イサン正祖の実在の生涯!ソヨンとの出会いと波乱万丈の生い立ち

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イサン

大人気の韓国ドラマ『イ・サン』の主人公の
モデルとなった22代王正祖(チョンジョ)。

彼の抱えた美しい側室たちとの作品で多く
取り上げられ人気ですが、実在の正祖の生涯にも
注目が集まっています。

イサン正祖の生い立ちには父親の哀れな死があり
彼の人生に大きな影響を与えており、彼の死も
また陰謀による疑惑が浮上しています。

また最愛の側室とされたソヨンという女性にも
関心が寄せられています。

イサン正祖の実在の生涯、ソヨンとの出会いや
正祖の波乱万丈の生い立ちについてお伝えします。

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正祖プロフィール

廟号:正祖(チョンジョ)(第22代国王)
王朝:李朝
生年月日:1752年10月28日
没年月日:1800年8月18日
在位期間:1776年4月17日~1800年8月18日
父母:荘献世子(実父・思悼世子)・恵慶宮洪氏(実母)
姓・諱:李祘(イ・サン、이산)

イサン実在の生い立ち~父親の死とその原因

チョンジョ正祖は1752年、父サドセジャ(思悼世子)
母ヘギョングン(恵慶宮)の間に産まれます。

幼い頃から聡明だった彼は祖父で21代王英祖に溺愛
されますが彼の父親サドセジャとの親子関係は上手く
いきませんでした。

英祖の息子で通常なら間違いなく22代目の王は孫の
正祖ではなく父親のサドセジャが22代目となるはず
だったのです。

悲運の王子ともいえるサドセジャは父で21代王
英祖の決断によって命を落とします。

正祖が10歳の時、父親が祖父である第21代王英祖
(ヨンジョ)により米櫃に閉じ込められ餓死します。

「米櫃事件」として有名なこの事件は、悲劇の
王子サドセジャと聖君と言われた英祖の親子の確執と
朝鮮王朝ならではの党派争いの象徴として後世に残る
悲劇として現代に語り継がれています。

英祖42歳の時にサドセジャは生まれており、7年前
長男を10歳で亡くしていた英祖にとってサドセジャは
待望の息子でよき後継者だったのです。

当然、大事に育て途中までは親子関係も良好でしたが
英祖が時の権力派閥老論派ではなく敵対する小論派に
傾いたことで確執が生じます。

賢君英祖を擁立したのが老論派であったため、
サドセジャの存在に危惧を抱いた彼らはサドセジャを
陥れようと企みます。

英祖もサドジャに厳しく接するようになり、奇行
繰り返し乱心していくサドセジャに見切りをつけ
自害を命じます。

英祖は慟哭し謝罪する彼を米櫃に閉じ込め、とうとう
8日目に僅か27歳でサドセジャは餓死し生涯を
閉じたのでした。

時の権力者朝鮮王朝の世子として誕生した男の
儚くも悲運の王子と言われる由縁です。

また当時既に、サドセジャの息子である22代王
正祖は10歳でこの当時の祖父がした実の息子(父)
殺害となった「米櫃事件」を克明に覚えているでしょう。

実在ではどうだったのか分かりませんがドラマ「イサン」
ではこのシーンを泣き叫んで祖父である英祖にイサン正祖
が米櫃から父を出してくれ、と何度も懇願するシーンが
あります。

実在の幼かった正祖も父サドセジャの後ろに
膝ま付き
「どうか父を許してください」と祖父英祖に
懇願した、と言われています。

泣いて祖父に懇願していたとしても、恐ろしくて
出来なかったとしても、当時を10歳とはいえ幼少
から利発だったと言われる正祖が何が起きているのか
理解できなかったはずがありません。

こうした事件(背景)からも早世したサドセジャも
過酷な運命の人ですが、それらを目の当たりにして
祖父との関係を生き、そうした宮廷での権力闘争
の中22代王として生きたイサン正祖の苦しみは
如何ほどの物だったのか想像を絶する生涯だったと
言えるでしょう。

