鈴木その子の白い理由!夫や子供の現在に死因とダイエット法の関係

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鈴木その子アイキャッチ

思わずすっぴんはどんな顔なのか?と思う
程の白塗りで一世を風靡した鈴木その子さん。

鈴木その子さんが急死してかれこれ20年の
月日が経ちましたが、今更ながら、あの顔の
白い理由や彼女の家族である夫や子供の現在
などが気になります。

化粧品やダイエット本で一躍時の人となった
鈴木その子さんの、独特のキャラクターは
唯一無二の存在でした。

改めて事業家としてもやり手だった鈴木その子さんの
白い理由、結婚した夫や子供の現在、その子さんの
死因とダイエット法の関係についてお伝えします。

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目次

鈴木その子プロフィール

名前:鈴木その子
本名:鈴木荘能子(そのこ)
生年月日:1932(昭和7)年1月20日
没年月日:2000年12月5日(享年68歳)
職業:美容研究家、料理研究家
出身:東京都
学歴:学習院女子短期大学

鈴木その子の顔が白い理由は?

1990年後半、お人形かのような、ものすごい
厚塗りかのような白い顔にライトを当てた
鈴木その子さんの姿がメディアに現れ強烈な
インパクトだったのを思い出します。

ブレイクした時は既に60歳を過ぎていたと
いいますが、美白顔の事業家として一気に
人気者になりました。

鈴木その子さんの顔がお面のように白い理由
何だったのでしょうか。

本人はこれについて語ってはいないようですが、
彼女は若い頃から元々きれいな方で白塗り&ライト
で異常なまでのこだわりがあったようです。

物凄い白塗りに見えていましたが美容会社の
経営者でもあり宣伝も兼ねて意識して白塗り
をブランディングしていたのではと言われています。

1998年「未来ナース」というテレビ番組に
レギュラー出演したその子さんは渋谷にいた
ガングロ(顔黒)の女子たちをお姫様のように
白く見せるコーナーで知名度を高めました。

当時「驚いたのは、番組で会うガングロの女の子達の
肌の汚さだった。ここにも私の新しい使命があると思った。」

と述べています。

顔の白さを強調する、ライティングが鈴木さんの
白肌のイメージを助長し、内側からの美を提唱した
彼女を象徴するものであったといえるでしょう。

白塗りの詳しい理由は謎ですが、彼女の風貌には
行き過ぎとか、仮面みたい、果てにはマイケル・
ジャクソンみたい
とか言った声もあがっており
それがかえって人々に強い印象を与えていたことは
間違いといえます。

確かに死後20年の時を経ても変わらぬ存在感は
他を圧倒する白さで今も記憶から薄れる事が
ありません。

それほど顔の白さでは図抜けている女性でした。

自社化粧品の美白効果をブランディングする
為だったとは想定外の事実ですが、そう考えると
物凄いやり手だったのかもしれません。

だってそれほど当時の鈴木その子さんのメディア
への取り上げられ方は半端では無かったのです。

その子様までの白塗りには程遠くても現在でも
白い事を良しとする美白信者が多いのは周知の
事実。

それを自らの顔を持って白塗りにしてブランディング
していただなんてやり手そのものですよね。

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鈴木その子の夫や子供の現在は


若かりし頃のその子さん美しいの一言!

