岸信夫の養子の理由は?岸信介と安倍寛を祖父に持つ母洋子の戦略

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菅内閣誕生後、安倍晋三元総理の弟である岸信夫氏が防衛大臣として入閣しました。

安倍晋三氏の実の弟でありながら苗字が違う理由や、養子に出された理由は何だったのか?

同じ岸信介と安倍寛を祖父に持つ岸信夫氏の家系図に一体どんな背景があるのでしょう。

岸信夫氏が養子になった理由や、岸信夫氏の祖父である元総理岸信介氏と元衆議院議員安倍寛氏、母親の洋子さんの戦略についてもお伝えします。

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目次

岸信夫プロフィール

氏名:岸信夫(きしのぶお)
生年月日:1959年4月1日(61歳)20年9月時点
出生地:東京都
出身校:慶応義塾大学経済学部
前職:住友商事社員・参議院議員
現職:第21代防衛大臣
所属政党:自由民主党(細田派)
配偶者:岸智香子
親族:安倍寛(祖父)・岸信介(祖父)・安倍晋太郎(父)
・岸信和(養父)・安倍寛信(兄)・安倍晋三(兄)
主な経歴:参議院議員議員(2期)・衆議院外務委員長
・外務副大臣、防衛大臣政務官、衆議院安全保障委員長など。

岸信夫の養子の理由

菅内閣が誕生して防衛大臣に任命されにわかに前内閣総理大臣安倍晋三氏の実弟として注目されている岸信夫氏。

祖父も第56・57代内閣総理大臣の岸信介というサラブレッドですが、兄の安倍氏とは苗字が違うのであれっと思った方も多いでしょう。

岸信夫氏は内閣官房長官を歴任した父安倍晋太郎氏の三男として生まれますが、戸籍上生後すぐ岸家に養子に出されたという過去があります。

また2人の大物政治家の祖父を持つ、ということでも知られています。

岸信夫氏は前総理、安倍晋三氏と同じく、元外相内閣官房長官として有名な安倍晋太郎氏と母洋子の間に三男として生まれています。

そして信夫氏は実子のいない岸信和(母洋子の実兄2017年10月95歳で老衰により死去)・仲子夫妻の養子となっています。

岸信夫氏は母親の実家に養子に入ったわけで岸信介、元総理の一人息子だった岸信和氏に子供がなく、軽度の障害(3歳で小児麻痺を患い足をひきずっていた)もあり政治活動に困難があった、というのが養子の理由でした。

祖父で元総理の岸信介氏、その実弟である佐藤栄作氏も内閣総理大臣だったという生粋の総理大臣家系ともいう血筋を止めてしまうのは、許しがたいことだったといえます。

跡取りのなかった岸家にとって信夫氏との養子縁組は願ってもない縁だったに違いありません。

事前に岸・安倍両家の間で

「3番目が男なら岸家の養子とする。」

という約束があったのだとか。

それをまさに叶える辺りが岸信夫の岸家の娘として誕生し、実父と叔父に総理大臣、夫に外務大臣、内閣官房長官まで務めた安倍晋太郎氏、そしてその夫との間の次男である安倍晋三氏を歴代最長の総理にまでした母洋子さんが、どう考えても凄すぎます。

洋子さん自身が男性として誕生していたなら、間違いなく自身がその血を絶やす事なく総理となっていた程の人だったのでしょう。

齢90を超えた現在94歳となっても政界のゴットマザーと言われる由縁かもしれませんね。

岸信夫の驚愕の真実を知る時!