イサンが22代正祖となった後の粛清

父であるサドセジャを亡き者として、王位継承を
その息子であるイサンへと育てた21代王英祖。

朝鮮王朝520年余りの間27人の王がいましたが
その中でも一番の長期政権を運営したのが英祖
です。

歴代国王の中で52年もの政権を牛耳った英祖も
83歳でその長寿を全うさせます。

その後を継いだ正祖は24歳で第22代王として即位。

1776年、正祖が即位して敵対する老論派を前に
最初に放った言葉がコレだったそうです。

「余は、思悼世子の息子である!」

それまで英祖の手前決して口にする事のなかった
言葉を開口一番で口にしたと言います。

この発言が意味する事、それは父サドセジャ思悼世子
を陥れた者は絶対に許さない、と宣言したも同然。

その後、真っ先に行ったのが父サドセジャを
死なせた当時実権を握っていた老論派の官僚
たちへの復讐でした。

彼は老論派の官僚たちに厳罰を与え、中には処刑
された者もいたそうです。

正祖即位後は優れた若手の官僚登用を行うなど
多くの政治改革に着手します。

歴代王についての書や公文書を保管する官庁の
規模を広くし統治拠点とし、さらには不本意な
死を遂げた父親の名誉回復を図ろうとします。

おかげで父親のサドジャに「チャンジョ(荘祖)」
という尊称が追加されることとなり、墓も格上げされ
立派なものとなり、風水思想により父の陵をスウォン
(水原)に移されました。

現在世界遺産になっている水原のファソン(華城)
は正祖の父サドセジャの墓の移動に伴い築城された
ものであり、正祖がいかに父親を慕っていたかが
わかります。

だからこそ、祖父であり21代王英祖が父へした行為
をどんな想いで長年こらえていたのでしょう。

彼は母親も大事にしたと言われ、正祖が韓国での
絶大な人気を誇る理由はの歴代王屈指の親孝行
だったからといわれ多大な尊敬を集めています。

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イサンと実在のソヨンとの出会い

ソヨン
イ・ビョンフン監督のドラマ『イ・サン』
正祖の悲劇の側室として新たに現代に注目
されたのがソヨンでした。

正祖と実在のソヨンのモデルとなったウィビン
・ソンシ
との出会いは、彼女が10歳の時でした。

正祖には正室の他に4人の側室がいたといい、その
一人がウィビン・ソンシでした。

正祖に最も愛された人物として知られ、他の
側室はほぼ名家出身でしたが彼女だけは宮中から
正祖が直接選んだ側室だったといいます。

女官であったソンシに恋した正祖は彼女を12歳で
側室に迎えたといわれています。

彼女は寵愛を受け懐妊し無事男児を出産し跡継ぎと
されるのですが、わずか5歳で、はしかにより
その子が亡くなってしまいます。

その後女児も妊娠しますが、出産前に娘共々
彼女もこの世を去ってしましました。

ウィビン・ソンシの死因は病気とされていますが、
一部では毒殺疑惑も出たといわれています。

内官に殺害されたのではないかなどの疑惑を
かけたこともありましたが、医学知識のある
正祖が自ら調合してソンシに投薬していたことも
あり噂として伝わっているようです。

一方でソンシの死後数か月目にチョンスン(貞純)
王后(2番目の側室)が、彼女が亡くなっても
「心を痛めることはない」と書いた文が残って
いるそうで、正祖の母とも親しく長男を産んだ
ソンシを妬んだ彼女にも疑惑が生じ闇に包まれています。

