鈴木詩織のインスリン大量投与で夫は瀕死に!中国から来た毒婦

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鈴木詩織アイキャッチ

現代もあるだろう日本人と中国人妻とのお見合い
ツアーで知り合い日本人妻となった鈴木詩織。

夫となった鈴木茂にインスリン大量投与で
死亡させると言う事件は当時センセーショナルに
報じられました。

鈴木詩織が日本人妻として夢見た世界とは
一体どんな生活だったのか。

そして詩織がリアルな日本人妻として暮らす内に
自分の思い描いていた生活には程遠い事に気が付き
彼女が毒婦と呼ばれるまで行った行為の数々を
改めて追ってみようと思います。

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目次

鈴木詩織のインスリン大量投与事件

2006年「中国人妻の夫殺人未遂事件」で逮捕
された鈴木詩織。

中国人妻の彼女が夫の鈴木茂に大量の
インスリン大量投与したことで植物状態に
なり注目を浴びました。

鈴木詩織は、日本人夫である鈴木茂と
お見合いツアーで結婚しており、夫の目を
盗み性風俗で働いていた事や1000万円で整形
したという噂なども話題になり、中国から来た
毒婦といわれています。

鈴木詩織(41)は中国出身の女性で、2006年に
逮捕されています。

彼女(当時33)は2003年10月に夫の鈴木茂当時
(54)さんに熱湯を浴びせ故意に5か月の火傷を
負わせます。

その後も2004年には糖尿病治療薬である
インスリンを茂さんに大量投与した殺人未遂の
罪を犯しています。

鈴木詩織は病院で知り合ったA子(41)から
インスリンを受け取り通常の10倍に当たる
量を夫の茂に投与したとされています。

夫の茂さんは一命はとりとめたものの植物状態と
なり、5年以上目覚めず2009年に亡くなりました。

2008年に裁判で懲役15年の重い実刑判決が確定
しており、現在も服役中の詩織ですが、当時の
鈴木詩織が風俗店で働いていたことや、1000万円で
整形していたことなどから「中国人鬼嫁」「毒婦」
などと呼ばれ注目されました。

近年のお嫁さん不足からくる日本の村社会で
ある中国人妻と日本人夫との殺人事件でかなり
注目を集めました。

鈴木詩織と夫茂の馴れ初め

中国黒龍江省出身の鈴木詩織は1993年10月
お見合いツアーで中国を訪れた千葉県匝瑳郡光町
(現・山武郡横芝光町)の農業兼左官業、鈴木茂
さんと出会います。

2人は詩織が翌年9月に来日し、そのまま
結婚しています。

結婚当時の夫の鈴木茂さんは既に43歳、詩織は
22歳で親子ほども年齢の違う結婚でした。

後に事件の犯人となる妻の詩織によると当然の
如く結婚に愛はなく、移り住んだ千葉の寒村に
兼ねてから故郷の中国で描いていた京都のような
イメージとはかけ離れていた現実に愕然とします。

想像していた生活や理想の日本での結婚生活を
描いていた詩織は現実との落差を感じ、居心地の
よい地ではなかったようです。

結婚し鈴木茂との間に子供2人が生まれますが
子供の教育方針などで食い違い夫とは喧嘩が
絶えなかったとか。

やがて離婚話、子供の親権争いへと事態は
進んでいきました。

2人の子供は鈴木詩織の出身である中国・黒竜江省
に預けられ、子供とは離れて生活していますが、
茂さんが子供の親権は譲らないとし、離婚したいと
願う鈴木詩織を悩ませていたそうです。

