上島竜兵が有吉弘行の恩人と言われる理由!評判良すぎる性格とは

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上島竜兵アイキャッチ

お笑い芸人ダチョウ俱楽部の上島竜兵さんが同じく、ピン芸人で活躍する有吉弘行さんの恩人と言われる理由をご存じですか。

ブレイクからどん底まで落ちて再ブレイクした現在飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する有吉弘行の恩人と言われるわけ。

上島竜兵の評判がよすぎる性格までを追ってみようと思います。

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目次

上島竜兵プロフィール

氏名:上島竜兵(うえしま りゅうへい)
本名:上島龍平(うえしま りゅうへい)
生年月日:1961年1月20日61歳(22年5月時点)
出身地:兵庫県氷上郡春日
血液型:AB型
身長:162㎝
師匠:志村けん
出身:劇団青年座研究所
トリオ名:ダチョウ倶楽部
相方:肥後克洋:寺門ジモン
芸風:コント・モノマネ・リアクション芸
活動期間:1985年~2022年

上島竜兵が死去

2022年5月11日深夜12:00過ぎ、東京中野区の自宅マンションにて上島竜平さんが死亡しているのを家族が発見。

病院に搬送されましたが死亡が確認されたそうです。自宅で首を吊った状態でお亡くなりになっていた事が明らかになっています。

(享年61歳)

上島竜兵が有吉弘行の恩人と言われる理由

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍でピン芸人として数々の冠番組を持つタレントの、有吉弘行さんにとって上島竜兵さんが恩人だと言われている事は度々テレビでも放送されています。

一見接点が無さそうな2人が一体どんな関係で恩人だと言われるのでしょう。

その理由はさかのぼって有吉弘行さんが猿岩石時代に、電波少年のヒッチハイクで一躍タレントとしてブレイクした過去にまでさかのぼります。

当時の猿岩石でのブレイクは凄い人気でしたが、その人気も一時のモノで猿岩石としての仕事はあったものの、ピン芸人としては全く仕事が無い本人曰く「地獄を見た」と言う状態にまで陥ります。

手のひらを返したような干されっぷりに本人も困惑して一時は引き籠り状態まで陥った有吉弘行さんですが、そんな状態を見かねて気にして自ら開催する「竜兵会」に呼び出して外に連れ出したのが上島竜兵さんだったのです。

誰もが売れっ子の時は引く手あまたで人が寄ってきたのに、売れなくなった途端態度を急変させたり、あからさまに不躾な態度をされたりした有吉さんは当時若かった事もあり、ある種の人間不信となったといいます。

でもそんな状態から、そんな事ではダメだといわんばかりに目を掛け声を掛け、外に連れ出し落ち込み気味で売れない芸人となっていた芸人らに相次いで声を掛けて面倒を見た上島竜兵さん。

そんな中の1人だった有吉弘行さんは、当時のそんな上島竜兵さんのそうした気遣いが内心とってもありがたかったのでしょう。

当時から可愛いビジュアルだった有吉さんを自らの運転手にしようとしたり、上島さんは、当時同じく売れない芸人だったカンニング竹山さんらにも声を掛けてお笑い論やパーティーを主催して盛り上げたといいます。

そうした行為を当時どれほどありがたかったか、と有吉さんは恩義に感じているのでしょう。

今や当時の落ち込みぶりからしたら、嘘のように再ブレイクを果たした有吉さんは、上島竜兵さんにはm特別な恩義を感じて「上島貯金」をしている程。

この「上島貯金」は竜兵さんが老後に稼げなくなった時、この「上島貯金」を使って上島さんを養ってあげようという心意気から始めたそうです。

あのクールでシビアな毒舌が売りの有吉さんが、ここまで上島竜兵さんにするという事は一言では語れない当時の竜兵会へ恩義を感じているからこそ。

上島竜兵さんも売れっ子芸人ら同士集まるならまだしも、売れなくなった芸人タレントらだからこそ、あえて声を掛け励ますように「竜兵会」に集めてパーティーをしていたと言う所が人として素晴らしいですよね。

なかなかできる事ではありません。逆ならしかりですが…

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上島竜兵が評判良すぎな性格とは

キレキャラやイジラレキャラなイメージが強い上島竜兵さんですが、実は物凄い繊細で、人の気持ちが分かる優しいい人だという事が分かります。

その他にも自分が弄られるのは笑いを取る為にも良しとしながら、他者を弄る芸を好まなかった上島さん。

以前から「人をさげずんだ笑いはイヤ」と言っていた上島さん。

彼には彼流の終わらないの流儀があったのでしょう。

有吉弘行さんが本当に仕事が思うようにいかない時も「俺はお前が好きなのに、なんで仕事が無いんだ」と号泣して悔しがったほど我が身の如く本人の悩みに寄り添って話を聞くなど、とにかく優しいのです。

芸能界の世界では売れる売れないに限らず上下関係が厳しい世界である事も知られていますが、お笑い界は尚更です。

そんなお笑い界においても上島さんは上下関係関係なく、弱った後輩の相談に乗り励ましたり、また自らも悩みを後輩の吐露して相談するなど等身大の人間として付き合える人の良さを持ち合わせていたとも言います。

当然人と人との付き合いなので、このように寄り添ってくれたり、時には自らの弱みを見せて本音で相談してくれたり、となると親密になるのは当然の事、誰からも愛される芸人だったのはこうした年齢も上下関係もなく分け隔てなく付き合える懐の深さも関係あったのでしょう。

本人も後輩先輩、「売れてるか売れてないか関係なく、人とは平等にお付き合いしています。」と語っていたそうです。

そうした上島竜兵さんだからこそ、あの毒舌家の有吉弘行さんでさえ、上島竜兵を悪く言う人がいるとキレて激怒していたといいます。

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おわりに

コロナ渦の中2020年には師匠である志村けんさんがコロナで亡くなり世間を騒然とさせました。上島竜兵さんもどこか自らの未来に不安を抱えていたのかもしれません。人知れず売れない芸人となった芸人やタレントらを励まし続けて支えてきた彼が今回のような最後を選んでしまった事が残念でなりません。今はだたご冥福をお祈りします。ゆっくり志村けんさんとお休みください。


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