榎本一の父親や母親は有名人!覚醒剤逮捕の華麗なる経歴に人物評

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東京都・北区の自民党区議会議員の榎本一氏が、覚醒剤を使用したとして警視庁に逮捕され話題となっています。

政界の歴史において榎本氏の父親や母親は有名人だったことが知られており、その華麗な経歴からも今回の逮捕に驚きが走っています。

榎本一氏の父親や母親は有名人、覚醒剤逮捕の華麗なる経歴やその人物評についてお伝えします。

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目次

榎本一プロフィール

氏名:榎本一(えのもとはじめ)
生年月日:1968年8月9日(53歳)21年11月時点
出身:東京都北区
学歴:玉川大学中退
職業:東京都北区の区議会議員、自民党所属
経歴:環境業界紙の記者、鳩山邦夫議員の政策スタッフ
東京都北区の区議会議員当選(1999年・民主党公認)
2009年より自民党に移り区議長や副議長などを歴任
家族:妻、息子、娘

榎本一が覚醒剤逮捕!

自民党所属の東京・北区の区議会議員、榎本一氏は21年11月9日午後10時ごろ、上野駅近くの路上で車に乗っていたところ、挙動不審な点があったため警察官の職務質問を受け、その後の尿検査で覚せい剤陽性反応が出て逮捕されたと言います。

榎本氏は停車中の乗用車の運転席に座っており、助手席にあったカバンの中から、覚醒剤を吸引する際に使用するガラス製のパイプ1本が見つかりました。

自民党所属の区議会議員で、区議会副議長などを歴任している榎本氏の突然の逮捕は世間に衝撃を与えました。

榎本一の父親や母親は元有名人

覚醒剤使用の容疑で逮捕された、榎本一氏の父親や母親は元有名人だと言われていますが本当でしょうか。

榎本一氏の父親は榎本敏夫さんで、なんと田中角栄元総理の筆頭秘書官だったことがわかっています。

1966年ラーメン屋で一人で食事をしていた榎本三恵子さん(元妻)を見初め結婚、当時敏夫さんは40歳、三恵子さんは18歳で22歳の年の差があったそうです。


敏夫さんはロッキード事件で金銭授受を全面否定し、無罪を主張していましたが、元妻の三恵子さんの証言により(後述)事実が判明したことで逮捕されています。

敏夫さんは事件発覚後に離婚し、榎本一氏を含む息子3人は父親により育てられたようです。

一さんは、この元夫婦の長男であり、現在53歳、次男が50歳三男が48歳だとのこと、ちなみに22歳もの歳の差婚であり後に生き別れとなった母親美恵子さんは21年11月時点で73歳と、まだまだお若いお母さまです。

一さんを二十歳で出産されているので、長男の一さん53歳の母親としては73歳の母親は、かなりお若いお母さまだと言えるでしょう。

ちなみに22歳年上だったという元夫である榎本敏夫さんは、2017年7月、91歳で老衰で亡くなっています。

母親は元タレントの榎本三恵子さんで、1981年10月28日東京地方裁判所で開かれた戦後最大の疑獄事件とされるロッキード事件で検察側の証人として出廷、田中角栄被告の5億円受領を決定的に裏付ける内容の証言をし、世間を騒然とさせました。

証言に際して覚悟を聞かれた当時の発言が有名です。

「ハチは一度人を刺せばそのハチは死ぬと。人を刺すという行為は、わたしも失うものが大きいと思います。」

と発言、この「ハチの一刺し」証言は当時の流行語になったようです。

ですがこれを境に1977年に3人の息子を残して離婚。

1983年頃からタレントや女優に転身しヌード写真も出したりするなど、バラエティー番組やドラマにも出演しました。

177㎝の長身と美貌で話題になりました。「オレたちひょうきん族」にハチの着ぐるみを着て出演したことも。

榎本一氏は両親の離婚後は全く母親と会うことは、なかったといい、榎本氏が1999年区議会議員に当選した時、22年ぶりに親子再会を果たしていますがあまり関係はよくないといいます。

恐らくは父親である敏夫さんが、離婚後息子三人を引き取った事もあり離婚後の母親の事を良く言わなかったのかもしれませんね。

選挙戦の応援に訪れた母に対し、長男の榎本一は歓迎せず「困る」ともらし、「母と私は別個人。個人の問題に関しては申し上げることは何もありません。」(NEWSポストセブン)と発言しています。

榎本三恵子さんはその後、タレント活動や実業家としてクラブや美容サロンの経営をし、1998年から2003年頃までは女性下着ワコールの販売員として働いていたことまではわかっていますが、現在の職業などは不明です。