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イサン正祖の死因と陰謀説

とは言え、そんなイサン正祖も命を狙われ続けて
いたと言われています。

正祖も1800年に急死していますが、韓国ではすぐ
「毒殺」「陰謀説」が起こったといわれています。

1800年5月、正祖が急に倒れ療養することに
なりますが、彼は侍医の診察を拒否し地方から
名医を呼びよせて治療させています。

医者が薬を調合する様子を自身の目で確認するなど
しており、父親のように老論派により毒殺されないかと
念を入れ自衛していたと思われます。

正祖は病気が回復せず48歳で亡くなりましたが、
その後、正祖の死はチョンスン王后(貞純・英祖の
2番目の正室)による毒殺ではないかという疑惑が
浮上します。

21代王英祖66歳の時、15歳で王妃として迎えた
女性です。

この50歳以上の年齢差も朝鮮王朝時代の歴代王の
中で最も英祖が一番歳の差のある婚姻でした。

彼女は史実では聡明な女性で、正祖一族が所属する
老論派と敵対関係の小論派に近く、自身に子供が
なかったこともあり正祖排除の動機があったと
されています。

正祖の死後、実権を握った王后は、跡を継いだ
10歳の23代王スンジョ(純祖)の代理で政治を
行いますが、正祖の行った改革に逆行する内容
ばかりでした。

政敵が多いからとキリスト教徒の大弾圧を断行
するなどし近代化が後退、王朝衰退の道しるべを
作ることになりました。

他にも成均館大学・東アジア学術院などにより
公表された書状により、高官のシム・ファンジも
正祖毒殺に関与したという説が持ち上がっています。

正祖がシム・ファンジに299通もの書状を送っており
政治的に深くつながっていたといわれていますが、
正祖が破棄を命じたはずのものが200年以上を経て
派遣発見され話題になりました。

政治の裏で陰謀が多くあった朝鮮王朝でシムが
正祖の忠臣を装っていたのではともいわれ、現に
正祖の死後は彼の政治哲学を全否定したとされています。

シムとチョンスン王后は同じ派閥であり、共謀して
侍医団に正祖に毒を盛らせたという説が出るのも
当然といえるでしょう。

父親の仇討に成功し親孝行した正祖ですが、常に
強大な利権を狙う怪しい影を日々感じていたのかも
しれません。

イサン正祖が描かれたドラマおすすめがコレ!

イサン正祖と言えば間違いなく、その王を象徴する
のに大ヒットしたドラマタイトルでもある「イサン」
が有名で、もちろん名ドラマだと言う事は否定しません。

ただ聖君として今も語られるイサンですがイサンを
語る上で違った視点からみられる物でおススメの
ドラマは「正祖暗殺ミステリー8日」がおススメです。

ドラマ「イサン」とはまた違う視点から正祖の
壮絶な半生と最期までが描かれています。

最も過酷な半生を生きたと言われる正祖を描いた
ドラマとしては「イサン」程有名ではないものの
新たな正祖の人生が分かる見ごたえのあるドラマに
なっています。

  

イサンが王として政権を引き継ぎ22代イサンと
なってからの国王として描かれたおススメ映画は
ヒョンビン演じる映画「王の涙~イサンの決断」
おススメです。

無念の想いで亡くなった父サドセジャを想うも
口にさえ出せなかった父の事を
「私はサドセジャの子だ」と開口一番公言する
ヒョンビンのイサンがおススメです。

そして英祖の観点からサドセジャの苦悩、サドセジャを
取り巻く幼い息子正祖の苦悩を3代にわたり見せ場
たっぷりに描かれた映画「王の運命~歴史を変えた8日間」
もイサンを知るにはおススメの映画です。

世子である息子を自ら殺害した冷酷な王、英祖を
名優ソンガンホが、その息子サドセジャを若手
演技派俳優のユアインが、そして世祖をソジソプと
脇を固めた俳優が豪華絢爛です。

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おわりに

ドラマ『イ・サン』で脚光を浴びたイサンの実在モデル正祖は父親を若い頃亡くし、その敵討ちを胸に誓い22代王となると次々と粛清を行い、不本意な死を遂げた父の名誉回復に尽力し聖王として確固たる信頼を集めました。
最愛の側室ソヨンことウィビン・ソンシが待望の世継ぎをもうけましたが子供が早逝し、その後出産前に母子ともに亡くなっており毒殺疑惑も浮かび、正祖の急死にもチョンスン王后や高官の陰謀・毒殺説も出ており謎が渦巻いています。
正祖や美しい女性たちに彩られ、華やかに見える朝鮮王朝の裏にある様々な陰謀の行方に今も深い関心が集まっています。


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