小此木八郎と父彦三郎の経歴は?兄弟も凄い華麗なる一族の面々!

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安倍内閣後の菅新政権において国家公安委員長に
任命され再入閣した小此木八郎氏。

父親の小此木彦三郎三郎氏の元秘書を首相・菅義偉氏が
務めていたことでも話題になり、親子ともにその名が
世間に知れ渡りました。

小此木八郎氏はその父親彦三郎氏、祖父小此木歌治氏
なども有名な政治家だったことがわかり、華麗なる一族
だったことが注目されています。

小此木八郎氏と父彦三郎氏の経歴、凄いと噂と
八郎氏の兄弟や一族のルーツについてお伝えします。

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目次

小此木八郎プロフィール

氏名:小此木八郎(おこのぎ はちろう)
生年月日:昭和40年6月22日(55歳)20年10月時点
出身地:神奈川県横浜市中区
親族:小此木彦三郎(父・元通商産業大臣)
小此木歌治(祖父・元衆議院議員)
中学:玉川学園中学部
高校:玉川学園高等部
大学:玉川大学文学部
所属:自由民主党無所属
現職:国家公安委員会委員長
内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)
前職:小此木彦三郎衆議院議員秘書
選挙区:神奈川3区
当選回数:8回

小此木八郎の経歴

小此木八郎(おこのぎはちろう)氏は玉川大学
文学部を卒業し1989年父親彦三郎氏の事務所に
入り亡くなるまで秘書を務めていました。

玉川学園高等学部時代には野球部に所属して
大学に進学してからもピッチャーとして活躍。

首都圏大学リーグや春季・秋季のダブル優勝に
も貢献した選手だったそうです。

大学卒業と同時に政治家としてのキャリアをスタート。

父親の秘書として勤めますが、菅氏が11年もの
秘書生活を経て横浜市議会議員に出馬し当選
したのが1987年です。

小此木八郎氏が父親彦三郎氏の秘書になったのが
1989年なので菅総理と入れ違いで秘書として勤めた
ようですが、11年もの間父親の秘書を務めた菅氏とは
旧知の存在だったといえるでしょう。

1993年衆議院議員総選挙で初当選し、父の
後を継ぎ政治家を志しました。

小此木八郎氏の主な経歴は以下の通りです。

●第96代国家公安委員長・内閣府特命担当大臣(防災)
(第4次安倍内閣)
●経済産業副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)
●衆議院安全保障委員長、自由民主党青年局長
自由民主党国会対策副委員長、自由民主党副幹事長(筆頭)
自由民主党国会対策委員長代理(初代)等歴任。

小此木八郎氏は今回初入閣ですが、安倍晋三元
首相とは1993年総選挙の同期で、菅義偉現首相
とは父親の秘書だったつながりがあり話題と
なりました。

小此木八郎の父親彦三郎の経歴

菅総理との関係が深かったと言われる小此木
八郎氏の父親小此木三郎さんとは、どんな人物
だったのでしょう。

名前:小此木彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう)
生年月日:1928年1月26日生まれ
享年:1991年11月4日(63歳)
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:早稲田大学文学部
父:小此木歌治(元衆議院議員)
三男:小此木八郎(衆議院議員)

小此木八郎氏は衆議院議員の父親、彦三郎氏の
三男
ですが、この彦三郎氏の経歴もかなり華麗です。

彦三郎氏は早稲田大学文学部哲学科を卒業し
横浜市会議員を経て神奈川1区から衆議院議員
総選挙に出馬し8回連続当選を果たしています。

小此木彦三郎氏の主な経歴は以下の通りです。

●通商産業大臣(第2次中曽根内閣)
建設大臣(竹下改造内閣)
●運輸政務次官、外務政務次官、衆議院運輸委員長
●自民党国会対策委員長、衆議院議員運営委員長など歴任。

党内でも有数の議運・国対族として知られており
与野党に幅広い人脈パイプを持つ立派な方だった
といわれます。
(1991年階段で転落し頭部強打により63歳で死去)

