村井秀夫はなぜ殺された?天才で優秀な息子の亡骸に両親の慟哭

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村井秀夫アイキャッチ

とうとう平成の大惨事を起こしたオウム真理教の
教祖麻原彰晃ら含む側近の死刑執行がされた中
改めて村井秀夫はなぜ殺されたのか?

テレビの生放送中に刺殺された元オウム真理教
幹部村井秀夫が刺殺された理由とは何だったのか?

たとえ殺人などに関わっていても大事に思っていた
息子に対する両親の気持ちが見えるエピソードなど
天才と言われた男の刺殺事件のいきさつを調べてみました。

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目次

村井秀夫はなぜ殺された?

 

村井秀夫は、元オウム真理教幹部でホーリーネームは
「マンジュシュリー・ミトラ」で正大師とされています。

教団での省庁制採用後は「科学技術省大臣」で、麻原彰晃に
次ぐナンバー2、科学技術部門最高幹部と見られていました。

1995年4月23日に、マスコミの張り込み拠点と
なっていた、南青山の教団東京総本部前で200人ほどの
報道陣が玄関前をぐるりと囲みごった返していた状況で
山口組系の構成員である徐裕行が刃物で襲い掛かると言う
大胆な犯行で刺殺され殺害されています。

その傷は村井の左腕と右わき腹を続けざまに刺しました。
 

病院に搬送、手術をしたものの

「ユダにやられた」

「私は潔白だ」

と言い残し、死亡しました。

司法解剖による死因診断では
「腹部臓器損傷の疑いにともなう右側腹部刺殺創による失血及び失血ショック死」
とのことでした。

 
村井刺殺の原因として、オウムが密造した
覚せい剤を暴力団に販売していたのではないかと
考え、口封じで殺害された可能性があるという
噂が流れます。

 
上祐史浩も警察からその話を聞かされますが
覚せい剤販売をしていた話も知らないし、村井が
裏社会との対応をしていたとも思えないと述べて
いました。

 
村井の両親が赤坂署へ到着した時には取り乱した
様子はないものの、取材に関しては父親から
「心情をくんでほしい」との事で口を閉ざして
いたようです。

 
両親は村井の遺体を決して教団へ譲ろうとは
しなかったそうです。

遺体の引き取りについて両親と信者との
間で押し問答が展開されますが

「遺体は自分たちで引き取ります」

 
と、両親は断固として信者をけん制、赤坂署に
申し出て、同署は信者を締め出したそうです。

 
両親は司法解剖が行われた慶応大学病院から
遺体が戻ってくるのを待っていました。

「息子の亡骸を世間にさらしたくない」

 
という意向から、ワイドショー中継が終わった時間に
遺体到着させることになったようです。

殺人疑惑などがある息子でも大切に思っていた
親の気持ちだったのでしょう。

 
しかしその気持ちも張り込んでいたマスコミによって
打ち砕かれる事になりました。

司法解剖の為に慶応大学病院に警官により
運ばれていく遺体の様子を撮影されていたのです。

 
さらに、村井の遺体の全身が写った全裸写真が
週刊誌に流出し、これもまた物議を醸しました。

その掲載された写真には指の写真もあり、指紋を
消そうとした痕跡がはっきりとわかる写真でした。

坂本弁護士一家殺害事件の時に手袋をつけ忘れ
ドイツ入国時にフライパンで指紋を焼いたという
出来事を物語っていると言われています。

 
村井の葬儀は代々幡斎場で行われました。

 
オウム信者から
「ミトラ正大師のために使ってほしい」として
棺を用意されたそうです。

両親は複雑な思いでオウム製の棺を受け入れましたが
火葬の際には、オウムの話題には触れなかったといいます。

 
最後の別れをした母親は目に涙をいっぱいに
溜めて「なんで」と問いかけたそうです。

 
村井の骨あげは両親だけで行われたようで、無言で
黙々と息子の骨を拾っていたのだとか。

 
その後遺骨は大阪府吹田市の実家へ向かったそうです。

 
村井の教団葬として、東京総本部前で信者らが
踊りを捧げるというものがありました。

「わたしはやってない~」で有名になっていた
「エンマの数え歌」やミュージカル調の曲の
「悲しみの動物世界」など、葬式にはふさわしくない
と思われる所謂オウムソングが流され、サンバや
エアロビを踊り出す信者も居て、異様な光景でした。

