第9代国王成宗は側室の多さと子沢山が災いした?初の廃妃尹の悲劇

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韓流ブームによって繰り広げられる朝鮮王朝ドラマ
はとても歴史が長く、時代によって様々な王がいます。

520年余りの朝鮮王朝の27人の歴代王の中でも最も
側室と子沢山だった事で知られる9代王成宗(ソンジョン)
の知られざる一面とは。

彼は優秀な王でありながら、朝鮮王朝初の
廃妃を出した王と言われています。

歴史的にはとても素晴らしい王だった成宗に
一体なにがあったのでしょうか?

今回はそんな成宗と彼をめぐる悲劇が歴史と共に
繰り返された事実を追ってみようと思います。

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目次

第9代国王成宗の人物像

成宗(ソンジョン)は、7代王である世祖(セジョ)
の長男である李暲(イ・ジャン)と仁粋大妃の次男
として生まれました。

成宗は幼いころから、とても聡明で度量が広く、
祖父の世祖からは性質や学識が優れているところが

「朝鮮王朝初代王である太祖(テジョ)に似ている」

と大絶賛し、とても可愛がっていたそうです。

父である李暲は世子ではありましたが成宗が産まれて
1ヶ月も経たないうちに病死してしまいました。

亡くなった父の代わりに叔父の睿宗(イェジョン)が
8代王として王位に就きますが睿宗も李暲と同様に体が弱く
即位からわずか1年2ヶ月で亡くなります。

睿宗が亡くなった当時、後継ぎである彼の息子は
4歳と幼く、その次に継承権を持つ李暲の長男である
月王大君も病気を患っていたりしたので、1469年に
成宗は祖母の慈聖大妃の命により朝鮮王朝9代王に
即位することになります。

即位時、成宗はわずか13歳という若さだったので
即位してしばらくは祖母の慈聖大妃が摂政として
成宗を補助することになります。

ただ慈聖大妃やその取り巻きたちは、そのポジション
をいいことに国政の全決定権を握りました。

王が幼いことを利用して自分の思うままに政治を
行うなんていくら祖母でもやってはいけないことですよね…

その後、成人して親政を行えるようになった成宗は
元老大臣が国政の重要な決定に参加する院相制度を廃止し、
好き勝手やってきた祖母の慈聖大妃やその取り巻きの
元老大臣たちから権力を取り上げました。

そして成宗は、優秀な学者や才能のある者に役職を与え、
学問や教育、政治の基盤を安定させていきます。

また、1474年に成宗は祖父の世祖が編纂を開始した
「経国大典」を完成させた上に1492年には「経国大典」
を補う多様な書籍を編纂し刊行します。

こうして祖父の世祖に負けない韓国文化の基礎となる
朝鮮王朝の文化や政治の発展に大きく貢献しました。

ここまで見ていると、成宗はとても立派な王様で
朝鮮王朝の発展のためには無くてはならない人物
だったのがよくわかります。

ただ、そんな彼にも1つだけ大きな問題がありました。

それは「女性問題」です。

成宗は大層な女性好きで知られ、それが原因となって
大問題や悲劇(詳しくは後述します)を引き起こした
王として歴史に名を残した王でもあるのです。

どんな名君でも1つや2つの小さな欠点はあるものですが、
いつの時代も女性関係のスキャンダルはロクなことがなく、
女性好きというのは優れた成宗の唯一であり、最大の欠点
だったのかもしれません。

