
平成の最後、大女優 樹木希林が亡くなりその
傍らに家族同然で最後まで付き添いした事で話題
となった浅田美代子さん。
浅田美代子さんと言ったら元旦那に吉田拓郎さん
が見えますが吉田拓郎さんを紹介したのも樹木希林
さんだと以前バラエティ番組で見た事があります。
マンションや別荘でさえ樹木希林さんの助言で
購入していたと言われる浅田美代子さんと樹木希林
さんの関係を改めて追ってみようと思います。
そして最後の共演となった映画も期待を込めて~
|
目次
浅田美代子と樹木希林の出会い
二人の出会いはTBS系ドラマ「時間ですよ」の
第3シーズンで共演したことがきっかけ。
浅田美代子にとって女優としてのデビュー作で
あるこの作品ですが、当時まだ芸能界に入って
1年程度の身でした。
元々大人気なドラマだったので浅田美代子は一
気に知名度が上がり人気者に。
挿入歌の『赤い風船』も彼女が歌い、50万枚を
超える大ヒット曲となりました。
※当時の浅田美代子
この頃の樹木希林はまだ「悠木千帆」という芸名で
活動しており、新人だった17歳の浅田美代子を
気にかけてかなり可愛がっていたようです。
後にTBS系ドラマで樹木希林さんとして一躍有名女優に
なるきっかけとなった大ヒットドラマ『寺内貫太郎一家』
でも共演し、その頃から二人の仲はさながら家族の
ようだったといいます。
浅田美代子は当時のことを、
「子供だったんで、金魚のフンみたいに樹木希林さんにくっついていた。家族より長い時間、一緒にいた」
と語っています。
浅田美代子が親に吉田拓郎との結婚を報告した際
吉田拓郎にすでに妻子があり猛反対されたそうです。
でも、この時も浅田美代子さんの両親を樹木希林が
同行して説得してくれたそうです。
「お母さん、美代ちゃんはもうやられちゃったのよ」
その一言で浅田美代子の親はひれ伏したそうです。
樹木希林さんらしいロックな言葉です~笑
結局8年後には離婚するのですが、結婚できたのは
樹木希林のおかげと言えます。
浅田美代子に樹木希林が勧めたマンション購入と別荘
浅田美代子は2015年に都内にマンションを
購入していますが、これにも樹木希林が
絡んでいます。
吉田拓郎と離婚後、一緒に暮らしていた母も
2001年に急性リンパ性白血病で亡くし、浅田美代子は
愛犬2匹と過ごしていました。
「住まいは賃貸マンションでいい」と思っていた
浅田美代子に対し、樹木希林はマンションの
購入を勧めました。
「あなた60歳になったら誰もマンションを貸してくれないわよ」
と説得し、購入を決意させます。
物件探しも一緒にして頭金は樹木希林が
貸し、ローンを組んでくれたそうです。
樹木希林の、浅田美代子に対する取り立ては
マメで、CM出演すると電話をかけてきて
「あなたいくらもらったの?100万円返しなさい」
と返済を求めてきたそうです。
といってもそれは母娘のような、娘を
心配するかのようなやり取りだったそうです。
これに限らず、浅田美代子は千葉県の沿岸部にある
ビーチハウスも別荘として購入します。
「母が亡くなった時、本当にワンちゃんたちに助けられました。その恩返しのつもりで、それからは犬の殺処分ゼロを目指す保護活動もするようになったんです」
そう語る浅田美代子は、4匹に増えた
愛犬たちと暮らすようになっていました。
しかし都内だと周りに気を遣って2匹ずつ
散歩させなきゃいけないこともあると悩んでおり
一人では決めかね、これを樹木希林に相談。
ふたりは一緒に千葉のビーチハウスを見にいったそうです。
「すごくいいところじゃない。悩む必要なんか無いわよ!」
樹木希林の言葉で購入を決意した浅田美代子は
土地、建物合わせて2億円もする物件をキャッシュで購入。
その後は、海沿いを愛犬たちと散歩する為に
しょっちゅう訪れているそうです。
大きなお金のかかる自分の住居のことまで
血のつながってない他人の意見を聞いて
決めているのですから、相当に信頼の置ける
仲の良さだったのがわかります。
|
樹木希林、浅田美代子を指名で遺作映画の共演を
樹木希林の遺作、映画『エリカ38』
2019年公開予定ですが、この作品は
樹木希林が女優人生で初めて企画を
手がけています。
62歳の女が38歳と偽って金を集め、出資法違反で
逮捕された事件がモチーフの映画です。
恐らくあの、永遠の38歳と言い放ったタイ人男性
にお金を貢いでいた山辺節子さんでしょうか??
樹木希林のツルの一声?指名で、主演のエリカ役は
浅田美代子を起用。
樹木希林が母親役で出演を果たします。
共演シーンの一部は、映像で明らかになっていますが
ふたりで童謡『赤とんぼ』を歌っているそのシーンは
非常に自然で美しいものです。
母娘が絵になるふたりでした。
この映画に、樹木希林は細部までこだわりを
持って挑んだそうで、2019年の公開が楽しみですね。
この撮影後しばらくして、樹木希林は入院します。
入院して亡くなるまでの間、浅田美代子は
ほとんど毎日そばにいたそうです。
樹木希林が亡くなった日にも浅田美代子は一緒に
いたようで、ぶどうを食べて美味しいと言う
樹木希林を見ていました。
訃報はその晩のことで、浅田美代子は
看取ることはできなかった事を悔いています。
目に涙を浮かべながら、
「身をもって死と向き合うことを教えてくれた。そばに居させてくれたことに感謝しています。心配ばかりかけたけど、楽しく過ごさせていただきました」
そして最後に樹木希林さんの存在を
『母であり姉であり親友でもありました』
と語られていたのが印象的です。
浅田美代子さんにとっての唯一無二の存在が
樹木希林さんだったのですね。
悲しいお別れとなりましたが最後まで付き添える
二人の絆の深さにも感動します。
|
おわりに
おふたりは40年以上家族として、親友として過ごしていることになりますが、樹木希林は浅田美代子に色々なものを残していますね。樹木希林は度々「これが遺作」と言い映画撮影に挑んでいましたが、本当の遺作で浅田美代子をわざわざ指名して一緒に芝居ができて良かったと思います。そこも何だか最後の置き土産みたいで樹木さんらしい母親的な姉的な浅田美代子さんに対しての心使いが感じられて素敵ですね。そんな唯一無二の存在が居なくなり浅田美代子さんも家族以上の寂しさを感じて見えると思いますが死して尚語られる樹木希林さんとの思いでを胸に女優として益々活躍して欲しいですね。
この記事へのコメントはありません。