 
その光景を見た人は

「死者を可愛そうと思っていないんじゃないか、何かの宣伝をしているようだ」

 
と、語っています。
 
また、村井が刺殺される光景は生放送中の出来事であり
その一部始終が映像として残りました。

それをワイドショーやニュースなどで無修正で
繰り返し放送したため、事件報道のあり方に議論を
巻き起こすことになりました。

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村井秀夫も天才だった

 

子供の頃は内向的でSF好きな少年であったそうです。

動物や望遠鏡での天体観測が趣味であったとか。

 
勉強が得意で体も丈夫だったという、親から見て
全く手がかからない子だったそうです。

 
大阪府立千里高等学校では、ただ一人無遅刻無欠席
成し遂げ表彰されたそうです。

当時の同級生によると、授業中目を閉じているのに
どんな質問にも答えられたといいます。

 
その後「歩いて通えるから」という理由で
大阪大学理学部物理学科にトップ合格を果たし
X線天文学を専攻、大阪大学大学院理学研究科
修士課程を修了し、理学修士となっています。

 
教団ナンバー2と言われていただけあって、やはり
高学歴ですね。

『天才』と言われるのもうなずける学歴です・・・

しかしこういう人物がこんな理由で有名大学に
トップ合格したとなれば、合格目指して必死に
勉強している人たちは複雑な思いなのではないでしょうか…。

村井秀夫も両親の制止振り払いオウムに妻と入信

  

神戸製鋼に入社し、金属加工の研究などに
携わっていたようですが、会社にも家庭にも
生きがいを感じなかったようです。

 
その頃に麻原彰晃の著書を読み、1987年オウム
大阪支部を訪れることになります。

感銘を受けた村井は、翌日には会社に辞表提出し
「オウム神仙の会」に入信します。

当然ですが、オウムへの入信を告げた時両親は
相当反対したそうですが全く聞く耳持たず状態で
最後は亡骸として両親の元に帰っていったのです。
 

職場結婚した森脇佳子と夫婦そろって1987年6月に
出家しています。

1990年にはステージの違いを理由として
協議離婚しているようです。

村井秀夫の妻の現在は?

 

村井の元妻森脇佳子は、後に土谷正実の
部下としてサリン製造などに関与し実刑判決が
下され、懲役3年6か月を服役しました。

 
現在の森脇佳子は、再婚し親族の介護で多忙な
日々を送っているといいます。

 
後に菊池直子の裁判などで証人出廷したりも
しましたが「覚えていません」「解りません」
などを繰り返し、教団幹部の名前なども
「顔は出てくるんだけど名前が…」

などと答えていました。

「証人出廷は嫌?」との問いにも

「関わりたくない気持ちはある」と答えています。

当然でしょうが・・・

そんなことより元夫村井が刺殺と言う死に方を
して、そして自身もオウムと深く関わりしっかり
懲役に行って、そして再婚して人生をやり直している
と言う事に切り替えの速さと言うか・・・図太さを
感じるのは私だけでしょうか・・・

よっぽど、女は強いのでしょうね。汗

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おわりに

殺人を犯した疑惑があっても殺された息子を大事に思う両親が行う葬儀の様子と、何かの宣伝しているようだと言われる教団葬とのギャップというか温度差が言葉に表せない異様な印象を受けます。これがそのまま教団と世間との相違なのかな、とも思えますね。教団のしてきたことを考えれば、殺された村井の両親にも同情を向けるのも何だかなぁ…と、ただひたすらに後味の悪い事件として記憶に残る感じです。

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