大変な有名人の両親を持つ榎本一氏だったわけで、なぜ覚醒剤を使っていたのか疑問が残ります。

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榎本一の華麗なる経歴

榎本一氏の経歴についてですが、区議への就任は平成11年5月1日で、在職期間は20年となります。

その後の区議としての役職は以下のとおりです。

平成13年5月25日 ~平成14年5月27日:区民生活委員会副委員長
平成14年5月27日~平成15年4月30日:区民生活委員会副委員長
平成15年5月26日~平成16年5月26日:新中央図書館建設特別委員会副委員長
平成16年5月26日~平成17年5月26日:都区制度等調査特別委員会委員長
平成18年5月26日~平成19年4月30日:建設委員会委員長
平成21年5月26日~平成22年5月26日:議会運営委員会委員長
平成21年9月11日~平成21年10月9日:決算特別委員会委員長
平成22年5月26日~平成23年4月27日:副議長
平成23年5月25日~平成24年5月25日:防災対策特別委員会委員長
平成24年5月26日~平成25年5月24日:建設委員会委員長
平成24年5月26日~平成25年5月24日:建設委員会委員長、防災対策特別委員会委員
平成25年5月26日~平成26年5月24日:政調会長、企画総務委員会委員、議会運営委員会委員、地域開発特別委員会委員
平成26年5月26日~:建設委員会委員長、防災対策特別委員会委員
平成27年5月26日~:区民生活委員会委員、議会運営委員会委員長、地域開発特別委員会委員
平成28年5月26日~:健康福祉委員会委員、十条まちづくり特別委員会委員
平成29年5月26日~:文教子ども委員会委員、防災対策特別委員会委員
平成30年5月26日~:健康福祉委員会委員、地域開発特別委員会委員
令和元年度:監査委員
令和元年2月~:十条まちづくり特別委員会委員長、建設委員会委員
令和元年5月~:監査委員、文教子ども委員会委員、十条まちづくり特別委員会委員
令和2年5月~:十条まちづくり特別委員会委員長、建設委員会委員
令和3年5月~:区民生活委員会委員、十条まちづくり特別委員会副委員長

今回の逮捕により、これまでの華麗な経歴を台無しにしてしまうことになったわけですが、いつごろから覚醒剤に手を染めてしまったのかなど詳細が気になります。

榎本一の人物評

これまでの榎本一氏の人物評はどうだったのでしょうか。

《北区の自民党の長老もこう語る。/「立候補表明をした当初は、“あのハチの息子”と中傷されたりもしたが、腰が低くて礼儀正しく、私などは党は違いますが好感を持ちました。選挙期間中は熱心に環境問題を訴えていましたが、女性層に食い込んでいました。なにしろ、若くてハンサムですからね。やっかんだ他陣営から、ホストクラブで働いたことがある、などというデマが流されたぐらいです」》(同)(デイリー新潮:引用)

「身長は180センチもあるし、ハンサム。敏夫さんは(背が)小さかったから、三恵子さんの血を受け継いだんだろうね。カッコが良すぎて、議員向きじゃないなあとさえ思ったよ」(同上)

地元の長老議員もベタ褒めで、父親敏夫さんも、かつて北区の区議で田中角栄氏に引っ張られたこともあり、政界ではずいぶん期待されていたことがわかります。

19年に6期目の当選を果たし区議会の議長を務め、周囲からの信頼も大きかったと思われますが、なぜ今覚醒剤なのか、どんなことが彼に起こったのかを不思議がる声があがっています。

“北区の自民党議員に聞くと、「事実関係がまだわからないんです。逮捕・拘留までしかわからず、問い合わせても逮捕容疑すら教えてもらえてないんです」(デイリー新潮:引用)”

榎本一氏はハンサムで有能な人材と期待され支持を得ていたと思われ、覚醒剤での逮捕はまさに有り得ない出来事だったといえるでしょう。

ただ以前の議会の席でたまたまテレビ中継で、一さんが写ってしまった様子を今回の覚醒剤逮捕後のニュースで議会中にも関わらず寝てしまっているなど、振り返ると不可解な態度などの片りんは見えていたようです。

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おわりに

覚醒剤で逮捕された区議会議員の榎本一氏の両親は有名人で、父親の敏夫さんは田中角栄元総理の筆頭秘書官、母親はロッキード事件で「ハチの一刺し発言」で知られた元タレントの榎本三恵子さんでした。
榎本一氏の両親や華麗な経歴、その人物評から見ても将来有望な政治家で、まさか覚醒剤で逮捕とは誰も思わなかったことでしょう。一体何が彼に起こったのか、謎は多く今後の供述を待ちたいところです。
今は亡き父親はともかく生き別れした母親である美恵子さんは、今回のよもやの覚醒剤逮捕をどんな想いで耳に入れたのでしょうね。


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