岸信夫氏によると、大学入学時に自身の戸籍謄本を見て初めてそのことを知ったというから驚きです。

大学生になるまで、安倍晋三元総理やその兄の事を従妹として接していたと言うのです。

幼少期から頻繁に安倍家に出入りしており、仲のよい親戚であった人たちが実際に同じ両親の元誕生した自身の親や兄ということがわかり、しばらくは気持ちの整理がつかなかったというほどショックをうけたのでした。

当然そうなるでしょう…

誰もが知る政治家一家故の苦肉の策とはいえ昭和の時代の話とは思えない実話ですよね。

まるで戦国時代の武将や将軍家の話を聞いているみたいです。

本人の知らない幼い時期に養子に、されていたというのはとてもかわいそうですし、岸家がそうそうたる立派な家系とはいえ、生後すぐに養子に出す両親というのも凄いですね。

さすが、安倍家のゴットマザーと言われるだけの事はあり岸家出身の旧姓岸洋子さんが男児の途切れそうな実家の為に、ひと肌脱いだと言う事になります。

勝手に養子に出された本人にとっては複雑な思いでしょうが、岸信和氏にとっても元総理である岸信介氏にしても、この娘からの実子の養子は願ったり叶ったりだったのは言うまでも無いでしょう。

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岸信夫の祖父岸信介がA級戦犯?

岸信夫氏の祖父で元総理の岸信介氏は終戦後A級戦犯と言われたりもしています。

今となっては、たら~れば~の話題にはなってしまいますが、実際歴史を振り返ると、この言われように否定できない側面はあるでしょう。

岸信介氏は東条内閣の商工相として開戦の詔書に署名し、戦時の経済を仕切ったとされています。

戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに3年拘束されました。

不起訴にはなったものの彼の戦争責任は重く歴史上に名を残すことになります。

岸氏はA級戦犯で拘束後、昭和28年には代議士に当選し、わずか4年で首相になるという偉業を達成し「昭和の妖怪」とも称されました。

戦後は日本の自立と復興に尽力した岸信介総理という印象が先に立ちますが、戦時中大臣を務めており開戦に寄与した人物であったことは驚きです。

そして1番のA級戦犯として東条英樹を祭り上げる絵を描き処刑へと導いた張本人とも言われています。

様々な策略を経て政治家としての最終的な責務を時の権力者、東条英樹にかぶせる事で自らの戦犯色を薄くするための印象操作をした、とも言われた策士でもありました。

昭和の妖怪と言うあだ名は、こうした政治的な印象操作の上手さにもあったのかもしれません。

その娘が先の岸信夫氏や安倍晋三元総理の母である安倍洋子さんなので、これまた政界で「妖怪の娘」と言われゴットマザーと言われるのも成程です。

岸信夫もう一人の祖父安倍寛は山口の英雄

ところで安倍晋三元総理と言えば、岸信介を尊敬する祖父として常々その名を挙げていた事は事に有名です。


ですが安倍氏には、本人さえ、その名を口に出さないもう一人の祖父、父晋太郎の実父である安倍寛(あべかん)と言う山口の英雄と呼ばれた人が、岸信介と時を同じくして政治家として衆議院議員として活躍していました。

岸信夫氏にとっても、もう一人の祖父安倍寛(かん)はA級戦犯と言われた岸信介氏とは真逆の持論である反戦を主張した政治家として知られる人物です。

それは日本中が戦争に色めき立ち血気盛んとなっていた戦時中のさ中に、政治家として反戦・反骨を貫いて
いた政治家だったからです。

当時負け知らずの日本が戦時中、東条英機に反対し立ち向かった8人衆の一人として当時の政界では知られた人物だったのです。

あの戦前戦中の日本の戦争への勢いは尋常では無く、政治家全体で戦争を煽る雰囲気の中、非推薦を貫いたと言う事が、どれほど異端児だったか。

そして安倍氏や岸伸介元総理の地元としても知られる山口県でも英雄として崇められている人物だそうです。

寛氏は若い頃、脊椎カリエスや結核に苦しみながらも地元の要請で村長になり地元に貢献した人物です。

昭和12年の総選挙に無所属で当選し政治家運動を展開、戦時中に反戦を唱えるという大それたことを堂々と成し遂げたのでした。

他にも寛氏は山口県下関市北部にある角島小学校(廃校)の焼失した初代校舎の新築に使う材木調達を一手に手掛け、昭和20年の建て替えにも惜しみなく地元に貢献した篤志家でした。

