劉少奇の息子と習近平の現在の関係に絶句!父親の何番目の子供?

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劉少奇アイキャッチ

中国の毛沢東の行った文化大革命の犠牲者として
失脚させられ、非業の死を遂げた元国家主席
劉少奇の息子である劉源。

彼は軍最高司令部の中央軍事委員会委員などの
重要なポストについた経歴の持ち主で、2015年には
軍を退役しています。

現在の中国を扇動する習近平国家主席とは親しい
関係にあり、二世政治家として有名な人物です。

劉少奇の息子、劉源と習近平国家主席の現在の
関係や、劉源は父親、劉少奇の何番目の子に
あたるのかなどについてお伝えしていきます。

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目次

劉少奇とは文革を担った悲劇の国家主席

劉少奇(リュウシュウキ)とは、中華人民共和国の
政治家で、文革(文化大革命)担った悲劇の第二
国家主席とも言われています。

劉少奇は1959年に毛沢東の大躍進の失政から失脚後
第2代中華人民共和国国家主席となり、毛の急進的
社会主義建設の試みである大躍進政策の失敗で大きな
打撃を受けた中国経済の立て直しをはかります。

あまりに現実離れした毛沢東の計画によって大打撃を
受けた中国国内は4000万人を超える餓死者を出す程の
大失敗に終わります。

そんな中国経済の立て直しを図った劉少奇ですが
大躍進計画で、あれほどの大失敗を起こした毛沢東
元主席でしたが、その存在感と国民への扇動力は全く
衰えていませんでした。

毛沢東のある種の不のパワーは凄まじく当時の
民衆で毛沢東を崇拝した貧困層の農民や貧しい学生
らは毛や、その妻である江青に扇動され「紅衛兵」
として民衆組織を作ります。

扇動され不のパワーに満ちた「紅衛兵」らは
政権奪還したい毛沢東から代2主席の劉少奇の
事をこう言い洗脳します。

「資本主義の道を歩む党内最大の実権派」

として批判の対象とされ、劉少奇と紅衛兵らを
対立する関係としたのです。

もちろん、劉少奇以外にも知識人や政治家、教師
などがそれらの増悪の対象として「反革命分子」
として迫害し殺害されています。

そうして紅衛兵ら民兵組織の若者が迫害し殺害
された国民は170万人以上と公式統計で発表
されています。

あれほどの犠牲者を出した大躍進政策の張本人で
ある毛沢東は、当時まで若者らのカリスマであり
毛沢東が「白いモノでも黒」と言えばそれに従う
ほど崇拝された存在だったのです。

そうした負のパワーがもたらした犠牲者として民衆の
前に非国民的扱いを受けた劉少奇第二国家主席も
1966年の文化大革命で逮捕され監禁にまで至ります。

壮絶な暴行を受けるなど残虐ともいえる仕打ちを
受けた劉少奇は、最終的には体も動かなくなるほど
衰弱し、獄死してしまいました。

毛沢東は、劉少奇らが中国経済回復に努め成果を
収めて信頼を得ていくのを妬み、国家主席を断罪
するという悲劇を生み出しました。

大躍進政策と、その後も扇動した文化大革命によって
被った被害者は今世紀最大とも言われる程で歴史上
最も悪名高い人物として後世に伝わることとなりました。

そして、毛沢東や江青らの扇動したこれらの行為に
よって時の権力者だった劉少奇までも壮絶な最期を
迎え、言われもない被害者の1人だった事が語り
継がれています。

劉少奇の婚姻歴と息子は何番目の子供?

そんな劉少奇(りゅうしょうき)第二国家主席には
プライベートで6回の婚姻歴があると言われています。

毛沢東が4回の婚姻歴だった事を考えても当時の
中国人では、まさに「英雄色を好む」を地で示すような
婚姻歴。

劉少奇の最期の妻だった王光美は中華民国高官の
父親の娘で、劉少奇とは約20歳差の26歳で結婚し。

知性あふれる優雅で美形のファーストレディー
として注目されました。

既に5人の子持ちだったという劉少奇と結婚後、
王光美は子供3人をもうけており、劉源はその
長男だったことがわかります。

劉源に姉がいたので、劉少奇から見れば劉源は
7番目の子供(前妻の子らと合わせると四男と言われている)
だったといえるでしょう。

元々語学の才能に長け通訳もこなしていた王光美は
軍事委員会外事組に勤めていた頃、幹部の一人だった
劉少奇と親しくなり、結婚後は劉少奇の秘書となり
彼を公私にわたり支えます。

