ルカシェンコ長男の仕打ちと息子の面々!暗殺計画や未遂の未来予想図

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「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれるベラルーシ大統領のアレクサンドル・ルカシェンコ(66)。

彼はベラルーシを26年に渡り統治し権力を握り続けてきましたが、彼の強権政治に反対するデモが絶えず、波乱の様相を見せています。

ルカシェンコ大統領の独裁は、息子たちへの教育にも及び、政権反対派による暗殺計画未遂事件まで引き起こしています。

ルカシェンコ長男の仕打ちと息子の面々、暗殺計画や未遂の未来予想図についてお伝えします。

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目次

ベラルーシとはどんな国

ルカシェンコ大統領の治めるベラルーシとは一体どんな国なのでしょうか。

ベラルーシは海に面しない内陸国で、日本の本州よりやや小さい国土に約1000万人が住んでいます。

平坦な地形であり、湿地帯が多く寒冷な気候で、肥沃とはいえない土地柄、ジャガイモの生産と消費が盛んです。

9世紀にキエフ大公国の一部であったボロツク公国がベラルーシの初めといわれ、バルト海と黒海を結ぶ通商路として栄え、13世紀までにはリトアニア大公国に併合されています。

その後ロシア帝国の支配下にはいり、1917年のロシア革命を経て、1918年史上初の独立国「ベラルーシ人民共和国」となり、1922年にはソ連に加盟しています。

第二次世界大戦はナチス・ドイツの占領を経て国民の4分の1、国富の半分を失う打撃を受けました。

ベラルーシは政治的境界線が何度も変わる歴史を経ており、ベラルーシ人による国家や国境線の確立はソ連崩壊後であったといわれます。

戦後は急速な都市化、工業化をはかり、ロシアから輸入した原油を加工して輸出するビジネスも盛んになっていますが、天然資源に恵まれずエネルギー自給率も1割程度で天然ガスや石油の多くをロシアに依存しています。

ルカシェンコプロフィール

氏名:アレクサンドル・ルカシェンコ
生年月日:1954年8月30日67歳(21年8月末時点)
出身国:白ロシア・ソビエト社会主義国
民族:ウクライナ人
最終学歴:モギリョフ教育大学歴史学部
入党:1990年
政党:民主主義の為の共産主義者
1991年9月19日白ロシア・ソビエト社会主義共和国から現「ベラルーシ共和国」と改称
同年1991年ベラルーシ初代大統領に就任
2001年~2021年6期目を現在まで務める

ルカシェンコは欧州最後の独裁者

ルカシェンコ大統領は1994年の初当選以来、ベラルーシを統治し「欧州最後の独裁者」として知られる人物です。

彼は以前、自国のアイスホッケーチームの応援として長野冬季五輪に突然来日したり、近年では世界的パンデミックである新型コロナウイルスについて「ウオッカを飲めば消毒できる」という非科学的な言動をしたことでも有名になりました。

2001年・2006年・2010年・2015年の選挙で勝利し、長く大統領の座にあるルカシェンコ大統領ですが、2020年8月の6選を決めた選挙で、80%を得票したとの宣言に疑問を抱いた民衆が立ち上がり、参加者数十万人超の大規模な反政府デモをくり広げました。

ルカシェンコ大統領は不正選挙疑惑を否定しますが、デモ参加者への抑圧や拘束、野党指導者を強制的に国外に追放しようとするなどの強権をかざしていることに、国際的な批判が向けられています。

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ルカシェンコとその長男

ルカシェンコ大統領の長男はヴィクトル・ルカシェンコ(45)といい、現在ベラルーシ共和国の国内オリンピック委員会(NOC)の会長であり、それ以前は父である大統領の国家安全保障補佐官を務めていました。

国際オリンピック委員会(IOC)は今年、ベラルーシのアスリートから昨年8月の不正大統領選挙後に、ルカシェンコ大統領の暴力や脅迫に遭ったとする告発を受け、ルカシェンコ大統領の東京五輪参加を禁じていました。

IOCの決定に憤慨したルカシェンコ大統領は、その後息子のヴィクトルをNOC会長に指名したわけですが、自身は退きながらも長男と共にNOC支配の権力を握っているといいます。

アスリートを標的にするルカシェンコ大統領の行いは、国際的な批判を受けていますが、その矢面に立たされた長男も災難としかいいようがありませんね。

ルカシェンコ大統領のベラルーシでの支配が26年という長期に及び、全て自身の思い通りに動かせるようになった半面、敵対勢力も増えてきた周囲の変化を感じとり、長男さえも支配下に置き保身しようとする大統領にはあぜんとするばかりです。