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小此木八郎の兄弟も凄い

小此木八郎氏は先にも紹介しましたが3人兄弟の
三男になりますが、長男の歌蔵さんは横浜市の
倉庫会社4代目社長なのだそうです。

2016年からは横浜大さん橋国際客船ターミナル
共同事業体代表に就任し、(株)小此木取締役
社長を務めています。

次男・治郎さんについて詳細は見えませんでした。

55歳の若さで入閣を果たし期待される政治家と
なった小此木八郎氏の兄弟もまた凄い人たちの
ようですね。

小此木八郎の家系のルーツ

小此木八郎氏の祖父、小此木歌治氏は実業家で
横浜市会議員を3期務め衆議院議員を1期務めた
方でした。

ただ元々は歌治さんは元々、小此木姓ではなく
本来は栗原陸五郎の四男
として誕生しています。

地元も埼玉県大里群の生まれでしたが1888年の
明治21年生まれの四男だった事からか知り合い
だったのかは定かではありませんが15歳で歌治氏は
材木商を営む、小此木才三の養子となります。

そして地元埼玉の親元から横浜市に移住。

養子になった事で横浜補修学校を卒業しその後
材木商を継ぎ木材商として神奈川県地方木材社長
などを務めます。

このように養子に出た事で実業家として神奈川の
地で知られた存在となり、その後1935年歌治46歳
の時、横浜市議会議員に選出され3期務め、その後は
国政進出し政治家としてのルーツを構築します。

衆議院議員時代には、第一次吉田内閣で商工参与菅
などを務めています。

この小此木家のルーツの基礎を作ったのは小此木家
に養子となった歌治氏だったのは言うまでもありません。

この時代の三男、四男が財産があるが跡取りが居ない
家に養子に出されるのは決して珍しい事ではなかった
と思いますが、それにしても小此木家は相当な家柄
だったのではないでしょうか。

今の時代もそうですが、明治の時代でも政界に
進出すると言う事は相当なお金もかかります。

材木商として財産がある小此木家だからこそ
政治家としても出馬が可能だったといえるのだと
思います。

小此木八郎氏と菅義偉首相との関係


また父親の彦三郎氏の秘書を現首相の菅義偉氏が
11年間も勤めていたことでも知られています。

今回の菅政権誕生で話題になったのが東京に
出て想像していた生活とのギャップを感じ大学
入学を決意し大学卒業後に

「政治が世の中を動かしている」と政治に
興味を持ち、同じ法政大学の法学部の知り合い
「政治家を紹介してくれ」と頼み紹介して
もらった最初の人物こそ小此木彦三郎氏だと
言われています。

いわゆる政治のイロハを教え一から仕込み
秘書から横浜市長へ、横浜市長から国政へと
駆け上がった菅総理の政治家ルーツになった
人物なのです。

その恩師、小此木彦三郎氏のご子息だからこそ
菅政権に入閣するだろう、と菅総理誕生後すぐに
話題になっていた人物こそ、小此木彦三郎氏の
三男、小此木八郎氏だったのです。

彦三郎氏が通商大臣に就任した時、菅氏は
大臣秘書官に抜擢されており信頼をおいて
いたそうです。

菅氏の妻、真理子さんは彦三郎氏の元で
家政婦兼秘書をしており、菅氏は彦三郎氏宅で
毎朝朝食を一緒に取るなど親しい仲で尊敬する
恩師だったようです。

小此木八郎氏にとっても祖父や父といった
親族はもちろん、現首相菅氏とも家族同様の
つながりがあり、まさに華麗なる一族の面々に
囲まれた政治家であるといえます。

小此木八郎氏自身の家族構成は情報がみえず、
妻や子供などがいるのか気になりますが、昔
離婚しまた再婚?

といった噂もでており不明のままのようです。

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おわりに

菅新内閣で国家公安委員長に任命されその手腕が注目される若手政治家小此木八郎氏ですが、父親の小此木彦三郎氏は通商産業大臣、建設大臣として有名な政治家であり、八郎氏も父親の秘書として政治の道に入って行ったことがわかります。
父彦三郎氏を政治の恩師とし菅義偉現首相が秘書を長年勤めてきたこともよく知られています。
菅氏との関係も深く、八郎氏には実業家で社長の兄もおり、父親の他にも祖父歌治氏も政治家であると言う政治家一家に生まれるなどその周囲の華麗なる一族の面々には驚きです。若い小此木八郎氏が今回の抜擢で父親に勝る実績や手腕を残せるか、これからも注目されそうな気配です。


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