福留功男の評判は若い頃から悪い?現役時代の悪評エピソードに絶句

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福留アイキャッチ

元日本テレビのアナウンサーで、徳光和男さんからバトンを受けた「ズームイン!!朝!」で人気を博した福留功男さん。

福留功男さんは、近年はフリーアナウンサーになり現在は80歳の大御所ですが、彼は昔から悪評エピソードが多いことでも有名です。

アナウンサーの福留功男さんの若い頃から視聴者には見えない、想定外な現役時代の悪評エピソードなどをご紹介していきます。

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目次

福留功男プロフィール

名前:福留 功男(ふくどめ のりお)
愛称:トメさん、トメじい
生年月日:1942年1月28日(80歳)22年2月時点
出身:高知県香美郡香北町
学歴:明治大学文学部演劇学科
身長:161cm
血液型:A型
職業:フリーアナウンサー、タレント、司会者
職歴:元日本テレビアナウンサー
活動期間:1966年~

福留功男の若い頃

最近めっきりテレビでその姿を見なくなったアナウンサーの福留功男さんは、朝の人気番組「ズームイン朝」を経て、大御所アナウンサーとなりましたが、若い頃は苦労人だったようです。

1942年1月28日、高知県香美郡に生まれた福留功男さんは、大阪府で育ち、当時金持ちのボンボン校と呼ばれた私立追手門学院大手前高校に進学し、大阪大学医学部を目指していたそうです。

ところが受験で何度も失敗し、さらに2年の浪人生活を経て、結局、明治大学文学部演劇科に入学。

在学中からアルバイトをしていた日本テレビに入社したのは、1966年のことでした。

福留さんは、入社時は報道記者だったのですが、しゃべりの巧さが買われ、幸運にもアナウンサーデビューすることとなります。

彼は1971年から始まった子供向け番組「まんがジョッキー」で知名度を得ますが、同番組を任されたことを不服とし、降板を願い出たために、内勤へと異動させられてしまったとか。

その後は、なかなか表舞台に現れずにいましたが、あの「アメリカ横断ウルトラクイズ」出演の話が舞い込み、再ブレイクを果たします。

福留功男アナウンサーは、当時は売れっ子アナウンサーではなかったのですが、「アメリカ横断ウルトラクイズ」は、長期の海外ロケを要するため、偶然レギュラー番組のなかった彼が受け持つことになったようです。

「ニューヨークへ行きたいか~!」との掛け声で参加者を盛り立て、その熱い司会で、人気となった党番組は1998年まで続いた伝説の番組として知られています。

福留功男さんの知名度もさらにアップし、先輩である徳光和夫さんの後を継いで1988年より「ズームイン!!朝!」の第2代総合司会にも就任しました。

福留さんは1991年3月31日に日本テレビを退社し、クレージーフォーを設立しフリーとなり、この頃は世間で拝見する機会は減りましたが現在も活動を続けているそうです。

福留功男の評判が悪い?

画面を通してみている視聴者には分からない福留さんの裏の顔は、意外にも、福留さんは以前から性格が荒く、評判が悪いと業界内でも有名だったそうです。

特に人気番組「ズームイン!朝!!」では、視聴者が収録をリアルタイムで観覧できることで有名でしたが、CMなどでカメラが回っていないときの福留さんはかなり性格が悪かったといいます。

カメラが回っている「オン」の時と、回っていない「オフ」の時で、別人格を思わせるほどだったとの声も。

同番組を見物していた人によると、カメラが回っていない時の福留功男さんは、とても横柄で性格が悪そうだった…との証言が多かったとか。

例えば、福留さんがポケットに手を突っ込んだまま、スタッフに怒鳴り散らしたりするのはしょっちゅうだったようで、時には暴力も交じっていたという噂まであります。

あの人気アナウンサー徳光和夫さんも当時の彼の事を「独裁者のようだった」と言っていたこともあり、テレビでの穏やかな雰囲気とは違う彼の一面が話題になっていたようです。

