野崎幸助の若い頃の性格と評判が最悪!成り上がりと最期は想定内?

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野崎幸助アイキャッチ

紀州のドンファンとして生前は華やかな女性遍歴が
話題となった資産家の野崎幸助氏。

18年5月の突然の怪死から他殺の疑惑が浮上して
ついに3年の月日を経て大方の予想通り最後の
嫁だった須藤早貴容疑者が逮捕となりました。

希代の資産家として文字通り裸一貫で
成りあがった若い頃のエピソードや女好きとは
相反する性格は最悪で評判が良かったとは言い難い
ようです。

野崎幸助氏の目指した財産や女性は手の内
に入ったようで実は虚栄だったのかもしれません。

最期までの成り上がり人生を今一度追ってみようと
思います。

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目次

野崎幸助殺害の容疑者逮捕

2018年5月24日紀州のドンファンと呼ばれた
希代の資産家が野崎幸助氏(当時77歳)が
自宅のある和歌山県田辺市で死亡。

死因が他殺事件として当初から話題となって
いました。

あれから丸3年、若山県警は今年4月28日、
殺人と覚せい剤取締法違反の疑いで元妻の
会社役員須藤早貴容疑者(25)を逮捕しています。

県警は同容疑者の認否は明らかにしていません。

彼女は2018年5月24日に野崎氏の自宅で夫に
覚せい剤を経口摂取させ、急性覚せい剤中毒
より殺害した容疑者として逮捕されています。

野崎氏の体内から致死量を超える覚せい剤が
検出されるという不審死であったためが当時
世間でも話題になり、早貴容疑者に疑惑が
向けられていました。

関係者によると須藤容疑者のスマートフォンには
インターネットで覚せい剤について検索した履歴が。

SNSで事前に覚せい剤の密売人と田辺市内で
接触していた事も明らかになっています。

また結婚してまもなく須藤容疑者が東京都内の
自宅に住み和歌山にほとんど来ないことから、
不満を持った野崎氏が離婚届を書くよう求めて
いたということもわかっています。

彼女の逮捕について警察は

「野崎さん本人の誤飲ではなく、須藤容疑者が覚せい剤を入手したことで判断した。」

といい今後の供述を踏まえて殺害方法の
詳細を立証するとしています。

野崎幸助が紀州のドンファンと呼ばれた訳

野崎幸助氏の代名詞となった“紀州のドンファン”
という言葉は、彼が2016年に出版した自伝によると、
欧州スペイン戯曲「セビリアの色事師と石の招客」
に登場する女性好きのプレイボーイの主人公の名前を
とり自称したものであるといわれています。

野崎氏本人は、この紀州のドンファンの呼び名を
大層気に入っていたようです。

著書(「紀州のドンファン」)ではこれまでに

「4000人の女性と交際して30億円を貢いだ」

と公言するなど彼の女好きが知られており、

「いい女を抱くためだけに、私はお金持ちになった」
(自伝表紙より)

という言葉がもはやキャッチフレーズ化するほどで
ありメディアもこぞって“紀州のドンファン”
書き立てました。

今回容疑者である嫁が逮捕された事で新たに
注目される紀州のドンファンの著書の内容は
実は大半は野崎氏本人の希望的観測によって
かなりの盛り付けがあったようです。

ようするに著書の内容である豪放磊落な
金と女とと言う部分の半分以上は虚栄で
そうだったらいいな的な希望的観測内容が
強かった…と身近な従業員らに言われています。

野崎氏は商売の成功とともに手にした大金で
銀座や大阪・新地などの高級クラブホステス通い
したり様々な美女と交際。

今回容疑者として逮捕されている須藤容疑者との
婚姻が3度目で、それ以前にもバツ2であった
そうですが気に行った女性があれば結婚しても
いいという気もちであったといいます。

4000人を相手にもちながら子供はなかった
というのも不思議ですね。

14歳から77歳で亡くなるまでの間全く性欲が
衰えたことが無く、彼にとっての幸せの象徴
だった女性によって自身が壮絶な最期を迎える
ことになるとは思いもしなかったことでしょう。

この辺りも、事件当時既に男性の性的能力は
なかったと言われています。
(既にオムツをしている状態で、かなりオムツ
着用でもお漏らしも酷い状態だったようです)

