坂本龍一と元妻矢野顕子の離婚理由に絶句!2人の馴れ初めの苦悩も

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坂本龍一アイキャッチ

世界的な作曲家として知られる坂本龍一さんが71歳でお亡くなりになりました。

この数年闘病生活をしていた坂本龍一さんですが、改めて坂本龍一さんと離婚した元妻矢野顕子さんとの離婚理由について知られざる事実を紹介したいと思います。

2人が出会ったきっかけや結婚までの紆余曲折あった理由、2人の間の子供など著名な人物坂本龍一の最後までを追ってみようと思います。

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目次

坂本龍一プロフィール

名前:坂本龍一(さかもと りゅういち)
生年月日:1952年1月17日
死去:2023年3月28日享年71歳
出身地:東京都中野区
最終学歴:東京藝術大学大学院音響研究科修士課程
所属事務所:エイベックス・ミュージック・クリエイティブ

坂本龍一と元妻矢野顕子の離婚理由に絶句

歌手として活動する元奥様の矢野顕子さんと、作曲家で歌手でもあった坂本龍一さんが離婚されたのは2006年に正式に離婚が成立しています。

当時坂本龍一さん54歳、矢野顕子さん51歳の時でしたが、この2006年の離婚成立となるまで5年の歳月を経て成立したと言われています。

それぞれアーティストとして活動する2人は才能を認めあうオシドリ夫婦として芸能界でも知られた存在でしたが2人が離婚に至った理由は何だったのでしょう。

それこそが坂本龍一さんの当時マネージャー兼秘書をしていた女性との不倫関係だったと言われています。

当時2人の関係に気が付いた元嫁の矢野顕子さんは、夫である坂本龍一さんに何度も詰め寄ったらしいですが、坂本龍一さんからの返事は「ごめんなさい」のみ。

結局時を同じくして映画「戦場のメリークリスマス」で世界の坂本龍一として認められた事をきっかけにアメリカを活動拠点として日本を離れる事を、勧め自身も夫と共にアメリカへと活動拠点を移した矢野顕子さん。

奥様の矢野顕子さん的には、アメリカに活動の拠点を移す事で女性との関係を清算してくれるのでは?と期待したもののそれが全くの、逆効果に。

女性もアメリカ進出に尽きそう形で同行したのか、結局はこのアメリカへの活動拠点から2人はほぼ同棲する形になったと言われています。

同棲した事で、坂本さんとの間に子供(男児)を授かったマネージャーはその後子供を出産。

紆余曲折あったものの結局女性との別れを否定した坂本龍一さんと奥様の矢野顕子さんが5年の話し合いの末離婚成立と言う形となりました。

坂本龍一と矢野顕子の馴れ初めの苦悩

そもそもこの2人の馴れ初めも普通ではなかったようです。

1979年当初イエローマジックオーケストラの一員としても活動していた、坂本龍一さんらのワールドツアーに矢野顕子さんが参加した事が2人の最初の馴れ初めだったとか。

ただ当初矢野顕子さんは前夫と離婚して9か月目でまだ幼い男児を抱えていた状態。

対する坂本龍一さんも東京藝術大学時代に学生結婚した奥様との間に女児もおり、離婚調停中だったとか。

そんな状況にも関わらず、坂本龍一さんの方が矢野顕子さんに夢中になり直ぐに事実婚状態に。

直ぐに2人の間にも子供を儲けて、挙式や入籍など形にはこだわらないというスタンス、2人は事実婚としてのパートナーとなります。

結局坂本龍一さんも、元嫁の矢野顕子さんも同じ事を繰り返してしまったというのが2人の離婚の原因のようです。

ただきっかけは夫の坂本龍一さんの方のようですが、やはりあれほどの才能を持った芸術家だと、異性への衝動も抑えられないのでしょうか…

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坂本龍一と矢野顕子の子供達

坂本龍一さんと矢野顕子さんの正式な結婚より先にデキたと言われるお子様は、娘さんだったようで、1980年5月に坂本美雨さんが誕生しています。

この美雨さんも現在歌手として活動されています。

やはり父親が世界的な作曲家の坂本龍一、母親も歌手の矢野顕子と言ったら娘さんもその才能を受け継いでいるのは明白なので歌手になられるのも自然の成り行きかもしれませんね。

次期的に振り返ってもいよいよ坂本龍一さんの才能が世界的に認められるレベルの活躍ぶりで、数々の大ヒット曲を打ち出し、その決定打となったのが1983年の「戦場のメリークリスマス」の作曲で一躍世界の坂本龍一となります。

その後も「ラストサムライ」でも断固たる地位と名声を盤石にされました。

2人が正式に婚姻届けを出したのも1982年と娘の美雨さん誕生の2年後だったようです。

坂本龍一さんには大学生時の時に誕生した娘さん、矢野顕子さんとの間に誕生した美雨さん。そして最後にマネージャー兼秘書だった女性との間に誕生した男児の3人のお子様に恵まれたようです。

坂本龍一の晩年

最後の女性として矢野顕子さんとの離婚原因となった女性とは事実婚と言う状態を選び、正式な婚姻関係にはならなかった坂本龍一さんですが、恐らく、坂本龍一さんの最後を看取ったのも彼女だったと考えられています。

女性の名前は空里香と言う名前の方ようで、一般人と言う事で画像などは出回っていない状態ですが、2017年公開の映画のプロデューサーとして名前を刻まれているようです。

晩年は何度もガンに侵されて闘病生活が続いた坂本龍一さんですが2014年には中咽頭ガンを公表。21年1月には直腸ガンを公表同年10月と12月には両方の肺に転移してステージ4であることを公表。

22年12月には「これが最後になるかもしれない」とラストライブを行っていたと言います。

23年3月28日享年71歳。才能ある世界の作曲家坂本龍一さんの早すぎる死を心よりお悔やみ申したいと思います。

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おわりに

世界の坂本と呼ばれる稀有な存在として日本はじめアメリカでもその名を知らしめた日本のアーティスト坂本龍一さんはやはり矢野顕子さんもしかり、その前の学生結婚もしかり、最後のマネージャーさんとの関係も、恋多き男として本能の赴くままに生きていたのかもしれません。
一見そうは見えませんでしたが情熱的な生粋のアーティスト気質だったのかもしれませんね。
早すぎる死ではありますが、ご冥福をお祈りしたいと思います。


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