宇野千代の若い頃から恋愛体質?婚姻歴に絶句の男性遍歴と子供は

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宇野千代アイキャッチ

『おはん』『生きて行く私』などの作品で知られ
若い頃には恋多き作家としてその多彩な男性遍歴で
知られる小説家宇野千代。

大正から平成にかけて活躍し、小説家の他にも
編集者や着物デザイナー、実業家の顔も持つ多彩な
人でした。

彼女は有名な作家や画家らとの恋愛や結婚遍歴が
伝えられており、その生涯は自身の書いた作品の
中で鮮やかに映し出されています。

宇野千代の若い頃からの恋愛体質の噂や婚姻歴、
絶句の男性遍歴や子供についてお伝えします。

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宇野千代プロフィール

氏名:宇野千代(うの ちよ)
生年月日:1897年11月28日
死亡日:1996年6月10日(98歳)
出生地:山口県玖珂郡横山村
職業:小説家・随筆家・編集者
最終学歴:岩国高等女学校卒業
代表作:「色ざんげ」「人形師天狗屋久吉」「おはん」
「或る一人の女の話」「生きていく私」
受賞歴:野間文芸賞・女流文学賞・日本芸術院賞、文化功労者など
配偶者:藤村良一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫
パートナー:東郷青児

宇野千代の若い頃から恋愛体質?

宇野千代は自身の作品でも恋愛を描きましたが
実は本人も4回の結婚に加え幾多の恋に身を投じる
恋愛体質だったと言われています。

昭和の恋多き女の代表格と言われた宇野千代は
とても惚れっぽい性分で、感性のまま後先を考えず
恋に走るタイプだったといいます。

岩国高等女学校を出て、小学校の同僚教師と
恋愛しますが、とがめられ教職を追われ故郷を
離れています。

その他、出会った当日に男性の家に出向き、そのまま
5年暮らしたり、東京で偶然会った男性に惹かれ家に
戻らないということもあったとか。

手あたり次第に恋に奔走し周囲に非難される
ほどでしたが、彼女は生涯にわたり積極的に
恋に生きる道を選んでいます。

「駆け出してしまって転んだなら、何かを掴んで立ち上がるだけ」

とその信条を伝えていますが、彼女の恋に彩られた
破天荒な人生は十分充実していたように思われます。

宇野千代の婚姻歴が絶句

宇野千代は山口県の裕福な家に生まれましたが
岩国高等女学校在学中の14歳の時、父が決めた
縁談で従兄の藤村亮一と結婚させられました。

ところが彼女は夫の弟の、忠のほうが好きだった
ためたちまち離婚。

小学校の代用教員をしますが代用教員との恋愛を
経て、藤村忠と京都、東京へ移り2度目の結婚をします。

宇野千代は大正十年、「時事新報」の懸賞小説に
藤村千代の名で一位当選し、『中央公論』に小説
第二作を送るも返事がないので上京。

この時、二位当選だった尾崎士郎と知り合い、
二人で東京の馬込に住みます。
(尾崎は流行小説「人生劇場」の作者)

藤村忠とは別れ尾崎と結婚した宇野千代ですが、
昭和五年に尾崎とも別れています。

同年、三十三歳で画家の東郷青児と知り合い
出会ったその日から同棲、5年を共にし昭和
九年には青児とも別れています。

昭和十四年に、10歳年下の作家の北原武夫と
結婚
した時は、宇野千代は42歳になっていました。

そして北原と昭和三十九年、67歳で最後の
離婚
をしています。

彼女の度々の結婚また離婚による絶句の婚姻歴
には驚くばかりです。

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宇野千代の男性遍歴

宇野千代は結婚歴も多彩ですが、その男性遍歴の
多さもかなりのもので、著名人たちとの関わりを
全て恋愛関係に持ち込んでいるようにも見えます。

作家である夫の尾崎士郎が、有名な小説「檸檬」
の作者で知られる梶井基次郎と宇野千代の関係を
疑い、友人宅であったパーティーで基次郎の顔に
火のついた煙草を叩きつける事件
を起こしたのは
有名な話です。

純朴な文学青年だった梶井基次郎ですが、
間違いを許せない人柄でもあったようで
宇野千代の自由奔放さに魅かれて行ったようです。

結果、尾崎と別れた原因に梶井があったから
とも言われています。

他にも洋画家で人気があった東郷青児が、妻が
ありながら恋人と共にガス自殺未遂を図った
事件の後、夫のあった宇野千代が彼の心中の
心理を作品化したいと直接電話し、その日から
意気投合し同棲する事になります。

2人で同棲を始める驚きの行動に出ていますが
数年を共にして別れています。

「女性は一生、結婚適齢期」

などという名言でも知られる恋多き女、宇野千代
ですが、彼女には夫だけでなくパートナーとしても
多くの男性があり恋に生きた作家だったことが
わかります。

宇野千代の子供は?

数々の男性遍歴や婚姻歴がありながら
彼女には子供がいなかったそうです。

宇野千代は骨盤が狭く、6度の流産
経験した過去もあったといいます。
(wotopi:引用)

ですが彼女は

「他人から見れば不幸な状況でも、私は幸せを見つける自信がある」

と語り、今を楽しみ前向きに生きていました。

宇野千代は過去の夫たちの妻子とも交流が
あったそうで、晩年の彼女は多くの女性に
慕われていたとも言われています。

愛した人ができれば家を建て、別れてまた
新しい人と巡り合い家を建てること11回など
ということもあったといい幸せな家庭を持つ
事は憧れではあったかもしれません。

ですが一つ所に、とどまることを知らない
奔放な彼女、それらをみな小説に映し出し
人生を謳歌していきました。

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宇野千代の恋愛は全て小説ネタに

宇野千代は自身のした恋愛を全て小説ネタに
してきたことでも知られています。

小説『色ざんげ』(「中央公論」1933年9月~1935年
3月連載、4月刊行)は、洋画家作家、東郷青児との
恋愛関係
を描いたものとして有名です。

『生きて行く私』(1983年)は自伝的小説として
彼女の半生が綴られ、以後宇野千代の代名詞と
なっています。

恋愛の他にも自身の人生で起こる全てを小説に
したためており、結婚離婚を繰り返すたびに家を
建て替えた経験をも『私が建てた家』という随筆に
してしまう滑稽さ。

宇野千代は長寿で、あったことでさえ

『私何だか死なないような気がするんですよ』

というエッセイにしてしまうなど、その長い
文筆活動そのものが彼女の自叙伝だったことが
わかります。

平成8年6月10日、急性肺炎で98歳の生涯を
閉じた宇野千代。

彼女のかわりに彼女の全生涯が作品として
後世に残ることになったのでした。

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おわりに

恋に生きる昭和の小説家、実業家として長い活動をしてきた宇野千代は、若い頃から恋愛体質があり4度の婚姻歴や、数々の男性遍歴があったことがわかります。
子供はなかったようですが、彼女のドラマチックな恋愛人生をつぎ込んだ作品がしっかりと彼女の跡を引き継いでいるといえるでしょう。
彼女のような奔放で大胆な女性の生き方や数々の名言に励まされる人も多く、彼女の残した功績は大変大きいといえます。


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