岸寛氏は山口県では「昭和の吉田松陰」と親しまれ選挙区の古い後援者には岸元総理よりも、はるかに人気があった人だったといわれています。

見た目もとてもハンサムで、あの戦中の中堂々と反戦を貫いた人物でしたが若い頃から身体だけが弱く志半ばの51歳で心臓麻痺でこの世を去ります。

こうして考えると、安倍元総理の家系は、本当に華麗なる一族だったのが分かりますね。

同じ政治家として同じ時を生きた、もう一人の祖父岸信介元総理は、安倍晋三元総理や、その弟岸信夫氏の母である娘の洋子氏と、その夫であり
安倍寛の息子晋太郎との結婚話が浮上した時こう言ったそうです。

「大津聖人の息子なら心配ない」(安倍寛の息子なら)と言ったそうです。

この大津聖人と言うのは地元山口の人が今松陰や大津聖人=金権腐敗を糾弾できる清廉潔白な人格者として呼ばれていた人物だった事を知っての言葉だったそうです。

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岸信夫の母洋子(ゴットマザー)の戦略

岸信夫氏の母洋子さんは岸家の血筋が途絶えることを、阻止するため3男の信夫氏を兄の為に養子に出したのですが、時を経て養子に出したことを後悔したそうです。

その後、信夫氏を我が子同然のように(実際我が子だが)接し政治家にしたと言われています。
(『絶頂の一族』松田賢弥)

実の母親、洋子さんの、岸家に政治一家としての主導権を再びもたらそうとする密かな戦略がこの時既に始まっていたといえそうです。

頭脳明快で優秀だった岸信夫氏は大学卒業後、住友商事に入社し、21年間商社マンとして務めた後、政界に入ります。

その後、議員生活を送ることになるのですが、裏には洋子さんの名門、岸家存続を狙うかのような一押しがあったのには絶句します。

信夫氏を大事に育て、大学生まで養子であることを明かさず可愛がってきた洋子氏の兄、岸信和夫妻でしたが、このことを巡り仲子夫人は精神を病むという悲劇にみまわれ、信和氏と離婚したといいます。

岸信夫氏の実母、洋子さんの戦略により、信夫氏を養子にした兄の岸信和夫妻との間に当然ながら、確執が生まれることとなったわけで、そのしたたかさにはあぜんとしますね。

三男の岸信夫氏と次男の安倍晋三氏は、休みに一緒にゴルフをしたり家族同士で食事もするなど現在も交流はあるようです。

当然と言えば当然ですが…

あれほど一卵性?と言われても納得してしまいそうなよく似た実の兄弟です。

華麗なる政治家一家とはいえ親の策略とは裏腹に実の兄弟なのだから、従妹と思い込んでいた過去を振り返り気持ち悪いなと感じるくらいではないでしょうか。

そして時は巡り世襲政治家とし祖父の後を追い、次男の安倍晋三氏が総理として8年に迫る長期政権を牛耳った訳ですが、今度は、その息子に子供が居ない=跡取りがおらず弟岸信夫氏の息子に白羽の矢が立てられているとの噂が…

まだまだこの先も世襲政治家としての華麗なる一族の家系は続いていくのでしょう…

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おわりに

防衛大臣として初入閣を果たした安倍晋三元内閣総理大臣の実弟として注目される岸信夫氏は、安倍晋太郎氏の3男でしたが、岸家の養子となり、産みの母ゴッドマザーこと安倍洋子さんの岸家存続のための策略もあり政治家への道を歩み始めます。
岸信夫氏には2人の祖父があり、戦後A級戦犯で拘束されながらも内閣総理大臣になった岸信介氏と、戦時中に反戦を貫き山口の英雄といわれ尊敬を集めた政治家安倍寛氏がおり、日本の歴史上で偉大な業績を残した人々であったことがわかります。
実兄である安倍前首相の辞任で新政権に変わり、彼と入れ替わるように入閣した岸信夫氏ですが、祖父や兄のような脈々と流れる政治家一家の一員としてどのような功績を残せるかに視線が集まっています。


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