八代英太の転落事故と畠山みどりの悪縁?車椅子大臣が受けた世間の闇

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八代英太アイキャッチ

タレントとして華やかな世界で活躍していた
八代英太さん。

その昔、歌手の畠山みどりさんの舞台で起きた
転落事故さえなければ現在の車椅子生活とは
無縁だった人物です。

畠山みどりさんとの悪縁や、車いす生活を余儀なく
されても、タレントとして復活し後には政治家へと
転身した八代英太さんの元祖車椅子大臣の現在までを
追って見ようと思います。

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八代英太プロフィール

氏名   八代英太「やしろ えいた」
生年月日 1937年6月2日(82歳)19年8月時点
出生地  山梨県笛吹市
職業   山梨放送社員・政治家・福祉アドバイザー
帝京平成大学教授・株式会社つなひろワールド会長など
活動期間 1957年~
所属政党 福祉党・自由民主党・新党大地
趣味   カラオケ・将棋・音楽鑑賞

八代英太の転落事故と畠山みどりの悪縁

八代英太「やしろえいた(82歳)」はタレントや
テレビアナウンサー・は司会者更には政治家など
幅広い経歴を持つ人物です。

彼は歌手の畠山みどりの歌謡ショーに出演していた
最中に舞台下に落下してしまったことで、脊髄損傷
になり下半身付随の車椅子生活を余儀なくされました。

時はさかのぼって1957年にラジオ山梨「後の山梨放送」
に入社した八代は、その後日本テレビで放送されていた
「お昼のワイドショー」に中山千夏と共に司会者として
出演していました。
転落事故
真ん中が青島幸男さんで、一番右端が八代英太さんの若かりし頃です。

1968年9月30日にスタートしたこの番組で、当時は
進行役としてメイン司会を補佐する形でした。

彼はアナウンサーとして山梨放送に入社する前は
「声帯模写(現代のものまねタレント)」をしていたので
その経験を活かし番組の数多くの企画を盛り上げていました。

このまま何事もなければやり手の司会者としての
人生を歩んでいたであろう八代に、災難が降り
かかったのが「畠山みどりの歌謡ショー(1973年6月3日)」です。

この日もいつものように舞台に上がった彼は滞りなく
司会進行を行います。

ところがこの後舞台から下がる時に落下するという
事故が発生します。

診断結果は脊髄損傷という重症で、足腰が思うように
動かず車椅子生活を余儀なくされました。

舞台上にはセリ
「舞台に役者や大道具を押し上げたり引き下げたりする舞台装置」
というものがありますが、当時はこのセリが4.7メートル
下げられていたのだとか。

舞台を降りようと2.3歩下がった途端、真っ逆さまに
落ちてしまいました。

この事故で体に深刻な被害を受けた八代は約2年後
に畠山みどりと刈谷市それにショーの企画会社に
1億4720万円の賠償請求を求める訴訟を起こしました。

出演者だった畠山みどりを被告に加えたのは、刈谷市の担当者が
セリを下げることを注意したにも関わらず畠山は、その言葉を
無視して対応せず楽観視していたからだそうです。

主張の食い違いなどがあり15年もの長期に及んだ裁判は
1985年10月にやっと終わりを迎え被告側で7380万円
賠償金を分担して支払うことに決まりました。

事の経緯を見る限り、とても知らないでは済まされない
事故だったと言えるでしょう。

当時の八代英太さんの年齢が36歳と働き盛りの健康な
男性だった事を考慮しても、あまりにも悲惨な事故だった
事が分かります。

歩けた人が一切、その機能を失うという大惨事の事故
だったのですから・・・

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八代英太の車椅子大臣として

魔の畠山みどり歌謡ショーの転落事故があった年の
翌年、自身のような障害を持った人が少しでも
暮らしやすい世の中にしようと積極的に障害者
福祉運動を開始します。

しかし社会を変えるには政府という大きな壁が
立ちはだかることに気づいた彼は、政治家になって
国を動かすしかないと考えます。

そして1977年7月10日に行われた参議院選挙で
初当選を果たしました。

政治家

国会に初登板した直後から障害者や福祉に関する
運動を引き続き行い、障害者世界組織を結成した他
1983年には福祉党を結成し代表も務めました。

その後1984年に自由民主党に移籍してからは数々
の重要ポストを歴任し、1997年の第二次小泉改造内閣で
郵政大臣に就任します。

第一次森内閣の時も郵政大臣を努めた彼は前述したように
積極的な障害者運動を推し進め、車椅子に対応した
トイレやスロープ・リフトなどが設置されたそうです。

彼がもし議員・更には大臣になっていなければ
これほどのバリアフリー化を達成するのはまだまだ
先の世になっていたかもしれません。

当時は「初の車椅子大臣」として多くのメディアから
注目されました。

八代自身国会内のバリアフリー化を強く訴えた他、各種
障害者法案の整備に力を注いできました。

まさに現在の障害者雇用促進法他様々な障害者支援の
礎を築いたといってもいいでしょう。

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八代英太の世間から受けた障害者の闇

1973年の畠山みどりの歌謡ショーであの忌まわしき
事故が起きなければ八代は障害者とは無縁の人生を
送っていたはずです。

ところが不幸にも事故は起きてしまい車椅子で日常を
送らなくてはならない運命に・・・。

現在でも障害を持っている方への偏見や差別はありますが
当時はもっと酷いものでした。

なんせ車椅子で国会に登坂するなんてとんでもない!
と言われる時代でしたから。

実際彼が必死なリハビリのお陰でなんとか仕事に
復帰出来た時も、誹謗中傷ばかりか閉職に回されたり
各地の施設に飛ばされたりもしたそうです。

様々な施設を回っていた八代は徐々に障害者福祉に
対する疑問を蓄積していきます。

それらの施設で人脈を増やし話を聞くうちに、このままでは
駄目だという思いがあったのでしょう。

実際に全国脊髄損傷者連合会新田輝一会長らからの
出場要請なども加わり、国民の代表として障害者福祉
行政の整備に取り組む決意をしました。

不慮の事故が、きっかけとは言え、元々優秀で人生に
アグレッシブだった八代英太さんだからこそ、重度障害者
となった後にも、司会者への復帰や政治家への転身が
叶ったのかもしれません。

そして、そうした熱意と情熱が今の障害者福祉への
改革に繋がっていったのでしょう。

改めて、れいわ新選組から重度障害者の当選者が2名
現れた事で注目を集めていますが、元祖となる礎は
八代英太さんが築き上げた歴史があったのですね。

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おわりに

八代英太はまさに障害者福祉を良くすることに生涯をかている人です。彼の意思は次の世代へと受け継がれ、障害者の暮らしやすい世の中に近づいていくんではないかと思います。今後もれいわ新選組共々、世の中への障害者に対する捉え方と福祉への取り組みが、もっと進む事を願うばかりですね。


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