王光美は劉少奇が以前の妻との間にもうけた子のうち、
幼かった2人を引き取り育て、後にはソ連に留学していた
子一人(既に成人していた)も家庭に加えています。
(帰国後迫害を受け、1967年自殺)

自身の子供と共に隔てなく6人の子を養育したと
言われていますから、大家族はもちろん良妻であり
仲良く過ごしていたことがわかります。

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劉少奇の息子と習近平の関係に絶句

そんな劉少奇の最後の妻との間に誕生した息子
劉源と現在の中国国家主席である習近平が親しい
友人関係
であったということには絶句します。

習近平主席は2歳上の劉源とは共に上層指導者の
家系に生まれており子供の時からの遊び仲間。

2人とも毛沢東により革命家の父を迫害される
という同様な思春期を持っています。

2人は同じく10代半ばに7年間、極貧農民として
働く農村下放を経験し、大学入試や就職もずっと
同じ時期を過ごしています。

習近平の経歴は地方政府、劉は軍幹部と道は
違えども人生の大決断などの重要なことも相談
し合う近い仲だったといいます。

習近平主席が

「ほとんど同じような人生を送っている劉源とは、何も言わなくても互いの気持ちがわかる。」

と語るほど深い関係であり、劉源を重用して
いたことが明白のようです。

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劉少奇の息子は天敵毛沢東を崇拝する習近平の子飼い?

そんな習近平国家主席が牛耳る近年の中国の存在は
あらゆるマスコミが報じるように完全に政治的趣向に
毛沢東を崇拝している事が話題になっています。

毛沢東的な一人の権力・権威への集中路線を敷き
政治経済や文化のあらゆる分野に中国共産党の関与
を認め支配する方向を打ち出しました。

中国共産党は毛沢東ら過去の思想を学ぶことを提唱し、
習近平主席は毛沢東時代のやり方で「人民に奉仕する」
共産党を取り戻すため、すべきことをしない腐敗した
幹部をも容赦なく摘発したりしました。

そんな彼と共に中国を支えた劉少奇の息子劉源は、そんな
習近平主席の子飼いかとも言われているようです。

習近平が主席になる頃も、劉源は彼や党中央の発展の
ために尽力し、習の進めた幹部の反腐敗キャンペーンを
積極的に押し進めるなど忠実に彼の方向に従ったのです。

かつて毛沢東の文化大革命の中で失脚し壮絶過ぎる最期
を迎えた劉少奇の実の息子として、若い頃は痛烈な毛沢東
批判をした劉源ですが、出世に伴い権力を蓄えるうちに
そうした思想も消え、毛沢東と同様な独裁的手法で歩んでいる
という指摘もあります。

習近平主席の強大な権力の元にある中国の行方と共に、
毛沢東の悲劇の再発を危惧する声も出ており、劉源の
影響力も大きいものだったといえるでしょう。

おわりに

毛沢東の文革を担った悲劇の国家主席である劉少奇の息子劉源は、劉少奇の妻王光美の長男で、劉少奇の7番目の子と思われ、現在世界に脅威を誇る中国国家主席の習近平国家主席とは昔からの親しい友人関係であるというのは驚きです。
習近平国家主席は劉源にとって天敵ともいえる毛沢東を崇拝していると言われ、彼や中国共産党の強大な権力があらゆる分野に反映されていることがそれを示しています。軍幹部として重用された劉源はそんな習近平主席を支え、彼の政策推進に努め、習近平の子飼いとも揶揄されています。文革で多くの人々が命を奪われ、歴史に残る悲劇を生んだ教訓がありながら、また毛沢東路線がひかれていくのか、中国の新たな時代の幕開けに不安が走ります。
時代の流れと盤石な権力闘争の中、世襲に背いて迫害され壮絶な最期を迎えざる得なかった悲劇の第二国家主席劉少奇はそんな息子劉減を見て、あの世で何を想うのでしょう。


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