三浦雄一郎の父親の経歴も凄い!家族で支えるエベレスト登頂

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三浦雄一郎アイキャッチ

現役登山家でありながら獣医師でもあり
日本のスキー選手でもある三浦雄一郎氏(87歳)

90歳までに南米最高峰のアコンカグアを目標と
に掲げる三浦雄一郎氏の父親もまた物凄い経歴を
持つスキー家として知られる人物でした。

今回は登山家三浦雄一郎氏の経歴や生い立ちなど
バックグランウドにある家族で支えるエベレスト
登頂までを追ってみようと思います。

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目次

三浦雄一郎プロフィール

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)
生年月日:1932年10月12日(87歳)19年12月時点
出身地:青森県青森市
職業:登山家、プロスキー選手、獣医師。
クラーク記念国際高等学校校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。

三浦雄一郎の登山家の半生


スキー選手や獣医師の肩書を持ちつつ、登山家と
しての知名度も高くアグレッシブな挑戦を諦めない
姿勢が注目される登山家の三浦雄一郎氏。

70歳からの3度のエベレスト登頂を果たし、現在
87歳の今も次の登頂を目指す鉄人三浦雄一郎さん。

父親の生き方を追い、家族と共に貪欲に世界の
山への挑戦を続けています。

とにかく数々の肩書をお持ちで登山家また
教育者として、記録映画や著書など多数に及び
グローバルな活躍をされています。

1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界
最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、
その記録映画はアカデミー賞を受賞。

1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を
完全達成しました。

2003年次男(豪太)とともに世界最高峰
エベレストに登頂し、当時の世界最高年齢登頂記録
(70歳7ヶ月)樹立。

2008年、75歳2度目、2013年80歳にて3度目の
エベレスト登頂世界最高年齢登頂記録更新という
輝かしい偉業を達成しました。

2019年1月なんと86歳でアルゼンチン南米最高峰
アコンカグア(標高6961m)登頂を目指しましたが、
ドクターストップにより残念ながら下山を余儀なく
されました。

三浦雄一郎の父親の経歴も凄い

日々トレーニングを欠かさず90歳でキリマンジャロに
登頂するのが夢と語る三浦雄一郎さんですが、父親の
経歴もまた凄いことで知られています。

父親の三浦敬三さんもプロスキーヤーで北海道大学
在学中に山スキーに魅せられ、勤務先の青森営林局では
スキー部の選手、指導者もこなしました。

51歳で退職し、東京に移住すると共に海外の山で
多くのスキー滑降をし、山岳カメラマンとしても
数々の写真を残しています。

99歳という高齢でモンブラン大滑降を達成するという
驚愕の経歴を残しています。

90歳から準備のトレーニングに励み3回も骨折したと
いいますが、諦めず目標に向かい夢を実現します。

2006年多臓器不全のため101歳で亡くなりますが、
息子の雄一郎さんの姿と重なりますね。

お父様の101歳の長寿を全うした事を考えても90歳
での雄一郎氏の目標とする南米アコンカグア登頂も
まんざら冗談ではなく真剣に目指しているのが分かり
ます。

もはや高齢化社会とは言え何を目指すにも、こうした
三浦雄一郎氏のような人を見ると年齢など言い訳に
出来ないのかな~と考えさせられますね。

とにかく年齢を超越したアグレッシブな血筋である
事は間違いなさそうです。

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三浦雄一郎の生い立ち


現在でも元気な長寿の象徴としてシックスパック
のCMに起用される程の存在な三浦雄一郎さん。

ですが、そんな健康的なイメージとは裏腹で
子供時代はかなり身体の弱い幼少期を送ったと
言われています。

三浦雄一郎さんは想定外に幼少期には体が弱く
小児結核で長く入院したり、父の転勤で何度も
転向した事も災いし勉強についていくのが
大変だったそうで小4でいじめによる不登校
経験しています。

この当時にしては珍しい小学校浪人を体験している
のだそうです。

初めてスキーを体験したのは小学校2年生の時で
当時住んでいた広前市の広前城公園の坂をスキーで
滑りその後引っ越した先の仙台市で本格的なスキー
に取り組んだそうです。

その甲斐あって青森県立弘前高等学校在学時に、
全日本スキー選手権大会の滑降競技で入賞。

青森県高等学校スキー大会で3年連続個人優勝の
驚異的な成績を残される活躍をしています。


スキーも後に夢中になる登山との出会いも父が指導する
東北大山岳部の蔵王スキー合宿に同行
させてもらい、楽しさと共にハードな命がけの
厳しさを学んだといいます。

当然大学もスキーが出来るとの理由から北海道大学
に進み、入学試験直前までスキー三昧だったとか。

そんな状態でも国立大学である北海道大学の獣医学科
に合格しているので文武両道で頭もかなり良かったのが
分かりますね。

それ程現在に至る三浦雄一郎氏の登山家人生に行きつく
までの半生にはスキー―との出会いと厳しいトレーニングを
積むことの重要性への気づきが、その後の登山家
三浦雄一郎の原点となったといえるでしょう。

90歳父親のように高い山に挑戦すると明言するのは、
極限状態でできるという人間の可能性を試したい
からだと言われています。(ビズサプリ 著名人から
学ぶリーダーシップより)

父親から小学生の時導いてもらった世界が、今もな
お彼の活動に延々と流れ受け継がれているといえます。

三浦雄一郎の家族で支えるエベレスト登頂


80歳で3度目のエベレスト登頂(2013.5)は、
次男の豪太さん(当時43歳)が共に登頂を果たし、
長男の雄大さん(当時47歳)は通信担当で遠征に
参加、長女の恵美理さん(当時52歳)がスポンサー
獲得から広報といった家族総出の挑戦でもありました。

長男、次男とも海外での登頂を早くから経験済みで、
長女も12歳で海外留学をしスキーや異文化を学ぶなど
海外に触れる機会を多く持ったのは父雄一郎さんの
教育方針でした。

雄一郎さんの妻についても次男の豪太さんによると、
明るく接し小さいながらすごいパワーでテキパキと
物事をこなしマネジメントの力が凄いといいます。

ちなみに奥様の朋子さんも北海道大学の同級生で
なおかつ、この時代にアルペンスキーの選手だった
そうです。

当時奥様は学長秘書を務める優秀な女性だった
そうで二人は同棲した後結婚。

若い頃からの雄一郎氏の良き理解者として
日本のスキー選手、獣医師、登山家としての
三浦雄一郎という男性を家庭共々支えてきた
女性です。

こうして三浦雄一郎さんの登山家としてのエベレスト挑戦を
チームとして家族が支え、成功に導いたといえるでしょう。

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おわりに

世界中の山々の登頂、滑降を家族と共にこなし輝かしい経歴を築いてきた三浦雄一郎さんですが、父親の三浦敬三さんもスキー歴が長く99歳でエベレスト登頂を果たすという素晴らしい経歴の持ち主でした。
三浦雄一郎さんの3度のエベレスト登頂はまさに家族全員のサポートが成したものでもあり、家族からも尊敬される大きな存在であるといえます。
アコンカグア登頂を断念したものの、また新たなチャレンジを試みる諦めない姿勢の集大成が次の90歳でのキリマンジャロ登頂になります。今後も息子達や山を目指す多くの人達が後に続いていくはずです。


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