ルカシェンコの息子達の面々


ルカシェンコ大統領には妻との間に2人の息子、ヴィクトル(45)とドミトリー(41)がいます。

ルカシェンコは2人の息子を厳しく育て、学業に励ませ、海外経験も積ませたといいます。

長男のヴィクトルは、2021年にベラルーシオリンピック委員会の新会長に就任し知られるところとなりました。

このほかにも三男のニコライ(16)という2004年に生まれた婚外子がいるとか。

ルカシェンコは後継者と目されているニコライをとてもかわいがっているようで、北京オリンピックの開会式や2009年と2010年の軍事パレード等、あらゆる行事にニコライを同席させています。

ニコライにピアノや中国語を学ばせており、2018年に春節での挨拶の際にニコライはこれを披露しています。

ネット上では公式行事に参加するニコライの写真に「プリンス」「かっこいい」などの評判も見え、既に彼を次期大統領にと育成しているともいわれています。

よりによって婚外子である事がまた闇を感じさせる決断です…

ルカシェンコの暗殺未遂事件

ベラルーシで今年4月中旬、反体制派が国家転覆とルカシェンコ大統領暗殺を試みたとして関係者が逮捕され話題を集めました。

逮捕されたのはベラルーシの著名な政治評論家A.フェドゥータ氏、ベラルーシ出身で米国在住の弁護士Yu.ゼンコヴィチ氏、ベラルーシ人民戦線党のG.コストゥショフ党首ら数名でした。

フェドゥータ氏は、ルカシェンコ大統領が1994年に大統領に就任した時、ブレーンとして彼を支えた人で、彼の無謀な独裁化に反対したといいます。

そうはいっても、彼らは脱ルカシェンコ体制を2020年にリモート会議で謀議するなどしただけで、うまく罠にはまり逮捕されたとみる意見も出ています。

この暗殺騒ぎで、強権政治に我慢できず、反対勢力が増えつつあるベラルーシにおいて、おかしな動きをすれば危険が迫るという恐ろしさを誰もが感じたといえます。

ベラルーシの独裁政権が東京五輪でも明らかに

身近な話ではつい先日、世間のブーイングの中開催されると過去最大の金メダル数で盛り上がった東京五輪でのベラルーシ代表の女子陸上選手が監督への不平をSNSに上げた事が原因で自国への帰国を命じられ空港でベラルーシへの帰国を拒否してポーランドへの亡命を希望した選手が記憶に新しいと思います。

彼女はベラルーシに住む家族に「帰国してはいけない」と言われ自身もポーランド亡命希望への理由を「私の国はとっても危険な国」と助けて欲しいと要求していました。

このように民主国家の日本ではまずあり得ない共産国であるベラルーシでは、監督への不平不満を述べただけで「命の危険を脅かされる」レベルの恐妻国家である事が分かります。

彼女は成田空港からポーランド大使館に囲まってもらい、その後ポーランドに無事亡命、その後はベラルーシに残っていた夫と無事合流出来たとの情報まで分かっています。

一つ間違うと自国を代表する選手であれ命を狙われるレベルの報復をしかねない国、まさにルカシェンコ率いる独裁国家だからこその命の選択をしたのだと言えるでしょう。

この彼女の一連の行動をベラルーシ率いるルカシェンコ氏は「操られていただけ」と主張しています…

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ルカシェンコの暗殺と未来予想図

話は戻り、全てを意のままに操る独裁者ルカシェンコ大統領は、この暗殺未遂事件をきっかけに自身に有利な政治制度を作ってしまった恐るべき人です。

ルカシェンコ大統領は5月9日、大統領布告に署名し、国家元首が暗殺、テロ、外敵の侵略等によって死去した場合、すべての国家機関及び公職者は「安全保障会議」の決定にもとづき行動すると定めました。

安全保障会議は軍事・治安機関であり、もしもルカシェンコ大統領が死去したらベラルーシは事実上軍政へ移行するということになります。

軍事政権に突入する事を意味します。

身の危険を感じたルカシェンコ大統領が焦りを感じ、強権政治の維持のため先んじて次々と手を打つことが今後も予想され、その未来予想図は暗澹たるものとなっているように感じます。

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おわりに

ヨーロッパ最後の独裁者として名高いルカシェンコ大統領に対する社会的批判の高まりは、反政権デモや過去には暗殺未遂事件まで引き起こしており、その強権ぶりに未来予想図の見えない状態が続いています。
ルカシェンコ大統領の独裁ぶりは、長男への仕打ちや息子の面々へのしつけにも見えるようで、後継者とされる三男ニコライの動向にも注目が集まります。ベラルーシの反対勢力のみならず、世界中から批判を受けるルカシェンコ大統領の独裁が阻止される日が来るのか見守りたいところです。


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