ただ性的な能力は無くとも、性欲はあった
ようですが…

野崎幸助の成り上がりは伝説

野崎幸助氏は田辺市の酒屋の7人兄弟の
3男として生まれます。

戦前の貧乏な家庭でしたが中学卒業と共に
鉄屑広いを始めコン〇ームの訪問販売を思い
つきます。

戦前のモノが無かった時代に当時でも
恐らく現在でも斬新に違いないコン〇ームを
当時若かった野崎氏が売り上げる為に取った
手法が驚きの実演販売だったそうです。

若く小柄で愛嬌がある男に農家の夫不在
だった田舎の嫁は、どれ程いいのか効果を
試させて欲しい。

恐らくからかい半分で言った事を野崎氏は
不本意ながらも受けて立った。

それが評判となって女達の間で功を際して
売れに売れたのが最初の成功でした。

そこでの成功を足掛かりに、その後は本格的な
金融業や酒の卸売業など幅広く事業を展開して
一代で財をなします。

自宅には常に多額の現金や貴金属をあらわに
置いている様子がメディアでも紹介されていました。

和歌山でも希代の実業家として90年代には
長寿者番付2位となるほどの財を築き、まさに
先を読み行動力でもってどん底から成り上がった
人生であるといえます。

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野崎幸助の若い頃の性格と評判

ただ、ここまで成り上がるまでの野崎氏は
想像以上に成り振り構わずの手口で成り上がった
とも言われています。

先に紹介したように、思い付きで初めた
コン〇ームの訪問販売に成功した野崎氏は
当時のサラリーマンの3倍の収入を稼ぐほどの
成功をします。

その資金を元手に始めたのが貸金業。

この貸金業で大成功したからこそ資産家と
なった野崎氏ですが、この貸金業を営んで
いた時のやり方はかなり強引で徹底した取り立て
をするほど冷徹だったとか。

他の貸金業では、そこまでやらないでしょ?
と思われるような徹底ぶりで返済者の家まで
行き赤テープで家じゅうの壁と言う壁やすき間
なく「金を返せ」と張り巡らせたそうです。

その取り立てぶりは暴力団にも一歩も引かない
程の取り立てぶりで地元では悪評高い一面も。

そうした暴力団顔負けの熾烈な取り立ててで
更なる財を成した野崎氏を当然恨まれる対象にも
なり過去2度刺されると言う衝撃的な経験もあります。

あの紀州のドンファンとして名を馳せた当時の
イメージは如何にも温厚そうなイメージの野崎氏
でしたが根底にある性格は実は狂暴な性格も持ち
合わせていたのでしょう。

返せるお金を借りる人が少ないのは今も昔も
同じです、本当に行き詰ってお金を借り逃げ惑う
人から取り立てるには想像以上の冷徹さを持ち
併せていたと考えられます。

但し野崎氏の場合はビジネスに限ってはの話。

対するお金を稼ぐモチベーションとなったと
公言する女性相手となると、色にはお金を
惜しまなかったと言われています。

徹底して手間を省き時短方式で自身の理想と
した25歳までの若く高身長でグラマラスな女を
求めてお金を餌にストレート過ぎる求愛を続けて
いたようです。

まるで、それの何がイケないんだと
言わんばかりに…

野崎幸助の女性観とトラブルの数々

常々野崎氏はこう豪語していました。

『私はイイ女を抱くためだけにお金持ちになった』

そして如何に自分に金があるか資産家なんだと
言う最も分かりやすい相手へのメリットを提示。

「私はいつも7億くらい自分の家に置いている。」
(MBSNEWS)

と豪語して、金持ちで派手な生活であったことを
世間にも臆すことなく公表し取材も度々受けています。

一方では金や女性にまつわるトラブルも多く、
亡くなる2年前には現金や貴金属6000万円相当を
交際していた20代の知人女性に盗まれる被害も
受けていました。

2017年にも貴金属など4000万円を奪われる
被害にあっていました。

近所や親族の人によると、独立し複数の商売を
手掛けるという事業拡大に野心的であり、

「金融事業の宣伝で東京・永田町へ出向き、大手企業と取引するなどバイタリティーあふれる人だった」

といい、身一つで時代を読み事業を打ち
立てるその力は周囲も認めるほどで
あったことがわかります。

野崎氏は女性関係も華麗ですが、生前は
白浜町の高級ホテルで自身の誕生パーティー
を開き、多数の芸能人とも交流があるなど
かなり幅広い交友関係があったといわれています。

