
十両で活躍する對馬洋がイケメンだとスー女の間で話題のようです。今回は今後活躍が期待される對馬洋のイケメンぶりや四股名の読み方に由来に歴代大関の関係など調べてみようと思います。
いかにも人気力士になりそうなイケメンぷりが話題の對馬洋のこれまでの経歴と共に追ってみましょう。
目次
對馬洋プロフィール
四股名:對馬洋勝満(つしまなだ まさみつ)
本名:梅野勝満(うめの まさみつ)
生年月日:平成5年6月27日(29歳)23年1月時点
出身地:長崎県諫早市
身長:184㎝
体重:136㎏
最終学歴:日本大学
所属部屋:境川
最高位:十両14
初土俵:28年5月
決り手:叩き込み・寄り切り・押し出し
對馬洋の四股名の由来に歴代大関?
一見すんなり読めそうにない對馬洋の読みは(つしまなだ)ですが、どこからこの四股名を命名したかが気になります。
下の對馬洋勝満(まさみつ)は本名の名前ですが上の四股名となる對馬洋が難しいだけに気になります。
この對馬洋の四股名の由来には大正時代に大関として、活躍した同じ故郷の長崎県出身の對馬洋が由来となっているようです。
明治20年1887年に現在の対馬市厳原町久和に誕生した、元祖對馬洋(本名川上弥吉)は当時の平均日本人としては異例の体躯の持ち主で、190㎝105㎏の恵まれた体格だったとか。
現代でも日本人平均身長(21年170.8㎝)だと考えたら相当な体格の良さで、時代背景から旧日本陸軍の対馬重砲兵大隊に入隊後、そこで知り合った上官の勧めで除隊し出羽海部屋に入門したのだとか。
角界入りしてからは22歳で直ぐに初土俵、25歳で十両となり右からの上手投げ、小手投げ、つりを得意技として1919年大正8年には6勝1敗3預かりの好成績で31歳で大関へと昇進します。
その後怪我が原因で大関から陥落22年34歳の若さで引退しましたが、太く短くも力士の世界で大関まで昇進した力士と言う事で故郷の長崎県では100年経った今も地元の対馬國後援会が送った化粧まわしが保管されているのだとか。
長崎県対馬では英雄だった大関對馬洋から、大関對馬洋のようになって欲しいの願いと対馬市出身の父親にちなんで平成生まれの對馬洋が、その四股名を受け継いだのが由来なのだとか。
本人は長らく大関對馬洋の親戚だと思っていたようですが、調べたところ全くの無関係だったのだそうです。
大正時代に活躍した故郷の大関力士の四股名を平成生まれの對馬洋として再来を願う故郷の人の気持ちが詰まっての四股名の由来だったのですね。
對馬洋の経歴
小学4年の10歳でで地元の相撲道場(両国少年相撲クラブ)に入部
中学高時代バスケットボール部に入部
全国中学校相撲選手権に出場した時に諫早農業高校の農業土木科に進学
この高校の相撲部に勧誘され再度の相撲部入部へ。
日本大学文理学部体育学科に進学・相撲部入部。
1年時東日本学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級優勝
2年で東日本学生相撲競技会優勝
3年生では東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級の優勝
4年の時に左膝半月板損傷、左膝前十字靭帯損傷の大怪我で力士の夢を一旦諦め
諫早農業高校相撲部OBが経営する企業に就職する。
その後同期の美ノ海が角界入りした事で自身も角界入りを決意境川部屋に入門。
2016年7月場所で初土俵(前相撲)で当時の千代大豪(現錦城)との対戦でボコボコに張りての連発を食らい相撲には勝利したものの取組後自身も脳震盪を起こす一幕が話題となります。
その後は快進撃で一気に幕下へと昇進したものの怪我の影響などもあり、低迷期と混合した成績が続いています。
生涯戦歴 161勝100敗21休/260出(39場所)
十両戦歴 14勝14敗/28出(2場所)
幕下戦歴 117勝81敗21休/197出(31場所)
三段目戦歴 18勝3敗/21出(3場所)
序二段戦歴 6勝1敗/7出(1場所)
序ノ口戦歴 6勝1敗/7出(1場所)
前相撲戦歴 1場所
番付外戦歴 1場所
對馬洋がイケメン力士の人気が急上昇
さて順風満帆とはいえないものの確実に実力を発揮して現在十両14枚目に昇進してきた對馬洋ですが、上がったり下がったりの成績を繰り返すも何とか現在の十両に上がり、そのイケメンぶりがスー女の間で話題のようです。
10/5八千代場所 境川部屋 對馬洋さん 玉ノ井部屋 一木さん pic.twitter.com/5fpF4X93WZ
— ニジマス (@tsuitabesugite) October 11, 2017
確かになかなか整ったイケメン力士。184㎝と高身長で体重も130㎏代なので大型力士の中ではバランスの取れた体躯と整った顔立ちがイケメン力士そのものです。
今後活躍次第で益々注目を集めそうな力士の1人なので、是非チェックしておいてくださいね。
千代大豪の張り手が強烈?異例の経歴と癖強すぎな喧嘩相撲の犠牲者
おわりに
今後が期待できそうな十両力士對馬洋のイケメンぶりと遅咲きながらも確実に昇進してきた對馬洋は同じ故郷を持った100年前の大関對馬洋から四股名を譲りうけた形で對馬洋(つしまなだ)と命名されたようです。
益々の今後の活躍に目が離せそうにありませんね。
この記事へのコメントはありません。