徳川家康の側室一覧とその血筋!正妻含む子供の数と女の好みは想定外

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徳川家康アイキャッチ

NHK大河ドラマ「どうする家康」(松本潤主演)で注目される徳川家康は、「関ヶ原の戦い」によって天下統一を果たし、約260年もの間存続する江戸幕府を開いた人物として有名です。

戦国時代の最後を手にした徳川家康の側室一覧とその血筋から、家康の女の好みが見えており注目されます。

徳川家康の側室一覧とその血筋、正妻含む子供の数、女の好みは想定外をお伝えします。

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目次

徳川家康プロフィール

氏名:徳川家康(とくがわ いえやす)
幼名:竹千代
出身:岡崎城
父親:松平広忠(松平清康)
母親:緒川城主水野忠政(大子)
時代:戦国時代~江戸時代初期
生誕:天文11年12月26日
死没:元和2年4月15日(73歳没)
氏族:松平氏→徳川氏
幕府:江戸幕府初代征夷大将軍
妻:正室:築山殿、継室:朝日姫、側室多数

徳川家康の側室一覧と血統

1600年関ケ原の戦いで天下を取り、その後260年以上も続く徳川幕府と言う長期政権を生み出した徳川家康。

様々な伝説を残した家康の性格は実に忍耐強く、あの時代においてもかなりの健康志向が強かった将軍として語り継がれています。

そんな緻密で忍耐強かった家康の女性関係は一体どれほどの側室を抱えていたのでしょう。側室の一覧とその数を見れば一目瞭然…

徳川家康の側室は記録に残るだけで実子と養子とで38人いたといわれています。

側室には有能な女性が多く、家康は秘書やお金の管理といった仕事を任せたこともあったとか。

主な側室を一覧にしています。

西郡局(にしこおりのつぼね)
三河武士・鵜殿長忠の養女。彼女は熱心な日蓮宗信者だったという。
※二女・督姫(とくひめ)
北条氏直に嫁ぎ、氏直死後は徳川に仕えた武将池田輝政と再婚。

お万の方
愛知県知立市の神職の娘。家康の側室として浜松城に住む。子の秀康死後出家。
※二男・結城秀康(ゆうきひでやす)
後に豊臣秀吉の養子となり下総国の結城氏を継いだが病で34歳で死去。

お愛の方
母の実家の三河武士・西郷氏に嫁いで夫の死後、家康の側室に。美しく人望があったという。
※三男・秀忠
家康の嫡男とされ、豊臣秀吉から「秀」の字を与えられ、徳川2代将軍となった。
 四男・忠吉
尾張の国清州城主となるが28歳で死去。

阿茶局(あちゃのつぼね)
武田の家臣で甲斐の武将・飯田直政の娘。夫の没後家康側室となった。子供はなかったが家康から信頼される存在だった。

お竹の方
武田の家臣・市川昌永の娘という説などがある。
※三女・振姫(ふりひめ)
陸奥国会津城主蒲生秀行に嫁ぎ、秀行死後紀伊国和歌山城主と再婚。

下山殿
武田信玄の娘婿で、武田滅亡後家康に味方した穴山信君の養女だったといわれる。
※五男・信吉(のぶよし)
武田信玄の娘で穴山信君おの正室・見性院の養子として、甲斐の穴山武田氏を継ぎ21歳で死去。

お久の方
小田原北条氏家臣・間宮康俊の娘とされ、家康が江戸に移った後側室となった。
※四女・松姫
伏見生まれ、4歳で死去。

茶阿局(ちゃあのつぼね)
政治に関しても聡明で家康に仕え、大名や公家の取次といった仕事もしていたという。
※六男・忠輝
江戸生まれ。家康とは仲が悪く死去した際も面会が許されなかったという。
 七男・松千代
江戸生まれ。6歳で死去。

お亀の方
岩清水八幡宮(京都府八幡市)の神職の娘。駿府城や名古屋城で暮らす。
※八男・仙千代
家康重臣の平岩親吉の養子になったが6歳で死去。
 九男・義直
名古屋城で徳川御三家の尾張徳川家の祖となる。家康同様学問を好み家康から譲られた書物を元に優れた古典を公開する図書館「蓬左(ほうさ)文庫」を設立。

お万の方
上総国勝浦の城主・正木邦時の娘とされる。側室となり伏見城や駿府城に住む。熱心な日蓮宗信者で、仏門に入り家康の供養をしたとされる。
※十男・頼宣(よりのぶ)
駿府城主から紀伊国和歌山に移り、徳川御三家の紀州徳川家の祖となる。
十一男・頼房
子を失くしたお勝の方の養子となる。徳川御三家の水戸徳川家の祖とされる。

お勝の方(おかちのかた)
小田原北条氏の家臣太田康資の養女。聡明で駿府大御所時代の家康を支えたという。
※五女・市姫
伊達政宗の嫡男・忠宗と婚約したが4歳で死去。家康66歳の時の子。