鈴木その子さんは名門の学習院短期大学生活科
食品化学を学ぶ裕福なお嬢様でしたが、卒業と
同時に鈴木康郎さんと結婚し専業主婦となりました。

夫の鈴木康郎さんは実業家で、彼女の在学中に
親のすすめでお見合いをして結婚に至ったそうです。

その後一男一女をもうけ、幸せな専業主婦生活を
送りました。

鈴木さんは料理が大好きで、1974年にはその
才能を生かして銀座に新日本料理レストラン
「トキノ」をオープンしています。

ところが1976年20歳の長男康之さんが、自宅
マンション5階のベランダで過度のダイエット
からの脳貧血を起こし転落死するという悲劇に
見舞われます。

ショックを受け悲しむ、その子さんでしたが、
このことを境に健康維持しながら無理なくダイエット
する方法の研究を始め彼女の独特のダイエット
巷で話題になりました。

夫や娘についての情報はあまり見えませんが
長女のまゆみさんは、その子さんが残した約
88億円もの遺産などを引き継いだということが
伝わっています。

88億とは想定外に莫大な遺産で、今更ながら
鈴木その子さんの実業家としての高い能力を
示す遺産の多さではないでしょうか。

ハンパじゃありません。

鈴木その子のダイエット方法

亡くなった長男康之さんは、無理なダイエットで
拒食症となり苦しんでいたようで、衰弱した体で
友人を見送る最中貧血を起こし事故死しています。

以後、当時の主流であった食事抜きの方法から
脱却し、以前から研究していた健康で美しくなれる
「SONOKO式食事療法」を完成させます。

鈴木さんは1980年には

「やせたい人は食べなさい」という本を出版し
100万部のベストセラーとなりました。

彼女のダイエット法では、白米を1日3回きちんと
食べることが必須とされ、女性なら1食180~240g
男性なら300gが推奨されるというからびっくりです。

糖質制限とは真逆の方式で、美と健康に配慮した
食品やサプリ、スキンケア化粧品なども多く販売
しています。

やがて鈴木さんはダイエットのカリスマ的存在として
スポットを浴び、彼女が経営する健康食品会社
「トキノ」で商品を販売する事業家としても知られる
ようになります。

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鈴木その子の死因とダイエットの関係

2000年12月6日の夜、「美白の女王」として
その驚きの、白ぬりの肌と独特のキャラクターで
知られた美容研究家の鈴木その子さんが68歳で
急死し話題となりました。

とは言え活躍していた鈴木その子さんの訃報は
あまりに突然でした。

今考えても持病があったとの噂さえなかった鈴木
その子さんが急死に近い状態でお亡くなりになった
理由が分かりません。

調べてみたら鈴木その子さんは風邪をこじらせ、
亡くなる一週間前から都内近郊の病院に入院
していました。

ところが風邪から悪化して肺炎を併発して2000年
12月5日に亡くなった
ことがわかっています。

亡くなる前日も病室で寿司の出前を平らげるほど
元気なその子さんだったそうですから、その急な
死は衝撃でした。

6日の午前には、すでに夫や娘ほか、わずかな
人たちとともに密葬されています。

彼女のダイエット法などでの活躍ぶりもあり、
死因とダイエットの関係を疑う声もありますが
どうなのでしょうか。

鈴木さんは同年9月頃から風邪気味でなかなか
治らず、ずっと2~3時間の睡眠で仕事と言う猛烈な
働きぶりでした。

10月には渡仏しパリコレにも出演していたそうですが、
帰国後体調が悪化し車椅子で移動していたとか。

11月23日に「笑っていいとも!」にも出ていますが
立ち上がるもやっとという感じだったそうです。

そして年末の仕事に向け、体調回復を目指し2週間
極秘入院した直後の急変ですから、ダイエットとは
関係がないようです。

多忙を極めていた時期ですが何でも一生懸命に
取り組む彼女の姿勢から疲労も重なっていたため
と思われます。

息子の死に絶望しながら世の中に健康的なダイエットと
女性の美白を追求して自らが最後まで実践してみせた
鈴木その子さんの著書は説得力があるのでしょう。

おわりに

「美白の女王」として一世を風靡した鈴木その子さんの驚くほどの白さの理由は噂になりましたが、おそらくは白塗りメイクとそれを強調して顔にのみ照射したライトによってできたもので、彼女の美容家としての顔の宣伝効果を狙ったものであるといえるでしょう。
息子さんを過度のダイエット法によって亡くしており、以後健康と一体にしたダイエット法を確立し仕事にストイックなまでに励みました。
2000年68歳で突然亡くなった鈴木その子さんですが、彼女の提唱したダイエット法や理論で多くの人々が幸せを得ることができ、人気は今も衰えないようです。勉強家で真面目に美や健康の本来の姿を追究した彼女の功績は大きかったといえるでしょう。


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