これまで関係を持った女性についても高級
クラブのホステスばかりでなく、飛行機や
電車でナンパ方法は所かまわず。

売れないモデルや女優、タレントの卵
などまさに手当たり次第な状態でした。

東京進出した時には社長である野崎氏の
エルメスのバックを持ち歩いた従業員曰く
そのバックの中身にはバイブレーダーが
出てきたこともあったとか…

常に女性を品定めして口説き文句には大金を
チラつかせる。

だいたいの場合一晩30万~40万を提示して
口説き、そうして関係した女性の全身に
キスマークを付けて裸の写真を撮り社員に
現像させた。

そうした女性との交渉に金銭を介入させる
行為を買春ではないか?と問われると全く
意に介せず野崎氏はこう言ったそうです。

「買春とは言わない。感謝の気持ちとしてのお礼を渡しているだけ」

こうした一貫性ある発言と行動から当然
野崎氏に群がる女性はお金ありき、お金欲しさ
で集まり関係する女性がメインだったのは
間違いないでしょう。

1度関係を持った女性に現金20万~30万とカードを
盗まれ、盗まれたその晩の内にホストクラブで
600万円を使われた事もあったと言います。

もうこの辺りからは本人も女性が自分と関係する
理由を明確に理解していたのか大金をだまされても

「そんなのはした金」

「謝ってくれればそれでいい」

「窃盗事件もいい経験」

と豊かすぎる財力からくる余裕なのか
自由奔放な数々の名言も。

放蕩ぶりは周囲にも公言する通りながら、彼には
億単位を預けていた40通を超える通帳や無数の
絵画や貴金属、複数のマンションなどの不動産を
抱えておりました。

実業家としての尋常でない資産形成の凄さと
いうのもまた大きなギャップで、遺産の行方も
大きな注目を浴びています。

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野崎幸助の最期

生前の野崎氏を知る地元の知り合いに
よるととても淋しがりだったと言う野崎氏。

自身がみそめた高身長で若く美しい女性
須藤容疑者によって最期を迎えた野崎幸助氏の
あっけない最期は、ある意味想定だったのでしょうか。

よもや殺されるとは想像してなかっただろう
と思いつつ、裸一貫でここまで資産家として
名を馳せて、その大金を餌に若い美女をモノ
にしてきた野崎幸助氏。

早くから成功していたのだから、お金だけではなく
心身共に自分を理解し寄り添ってくれる女性を
見つける事だって可能だっただろうに何故そこに
重きを置かなかったのか?

今更ながら、そう思えたりするのですが
だからこそ著書として「紀州のドンファン」
を自慢するかの如く人生の集大成として
世に出したのかもしれません。

恥ずべき事は何もなく、堂々とドンファンを
公言するべく美女を求め金を稼ぎ、そして女を
モノにしてきたんだ。と…

当然そんな野崎氏の、そんな生き様と最期には
周囲にはやっぱりこんなことになったか、との
声も多かったようです。

早くから須藤容疑者が疑われており、彼女にも
野崎幸助氏の莫大な資産にしか興味のない言動が
目立っていたことでも明らかなようです。

通夜や葬式でもスマホをいじる姿が目撃され、
疎遠な親族さえ

「なんで笑うんや」「死んでうれしいんかい」

と怒鳴る様子も。

他にも遺骨はいらないからお金が欲しい
といった発言もあったとか。

また須藤容疑者は事件後すぐ東京で暮らし始め、
何度も引っ越しをしドバイへの移住を計画して
いたところだったといいます。

事件から3年たち彼女の逃避行前に逮捕された
ことでやっと出口が見えてきたようです。

紀州のドンファンとして金と女を思うがままに
手に入れてきた野崎氏は最後まで女性とお金の
トラブルでこの世を去る事となりました。

18年5月24日の絶命したその日から早3年の
月日が経っての元妻逮捕と言う報道にあの世の
野崎氏は今何を想うのでしょう。

莫大な資産を持っても人の心を掴む事は出来ません。

ただ希代の女好きで、その為だけにお金を稼ぐ
事をモチベーションとしていた資産家の野崎氏。

最期まで求めたモノは数々の美女との憂き世を流す
事だったとしたら、あのようなセンセーショナルな
最期も紀州のドンファンとして本望だったのかも
しれません。

子供の無い野崎氏の残された資産の行方と夫
殺害容疑で逮捕されている55歳年下の若妻の
今後の行方にも目が離せそうにありません。

おわりに

野崎幸助氏はその貧しい生い立ちから成り上がり数々の事業で財をなし、自由奔放な言動と派手な女性関係で知られ、周囲も圧倒されるほどの波乱の人生だったことがわかります。
彼にとって事業によって得た金は、多くの女性たちのためにつぎ込まれるべきものでしかなく、その最期に選んだ女性も彼の財力にしか興味がなかったのは不憫なことかもしれません。金の持つ恐ろしい力に勝てなかった紀州のドンファンはまさに伝説の人となったといえるでしょう。


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  1. 金で愛は買えませんでしたね…
    残念。

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