家康はこの他にも多くの側室を抱えますが、その多くが身分の低い女性だったといわれています。

徳川家康の正妻たちの血統とは

徳川家康の最初の正室は、今川氏一族の娘だった築山殿(つきやまどの)でした。

彼女は生年不詳(1542年、1540年の説がある)で、父は今川氏の一族関口義広、母は武将今川義元の妹という説があります。

築山殿は1557年、今川家に人質にとられて駿府にいた松平元信(のちの家康)と結婚、1559年に長男信康、翌60年に長女亀姫を出産しました。

織田信長に当時敵対していた武田方との内通を疑われ、「信康と武田氏が秘かに手を握るべく動いている」という疑惑を抱かれることとなり、家康の命を受けた家臣によって1579年佐鳴湖畔(現浜松市)で暗殺されています。(長男信康も父の家康と対立し自害)

築山殿の死後に嫁いだ2人目の正妻は、豊臣秀吉の異父妹の朝日姫。

朝日姫は1543年に誕生、佐治日向守の妻でした(副田甚兵衛または副田吉成の妻とも)が、小牧・長久手の合戦後、天下人となった秀吉が家康を臣従させるため、朝日姫を離婚させ、家康に嫁がせました(1586年)。

家康との間に子はなかったといいます。

この2人の正妻はいずれも家康にとって主君の血縁の女性だったことがわかり、政治的なつながりが深かったと思われます。

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徳川家康の子供達

徳川家康には16人の子ども(11男5女)がいました。

そのうち、正室の子は2人(1男1女)のみで、他の14人はすべて側室が産んでいます。

二代将軍となったのは3男の徳川秀忠(側室お愛の方の子)で、その息子が3代将軍家光、7代将軍家継まで、秀忠の直系が徳川宗家として存続しています。

260年続いた江戸幕府終焉まで代々将軍を徳川家が世襲しており、そのためには多くの側室、また子供が不可欠だったことは当然かもしれません。

16人の子の中でも「徳川宗家」を継いだ子のほか、分家である「徳川御三家」を継いだ子があったことが知られておりいずれも側室の子であることに驚きます。

7代家継の夭逝で、家康の命により「徳川御三家」が創始され、次期将軍が選出されていきます。

(尾張徳川家~9男義直創始・紀州徳川家~10男頼宣創始・水戸徳川家~11男頼房創始)が、家康の時代を創っていったのは子供達であったといえそうです。

徳川家康の側室選びの基準に絶句

徳川家康の側室選びの基準は、身分が低い事と、子供を出産した経験があることだったようです。

側室には未亡人や再婚者、子持ちの女性が並び、とにかく子供をもうけることができることが条件だった為過去に出産歴がある女性を好んで選んでいたと言われています。

家康はまた、身分の低い武士の娘を側室としており、身分の高い正室たちに比べて解放感があったのではとも噂されています。

正室築山殿は今川義元の姪で、継室朝日姫は豊臣秀吉の妹という血筋ですから、家康にはかなり窮屈な関係であったこととは十分に察せられます。

とはいえ、側室たちには聡明な女性も多く家康の審美眼にかなった女性であったことが想像できます。

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徳川家康が溺愛した女

側室たちの中には、徳川家康が溺愛した女がいたといわれています。

一人は阿茶局で、家康に信頼されるだけでなく、二代将軍秀忠も実母のようにしたっていたとか。

阿茶局は今川家の家臣に嫁ぎ2人の息子をもうけましたが夫を亡くしています。

物品の商いをしていた浜松城内で家康と出会い25歳で側室に。子供がなかったそうですが、馬術や弓術もでき、戦乱の場でも才覚を発揮したといいます。

「大坂冬の陣」(1614)で豊臣氏との和平交渉という難しい任務もこなし、数々の戦に同行したとされています。

もう一人は、お勝の方で、これも大変賢い女性だったそうです。「古老諸談」によると家康が家臣たちと語らっていた時、「この世で一番美味しいものは何か」と尋ねると、お勝の方は「塩でございます。」と答えたそうです。

その理由について「美味いという基準は塩加減」とし、どんな料理も塩加減なしには味がととのうことはないのだと答えたとか。

逆に家康が「一番不味い食べ物」を問うと、お勝の方はまた「塩」と答えます。

お勝の方は、不味い基準も「塩加減」とし、「どれほどよい料理であれ、塩を入れすぎますと食べることなどかないませぬ。」と答え、周囲は深く聞き入ったといいます。

家康は身分が低くとも、戦にも連れていけるほどの才覚ある女性や知性ある女性など、美しさだけに留まらぬ才能ある女性を好んだということがいえるでしょう。

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おわりに

徳川家康の側室一覧とその血筋によると、側室は20名といわれ身分の低い女性が多かったようですが、正妻含む子供の数は16名、長い徳川政権を支えた重要な役目があったことがわかります。
側室選びの基準が想定外で、身分の低いことと子供を生めることということのようですが、茶阿局やお勝の方のように溺愛した女性はいずれも高い聡明さで知られていたといえます。徳川家康の側室の多さと子供達の行方にこれからも注目が集まりそうです。


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