そうした夫婦の背景が、夫殺害未遂事件への
きっかけになったのではないかと思うのですが…

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鈴木詩織の驚愕の容疑の数々

それにしても夫の茂にした殺害未遂事件だけでも
相当な内容の事件を起こした中国人妻の詩織。

ただ彼女が恐ろしいのは、茂殺害未遂事件から
明らかとなるのですが、それ以前にも日本に
移住してから不可解な不幸が重なっています。

1994年に日本に来日してから既に1年近くの
月日が経過した鈴木茂と詩織夫婦には茂の親で
ある両親の存在がありました。

1995年12月鈴木家の母屋の火災が発生し、茂の
両親が遺体で発見されています。

司法解剖で2人が殺害した後、殺されたことが
わかり、放火による殺人事件と判明し当時22歳
新婚の鈴木詩織も徹底した取り調べを受けています。

姑が厳しい人で息子の茂に

「あの嫁は財産目当てだから、子供は作らなくていい、と何度も言っていた」

といい、当然ながら疑惑を向けられたといえます。

本人は潔白を訴えましたがその後、夫婦の関係
にも亀裂が入っていきます。

2003年には夫の茂さんが詩織に熱湯を、かけられ
全治5か月の重傷で入院していますが、詩織が受け
取り名義の茂さんの生命保険が5000万円もかけられて
いたそうです。

2人の子供の養育について、もめ事が多かった時で
詩織が帰省の際に息子2人を中国に置いてきたのを
怒った茂さんが子供に会いに中国へ行こうとした
矢先の事件だったといいます。

周囲の人たちや鈴木家にとっては彼女は浪費が
激しく、信用ならない人物として捉えられており
夫茂さんも家族に文句をならべる詩織さんに
危険を感じていたようです。

鈴木詩織の美容整形と風俗勤務


茂の両親が若い中国人妻詩織に対して
「金目当てだから子供が作らないでいい」

言ったように、そうした両親にアドバイスを
茂も間に受けたのか、親子程年齢の離れた茂と
妻詩織の関係は良好とは言えませんでした。

後の彼女自身の手記によると、倹約家の夫茂が
家計の全てを管理しており、鈴木詩織には自由な
お金などなかったといいます。(文春オンライン)

来日して間もなくは工場などにも勤めており
銀行で必要なお金を自分で下ろそうとすると、
夫がお金をおろせなくしていたこともありました。

この事に驚いた詩織が茂に尋ねると

「この前中国に帰ったとき、俺のお金を使っただろう。あれは当然返すべきものだろう。」

と怒鳴ったとか。

これが本当なら日本にやってきて自由に
ふるまうこともなく、夫ともお金のことで
もめるばかりであり幸せとは程遠い生活
だったということになります。

が、茂さんのいない今、結局の所、真相は
はかりかねるようです。

しかし、こういわれて詩織の頭は真っ白に
なったと言います。

そうした茂の金銭感覚と、こまごまの生活の
中でも自由に使えるお金を一切持たせなかった
茂に詩織は絶望を感じたのでしょう。

中国の何もない田舎から、煌びやかで裕福な
生活が叶うだろう日本の生活を夢みて親子程
の歳の差の男に嫁いだ詩織。

大切にしてくれるどころか自由になるお金さえ
持たせてもらえない。

こうした事から詩織は思い切った行動で
お金を貯めると言う行動にでていたのです。

鈴木詩織は夫の目を盗んで風俗の店で働いており
当時は「さくら」という源氏名で勤務。

風俗で稼いだお金で1000万円を、かけて
全身整形をしていたというから驚きです。

ですから来日当時とは顔や雰囲気がずいぶん
変わっていることも噂になりました。

茂の両親の火災による死亡で、茂さんに保険金
1000万円が入っていたそうで、彼は

「詩織は金づかいが荒い。」と話していたと
いいますが、彼女は鈴木家の費用をこれに
充てていたのでしょうか。

鈴木茂の評判

鈴木茂さんは千葉県光町の小田部地区に
3人兄弟の長男として生まれ、中学を出ると
上京し八百屋や水道工事店などを点々とし、
20歳過ぎで田舎に戻り農業を継いでいます。