成宗の側室の多さと子沢山ぶりが凄い

側室の多さと子沢山

先ほどもお伝えしたように、成宗は朝鮮王朝の
歴代王の中でも、かなりの女性好きだったので
抱えていた側室や子供の数も歴代の王に比べて
トップクラスです。

正室の恭恵王后韓氏を始め、3人の王后と13人もの
側室がおり、それらの女性との間に28人の子女が
がおりました。

16男12女の合計28人

この数は朝鮮王朝の中でも歴代2位。

ちなみに1位が三代王大宗(テジョン)
あの六龍が飛ぶのモデルとなり朝鮮王朝の
立役者だった李芳遠(イバンウォン)です。

大宗は王后1人と側室9人で、成宗より王后の数も
側室の数も少ないのですが、子供は29人です。

このレベルまでくるともはやアッパレ。

素晴らしい生命力の塊としか言いようがありません。

子孫繁栄、直属の王位継承を絶やす事を良し
としなかった時代、これほど子孫を残した成宗は
ある意味では女好きとはいえ優秀な男性とも
言えるのですが…

現代を生きる私たちから見たら、妻も子供も
とんでもない人数ですよね。

成宗は女性好きであると同時に気が多く多情な
王としても語られている人物です。

「どの女性もステキだ!」「みんな妻に迎えたい!」
と思ったのでしょうがコレを現実にできるのは
さすがに王様というところでしょうか…

このように、成宗にはたくさんの妻や側室がいましたが
1人の男の元にこれだけの数のオンナが集まって

「みんな幸せ!とても平和!」なんてワケはありません。

ただ成宗の場合、王と言う立場でありながら大宗の
ように上手く王后や側室をまとめる事が苦手だった
ようなのです。

次の章では、成宗の妻が嫉妬から引き起こした
事件についてお伝えしていきます。

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成宗に嫉妬した王妃尹の顔ひっかき事件

ひっかき傷

先ほどもお伝えしたように、成宗には
たくさんの妻と側室がいました。

成宗はステキな女性に囲まれて満足して
いたかもしれませんが妻たちにとっては成宗は
ただ1人の王であり夫なので

「私の旦那様だ!」「私だけ愛してほしい!」

と思ってしまうものです。

王の妻として、夫に自分以外の妻がいるのを
理解できるのがベストですが、みんながみんな、
そういうワケではありません。

成宗の2番目の王妃として迎えられた斉献(チェホン)
王后こと尹氏(ユンシ)は、美貌の女性でしたが
成宗を愛しすぎるが故に嫉妬に狂ってとんでもない
事件を引き起こしました。

尹氏は、貧しい家の出でしたが、とても美しい女性で
成宗からの寵愛を受けていた側室でした。

最初の王妃である恭恵王后が亡くなり、成宗は
尹氏を王妃として迎えましたが…

成宗の生母である仁粋大妃は尹氏が貧しい家の出で
あることを理由に大反対しました。

しかし尹氏を愛していた成宗は母の反対を
押し切って尹氏を王妃として迎えます。

これだけなら「身分差を超えた美しい話」で
終わるのですがそうはいかないものです。

この尹氏という女性はとても嫉妬深く、夫である
成宗が自分以外の女性と話をするだけで怒り狂い、
周りに迷惑をかけるタイプの女性だったのです。

最初はそんな尹氏を困りながらも彼女を愛してる
故に受け入れていた成宗ですが、ある時に事件は
起きました。

ある日、成宗は生母の仁粋大妃から

「あの女性(尹氏)は評判が悪い女性だから、あまり入れ込まないように」

と入れ込み過ぎないようにという注意を受けました。

確かに尹氏は気性が荒く、宮廷での評判は
決していいものではありませんでした。

生母からの注意ということもあり無視できない
成宗は尹氏の元に通う頻度を落とし、別の側室の
元に通うようになります。

そこで「私にも悪いところがあった」「私が変わらないと」
と思える女性であれば尹氏にも勝機はあったのかも
しれませんが…

気性が荒く、嫉妬深い尹氏にはこの状況が
耐えられませんでした。

自分を蔑ろにして別の妻の元に通う成宗に嫉妬
しまくった尹氏は、とにかく怒り狂い、別の妻を
呪い殺そうという発想にたどり着いたのです。

あるとき、成宗は「そろそろ尹氏の元にも…」と思い
久々に彼女の元を訪ねるのですが、尹氏の部屋から
他の妻を呪殺するためのヒ素や呪術に関する読み物が
出てきたことに、成宗は尹氏への愛が冷めてしまいます。

大勢の妻を抱える男性としては多少の嫉妬は覚悟の
上でしょうが、他の妻を呪い殺すための道具が妻の
部屋から出てきたらドン引きもしますし

「この妻、ないわ…」と思ってしまうのも
当然のことですよね。

しかし、愛情深い成宗はこの時点ではまだ尹氏を
廃妃とせずに王妃から側室へのランクダウン
するのみのお咎めに留めました。

本来であれば、他の妻を亡き者にしようと
しているのであれば、もっと重たい刑に
処されるものですが…

愛情が冷めたとは言え、成宗が1度は愛した妻に
情があるが分かりますね。

そこで尹氏は夫の恩情に感謝して自分の行いを
顧みることができたら良かったのですが…

彼女は再びやらかすことになります。

成宗は再び尹氏の元へ訪ねたのですが、その際に
別の妻の元に通っていることで口論となり
事もあろうか、尹氏は王である成宗の顔を引っ掻いて
ケガをさせてしまうのです。

