。

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小泉純一郎と三男の悲劇

元総理の純一郎さんが既に30代で衆議院議員を
していた頃、青山学院大学在学中の佳代子さんと
出会い結婚しました。

政略結婚というわけではなくお見合いをした時に
ピンとくるものがあり、純一郎さんからプロポーズ
をしたそうです。

高学歴で美しい女性ですので純一郎さんが好きに
なるのも頷けます。

結婚後、孝太郎さんと進次郎さんの二人を出産
しますが、お腹に佳長さんを宿したまま離婚
してしまいます。

信子さんと言えば政治家の小泉家でも有名で、佳代子さん
と離婚後の政治家、小泉純一郎のその生涯を、彼女自身も
生涯を独身で通して支えた事で知られる女性です。

小泉純一郎氏で二代目だった政治家一家の中でも信子
さんは小泉家の5人姉弟の三女でした。

小泉純一郎元総理の父親であり防衛庁長官を務めた
小泉純也さんの秘書を務め、父親の死後は弟であり
後の総理となる小泉純一郎の秘書を30年務めた女性です。

そして何より元嫁佳代子さんと離婚後の、まだ当時
幼かった二人の息子、孝太郎と進次郎を母親代わりと
なって育てたのも姉の信子さんだと言われています。

しかし、この小泉純一郎と元嫁佳代子さんの、早すぎる
離婚もまた、この姉信子さんの小姑問題が原因だったと
言われているのです。

離婚理由は冒頭でも述べましたが、小姑の信子さんらの
言いうことは絶対服従状態にあったようです。

裕福な家庭で若く美しい箱入り娘の佳代子さんの
一挙手一同が気に食わなかった信子さんと二人は結局
その後確執が生まれて、それが元で二人は離婚となった
と言われています。

もしご主人である小泉純一郎さんに姉に何を言われようと
まだ若い妻を守る気概があれば、運命は変わっていたかも
しれません。

ですが純一郎さんは、政治家としての自分を支援してくれる
信子さんの意志を否定することは出来ませんでした。

佳代子さんは愛していた人を頼れず、自宅にはとても
厳しい姑がいて苦労されていたのでしょう。

お腹に命が宿っている時でしたので、離婚するにも相当
悩んだのだと思います。

それでもこのままでは自分が駄目になると感じ離婚し
三人目の子供である佳長さんは、両親の離婚後は、その後
どれほど父親との面会を熱望しても小泉家と絶縁状態に
なります。

小泉純一郎に再会願うも姉信子が拒否した理由

三男の宮本佳長さんは佳代子さんのお腹から生まれた
小泉孝太郎さんらと同じ血を引く正真正銘の小泉家の
一族です。

それはもう、顔を見たものなら、生き写しとはこの事か?

と思うほどの激似状態の父子です。

否定のしようもないでしょう。

しかし母親の佳代子さんが父親の純一郎さんと離婚してから
約30年にも及ぶ長きに渡り小泉家との関わりが絶たれてしまいます。

佳長さんからしたらテレビで見る政治家の父親が血の繋がった
家族と知れば尚更、会いたい気持ちが強くなるのは当然の事でしょう。

両親が離婚した後のある日のこと父親と二人きりで
会いたいと純一郎さんの事務所に電話します。

しかしこの当時、信子さんは家内の取りまとめだけでなく
元総理の秘書もやっていました。

そのため、あろうことか父親に会いたいと熱望する
三男佳長に直接こう言い放ったと言います。

「血は繋がっているけど親子関係はない」
と冷たくと言い放ちます。

何故、純一郎さんの実の息子に冷たく接したのか
詳しい理由は分かっていません。

ただ20代の若さで嫁いできた佳代子さんを、あまり
好きではなかったという情報があります。

今のところ想像するに母親と信子さんとの二人の間に
人間関係のトラブルがあったとしか言えませんね。

その後、絶縁状態は続き小泉家の人間と再開できたのは
純一郎さんが政界を引退した2008年でした。

純一郎さん本人は今更会えないと辞退しましたが、せめて
兄弟3人だけでも会わせてやりたいという思いが強かったようで
「お前達は三人兄弟だから仲良くすればいい」と兄弟の再会を
許可してくれます。

そして2010年ようやく父と子は感動の再会を果たしました。

佳長さんはこの場で父親のことを「お父さん」
言うことが出来たそうです。

まさに親子の感動の再会ですね!

かなり今更感が満載ですが・・・それも総理大臣にまで
昇りつめた政治家小泉純一郎氏の決断だったとしたら
多少なり姉信子さんの目論見があったにしても、佳長
さんにとっては何とも数奇な運命だな~と思わざるを
得ません。

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小泉純一郎はシスコン姉弟仲で有名だった

話は戻りますが、小泉家の三女である信子さんは
父親の純也さんを秘書としてサポートした後、今度は
純一郎さんの秘書を買って出ます。

ここには政府で重職をしてきた祖父と父の跡を継ぐのに
相応しい人物に育てようとする彼女の強い意志がありました。

純一郎さんは最初から政治家になりたかったのではなく
家族と同じようになることを義務付けられていたんですね。

そして彼が議員に更には一国の総理になってからも
信子さんの教育は続きました。

「政治指南兼、母親代わり」

として信子さんは懸命にサポートしますが、それは
純一郎さんを自立させることとはかなり違いますね。

ある程度の年齢になったら自分で考え自分の行動に
責任を持たせるのが普通。

公邸にも一緒に住み朝食から夜食まで準備し、時には
米国大統領に会う為の服装まで指南したのだとか。

付きっきりで面倒を見てもらうのが普通になった
純一郎さんは、何かに付けて姉信子さんがダメだと
いうことには本気で拒否することはなかったのでは
ないのかもしれません。

こうしたことが一国の総理まで経験した人物がシスコンと
噂される原因に繋がったようです。

正直、嫁の立場としては、たまったものではありません。

やはり、少し厳しい言い方をすれば、当時まだ幼い
孝太郎、進次郎に至っては確か2歳くらいの乳幼児を
別れる夫の手元に置いての離婚がどれほど、佳代子さん
を苦しめたのか。

想像を絶する苦しみを味わってその後、誕生する父なし子
として育った佳長さんの、成長と共に別れた夫に激似の
目鼻立ちも、何とも言えない気持ちになった事でしょう。

おわりに

長年絶縁状態だった家族との再会、本当に良かったですね。佳長さんや佳代子さんにはそれぞれ幸せな人生を歩んでもらいたいです。


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