30代で一度結婚歴があり1年ほどで離婚、
さほど豊かでもない生活で現金収入を求め
農閑期に左官業をするなどしてなんとか
過ごしてきたようです。

人づてに中国人とのお見合いツアーを知り
事前に中国人女性の写真を見て詩織さんを
気に入り、ツアーの数百万円も即金で払い
結婚に至りました。

周辺の人によると茂さんは

「ペラペラ喋る人ではない。どちらかというと無口。まあそこそこまじめな性格」

といいます。

また詩織と知り合うきっかけとなった中国人妻
とのお見合いツアーでも200万円とも300万円とも
言われる大金が必要でしたが、茂は即金でこの
お金を支払っていたと言います。

こうした事からも地味ながら堅実な性格が
伺えるのではないでしょうか。

ただ機転が利くとか、融通が利くということは
なかったので結婚についても自分でうまく
運ぶことが難しく、ツアー参加を利用したものと
思われます。

どちらかというと不器用で、鈴木詩織との離婚
話にもなかなか応じず跡取りとして子供の親権を
独り占めしようとした相談ごともこじれて
しまったことが事件につながったようです。

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鈴木詩織は中国から来た毒婦だったのか

鈴木詩織はメディアで騒がれたように、
本当に中国から来た毒婦だったのでしょうか。

お金目当てで茂さんと結婚し、好き放題に
して彼を殺害したといえばそうなりますが、
彼女の手記などから見るとややその心境は
異なるようです。

「私が日本に嫁ぐのは理由がありました。私にとって日本は本当に魅力的な国だったのです。だから私は日本に嫁ぐのであって、日本の男性に嫁ぐのではないという思いが強くありました。」
(文春オンライン)

「私は日本の桜を愛していました。日本の和服、日本の富士山、建築物を愛していました。」

彼女もまた中国北東部の閉塞した
環境の生まれで、美しい日本に憧れ
大都会に飛び出したいという普通の
訪日外国人としての感覚でやってきた
ことがわかります。

千葉での暮らしが彼女の思っていたものと
違ったことや、自分の最愛の息子にも会えない
ことに茂さんへの憎悪を最大に募らせてしまい
事件の引き金となったといえます。

鈴木詩織の犯罪には、思いがけず日本に
連れて来られた外国人妻の苦悩も見え、
美しく従順な女性をツアーでよく相手を
知らない内に来日させ結婚に導くという
早急なシステムにも疑問があるといえるでしょう。

おわりに

詩織の故郷中国の村は本当に何もない田舎の街なのだそうです、ただ逮捕後の詩織曰く京都のような街をイメージして嫁いだ詩織は故郷の中国より更に田舎だった嫁ぎ先を見て愕然としたと言っています。そしてそれは土地に限らず夫の茂や茂の家族らも20歳も年下の若い異国の妻をもっと暖かく受け入れてくれるだろう、と考えていたのではないでしょうか。現実は詩織が想像していた暮らしとは全く違い、田舎の外国の女を貰ってやったと言う態度だった。そして金に細かく詩織に指図する家族や茂に、詩織は一生我慢して暮らす事は不可能だと気が付いた時、この事件への衝動に繋がったのかなと思えます。
漢民族の本質的なモノから抑制とか我慢とかおよそ程遠い存在だと思えるように今の暮らしに不満があるなら自分が力ずくでも変えるしかない。そう思ったからこそ「人の体を弱らせる薬はないかしら」と茂の寿命をぶち切る方法を探し出し具体的な行動を起こしたのでしょう。ある意味間違いなく毒婦であり、ある意味詩織の立場だったとしたら、絶望的な日本での扱いを変えられる唯一の手段だったのかもしれないのです。
殺害未遂とはいえ最後は死ぬこととなる茂さんのご冥福を祈りながら、懲役15年の刑を経て、もうすぐ詩織の出所が直ぐ目の前にまで迫ってきています。今何を想って詩織は現世へ出られる日を心待ちしているのでしょう。


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