この出来事でさすがに堪忍袋の緒が切れた成宗と
元から尹氏を好いていない仁粋大妃は激怒し、尹氏は

「王の妻としてふさわしくない」

とされ、廃妃となったのです。

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成宗の女好きが災いした初の廃妃尹の悲劇

尹氏の悲劇
王の顔に傷を作ると言う前代見物の大失態を
やらかした尹氏。

これまでにない暴挙で廃妃となった尹氏は
宮廷から追い出され、遠く離れた地で実母と
2人で暮らすことになりました。

男女の関係のもつれで「追い出されるなんてヒドイ!」
と思う人もいるでしょうが絶対権力者である王にケガを
させたのに命があっただけでも当時の世襲を考えたら
かなりマシな方ではないでしょうか。

宮廷から追い出されてた尹氏は母と2人で過去の
行いを反省して慎ましく生活していたそうです。

そんな彼女の元に、夫であった成宗からの
使者が現れます。

成宗と尹氏の間には、当時は世子であり後に
10代王となる燕山君(ヨンサングン)がおり、
いずれ王になる彼のためにも、その母である
通常なら大妃になるはずの尹氏に

「過去の行いを反省してるなら宮廷に戻るチャンスをあげたい」

と成宗は思ったのです。

尹氏はワガママで感情的だった過去の自分を反省し、
成宗の使者にその旨を伝えます。

使者も尹氏の現在の様子や慎ましく暮らしている
様子を見て

「本当に反省している」

と成宗の元に報告へ向かおうとしますが…

そこで現れたのが仁粋大妃でした。

仁粋大妃は尹氏が大嫌いだったので宮廷に戻るのを
良しとしておらず、使者に

「成宗には『尹氏は全く反省してなかった』と伝えよ」

と虚偽の報告をするようにと脅します。

生母であり宮廷で権力を持つ仁粋大妃に逆らえない
使者は仁粋大妃の命令通りに成宗に尹氏についての
虚偽の報告をし、成宗はついに尹氏を見放し、とうとう
死罪を下したのです。

成宗は尹氏に賜死を命じ、服毒により死亡しました。

この時の尹氏は僅か28歳。

とうぜん悪いのは自分の感情を制せられずに振り回された
尹氏ですが、元々は成宗の女性好きがなければ、彼が
尹氏1人を愛することができたらこんな悲劇は
起こらなかったかもしれません。

朝鮮王朝初の廃妃になり、命まで奪われた尹氏が
悲惨なのはもちろんですが、賢王や聖君のような
働きをしていたのに、女性関係のスキャンダルで
初の廃妃を出した代の王である成宗も相当残念な
男性と言えるでしょう。

正当な王位継承の10代王となる燕山君(ヨンサングン)
の存在がありながら、実に悲劇的な再後へと導いて
しまった王、9代目国王、成宗ですが後に、この悲劇が
さらなる悲劇を生むとはこの時誰も予想だについて
いなかったようです。

実母尹氏の悲劇的な最期を知った燕山君が朝鮮王朝の
中でも最も最悪の暴君と化してしまうのですから
悲劇は繰り返すとはこの事なのかもしれません。

母の悲劇の死がなければ、今に語り継がれる暴君
として10代王燕山君の存在はなかった、と言われて
います。

そう考えたたら、そうした悲劇を導いた9代王成宗
の罪は重いと言えるでしょう。

おわりに

成宗は政治的には、王としてはとても優れていた男性で、朝鮮王朝の発展には彼の存在は大きいのは間違いなかったでしょう。
しかし彼は、1人の男性としては未熟だったのかもしれません。
愛した妻のコントロールや心情を察することができず結果として朝鮮王朝始まって以来初の廃妃を出すこととなりました。
たくさんの子孫を残せたのは良かったかもしれませんが、側室が多すぎると揉め事や悲劇、生母の口出しが起こりやすいのも
知っておくべきだったかもしれませんね。
また、成宗と尹氏の子であり、世子である10代王の燕山君は後に「朝鮮王朝最悪の君主」と呼ばれる王となります。
燕山君はもともと育った環境や性格に問題がありましたが、彼が暴君となるトリガーは生母である尹氏の亡くなり方にありました。
成宗がもっと尹氏を思っていれば、尹氏にもっと自制心があれば…後の代に起こる悲惨な歴史を避けられたのかもしれませんね。


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