同期の徳光和夫さんが、そこまで言うのだから、相当傲慢な立ち居振る舞いをする事も珍しくなかったのかもしれません。

ただ、こうした生の発言も年齢も活躍の場も同じ、アナウンサーと言う立場で人気アナだった徳光さんだからこそ言える、ぶっちゃけ発言なのかもしれません。

やはり思っていても後輩などでは力関係から、「独裁者のよう」とはなかなか公の場で発言できないですものね。

でも、そう言われると何となく、そう言われて見たら、1つ間違えて上司なんかだと、物凄い怖そうなイメージはありますが…

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福留功男の現役時代エピソードに絶句

福留功男さんの現役時代のエピソードには絶句の声も聞こえています。

日本テレビ時代の先輩アナウンサーであり、「ズームイン朝」の前任者だった徳光和夫さんは、彼の性格を「独裁者みたいだった」と評しています。

徳光和夫さんと福留功男さんは、1977年から放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」クイズの勝者と敗者側に付く対極した立場で、仲が悪そうと広く話題になりました。

最近では、2017年8月に放送された「24時間テレビ」に出演した際、福留さんは徳光和夫さんとちょっぴり共演していたようです。

当初は犬猿の仲と言われていましたが、徳光さんが同番組でそれは嘘であると告白。

福留は「徳光さんと俺が仲が悪いという話」「それは実はフリがあって」と明かしたのだ。当時、徳光から「おい、トメ(福留)。もう40歳真ん中過ぎて、俺たちが仲いいのは気持ち悪い。ケンカしていることにしねえか?」と言われたとか。
(引用:livedoorNEWS)

実際これを言われた福留功男さんは、ケンカを売ったみたいになるから嫌だと断ったそうですが、噂の方がまず先行していたようですね。

実際は2人はそれほど仲が悪かったのではなく番組上のパフォーマンスでもあったといえます。

また噂にすぎないようですが、福留さんは当時のADに暴行をはたらいたともいわれたことがあり、人気絶頂期の現役時代の裏で奔放にふるまう福留さんはよく知られていたようです。

ただそれほどまでにテレビ業界で横暴な振る舞いをする福留さんに対しても、同期の徳光さんだからこそ、対等な立場として戯言の冗談の1つも言えたのかもしれませんが。

福留功男は性悪で干された?

とは言え、昔のようにはテレビでその姿を見る事が少なくなった福留さんは一体現在は、どうされているのでしょう。

最近テレビから消えたともいわれる福留功男さん、性悪で干されたのではという噂がありますがどうなのでしょうか。

温和な笑顔が印象的な福留功男ですが、若い頃からの評判や性格が原因で消えたのではないかという噂がもっぱらです。

確かに「ズームイン朝」は、地上から中の様子がうかがえる日本テレビのマイスタから生放送されていたため、本番中の福留功男は、常に多くの一般人の目に触れるところにいました。

その見物客の目撃情報では、カメラが回っていない時の福留功男は、まるで別人のように性格が悪く、ポケットに手を突っ込んだまま、スタッフに怒鳴り散らす様子が放送されるという事態に。

そんな裏の顔が話題になり、同番組が打ち切りになる前には福留功男さんのギャラはだいぶ高額になっていたそうなので、その点も消えた原因ではなどという憶測も出ています。

他には福留さんが露出をしなくなった時期に、腹腔線による胆石の手術や心臓病を患っていたことも伝えられています。

2010年以降は福留さんは闘病生活を始めていたそうで、一線で仕事をするには体力面で限界が来ていたのでしょう。

福留さんは現在80歳となった今も、引退はせずにセーブしながらも活動を続けているといいますが、アナウンサー、名司会者として輝いた功績は今も消えず人々の記憶に残っています。

齢80歳となった現在では、全盛期のような活動は無いのかもしれませんが、変わらず精力的に仕事は続けられているとの事。

人生100年時代とも言われる現代なので、またあの張りのある声で、キレのあるアナウンスを聞いてみたいですね。

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おわりに

「ズームイン朝」などで看板アナウンサーとして一世を風靡した福留功男さんですが、若い頃から「別人」といわれるほどの横柄な様子が伝えられ、悪評エピソードが絶えなかったことに驚きます。
福留さんは態度が悪く、性悪で干されたともいわれていますが、テレビでの露出が減り、近年は、心臓病などを患っていたこともわかっています。高齢にはなりましたが一時代を築き上げた人気アナウンサーとしてまだまだ活躍の場を広げているようです。


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