照強は震災生まれのヤンキー力士で目指すは元横綱日馬富士?

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照強アイキャッチ


阪神淡路大震災に誕生した力士として十両で
活躍する照強力士。

小兵力士ながら大胆で多彩な技は話題の照強関
の今後が期待の力士で注目してます。

今は亡き祖父に力士になる事を進められて力士
になるも本人の語る武勇伝から学生時代には
ヤンキー説も。

かなり小兵力士の持ち味と目指すは元横綱
日馬富士と言う二人の関係も同時に追ってみよう~

目次

照強プロフィール

四股名   照強 翔輝(てるつよし しょうき)
本名    福岡 翔輝(ふくおか  しょうき)
生年月日  1995年1月17日(23歳)18年3月現
出身地   兵庫県南あわじ市
身長    169㎝
体重    112㎏
血液型    O型
所属部屋   伊勢ヶ濱部屋
得意技    左四つ、寄り
現在の番付  東十両12枚目
最高位    東十両9枚目

照強は震災生まれで地震君?

照強力士は今現在30歳オーバーの人なら誰もが
知る大地震である1995年1月17日に起きた
阪神淡路大震災の震源地である兵庫県内でも南部
地震と言われた地元にて15時間後に誕生した
まさに震災児との事。

出典:https://mainichi.jp/articles/20170107/ddn/012/040/032000c
生後6ヵ月の照強が可愛い!

本人は震災当日に誕生したと言っても、震災からの
復興時はあまりに幼く物心付く頃には町は復興していた
ので大地震は記憶に残ってないそうだ。

生年月日が阪神大震災と同じ事からも『地震君』
呼ばれたそうです・・・汗

そんな彼の幼少期は意外にも身体が弱く病弱だった
らしいがそれとは半比例するように気の強い子供だった
らしく6歳時には親の事も呼び捨てだったとか・・・

照強は家族想い

そんな照強は小学1年で柔道を始めて相撲に
切り替えたのは4年次にわんぱく相撲大会に
飛び入り参加して2位の結果を出した事がきっかけ
となり柔道から相撲に切り替え道場に通いだす。

そして相撲を後押ししてくれたのは中学時代に
肝臓がんでわずか56歳の若さで亡くなった祖父
だったそうです。

照強が小学3年で両親離婚となった為その後は
親権を母親が持ったこともありお爺ちゃん子だった
事も関係あるのか2016年9月に中学の時亡くなった
おじいさんのお墓も照強が全て負担してお墓を建てた
そうです。

今から約2年前って考えたら凄い事ですよね。

だって今が23歳なので。当時21歳の子が祖父の
為のお墓を建てるって母子家庭とは言え親孝行ですよ。

そして彼には妹さんも見えるみたいですが妹沙季さんの
看護大学の費用も全て負担
しているそうです。

めっちゃいいお兄ちゃんです。

照強のヤンキー武勇伝も結構凄い!

そんな家族想いの優しい兄である照強ですがその
中学時代は相当荒れた生活を送っていたみたいです。

何でも本人曰く義務教育である中学には3年間で
30日間しか通わずに髪は金髪で夜遊びしまくりの
完全なるヤンキー生活
だったそうです。

3年間の中学生活を30日間しか通わないってのは
かなりヤバいレベルのやんちゃっぷりです。

でも本人曰く中学に相撲部はなかったから
サッカー部員だったそうですが相撲クラブには
学校に行かずとも休む事無く通っていたそうです。

40度の熱なら休んで良いが39度なら見学38度
なら稽古したら治るという程強烈に厳しい相撲クラブ
だったそうです。

その為幾ら学校でヤンキー気取りでも相撲クラブを
休む事は出来なかったとか・・・・

そんな彼のやんちゃぶりを見て母親も

『高校に行きたいなら学校に行け。プロに行くなら遊んでもいい』
と言ったそうで、そんな母親の発言も後押しして彼は
相撲界へに入門を早くも決意していたようですね。

だって学校は30日間しか行かない中学生が
相撲クラブは休まず通い続けたんだから・・・

ある意味凄い振り切り感です。笑

照強の四股名の由来

そしてそんなヤンキー力士照強の四股名の由来
も気になります。

四股名は所属部屋の伊勢ケ浜部屋親方がつけてくれた
四股名のようですが由来は

『強く』周りを『照らす』力士になって欲しいの
想いを込めて『照強』と名付けたそうです。

強く周りを照らすって短いけど良い由来ですね。

照強の目指す力士は日馬富士

先ほど所属部屋を伊勢ケ浜部屋と記載しましたが
昨年末大騒動のさ中となって惜しまれながらも
力士引退となった元横綱日馬富士と同じ所属部屋
でもあります。

照強は日馬富士の弟弟子に当たる関係で169㎝
112㎏のかなり力士としては小兵力士な事を
『小さいんだから人の3倍やらないとダメだよ』
アドバイスしたそうです。

17年大相撲秋場所千秋楽での大関豪栄道との
優勝決定戦で支度部屋にあえての十両照強をご指名
して最後の取り組み確認をした横綱日馬富士。


最後のインタビューも笑えるので是非見て欲しいです!

これが最後の優勝となってしまいましたが
支度部屋でじっと待つ大関豪栄道とは対照的な
横綱日馬富士の最後の最後まで諦めない勝利への
執念を感じる見事な優勝決定戦でした。

そしてその胸を借りる相手が弟弟子の照強。

何とも今思うとこのシーンが感慨深いです。

伊勢ケ浜親方も

『うちの部屋で一番稽古をする』とお墨付きを
貰う程稽古熱心な力士だそうです。

兄弟子の日馬富士の相撲界引退はとても残念な
事件だったと思いますが、淡路島出身の関取は
1961年の若鳴門(春日野)以来の55年ぶり
の関取らしいので今後の活躍に期待したい力士の
一人ですね。

おわりに

18年3月の春場所元横綱日馬富士の因縁の相手貴ノ岩の休場明けで対戦して弟弟子として土を付けて勝利した照強の今後の活躍がますます期待できそうです。兄弟子の日馬富士の想いも背負って是非今後の相撲界を盛り上げて欲しいですね。

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