山本順一歴代時津風親方が力士暴行死までのかわいがり実刑と最期

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角界の名門、時津風親方のコロナ渦の中に
開催された真っ只中の初場所に麻雀通いが
発覚して辞任問題が話題です。

とは言え、現在の時津風親方になる前の
歴代時津風親方と言えば山本順一元親方。

新弟子リンチ事件として力士を暴行死させ
実刑を受けた前代未聞の山本順一氏の話を
避けて通る事は出来ません。

歴代親方である時津風親方山本順一が
力士暴行死とは一体どんな事件でどれ程
壮絶なかわいがりがもたらした結果だった
のか悪しき習慣が残る角界の悪歴を作った
歴代時津風親方山本順一の最期までを
追ってみようと思います。

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目次

山本順一時津風親方プロフィール

双津竜順一(元大相撲力士)
本名:山本順一
生年月日:1950年2月28日
死没年月日:2014年8月12日
部屋:時津風部屋(1982年まで)
出身地:北海道室蘭市
番付:小結
身長:185㎝
体重:171kg
得意技:右四つ・寄り

山本順一歴代時津風親方の力士暴行死事件

大相撲の元小結・双津竜で引退後は名門
時津風部屋の親方となった山本順一氏。

2007年6月、序の口力士暴行死事件で実刑判決を
受け話題をさらい、相撲界に激震が走りました。

山本氏は、おっとりとした人柄で角界では
「ゾウさん」と親しまれていた反面、酔うと
弟子にあたるなど酒癖の悪さなどもしられており、
彼が力士に加えた壮絶なかわいがりは前代未聞の
力士暴行死を招く最悪の結果となりました。

事件の背景を振り返ってみましょう。

当時、時津風部屋の序の口力士だった齋藤俊さん
(たかし・当時17歳)が2007年6月26日の稽古後、
愛知県犬山市の宿舎から病院に搬送されましたが
1時間後に死亡が確認されました。

当初事件性はないとされましたが、その後暴行に
よる多発外傷性ショック死とわかり、当時の師匠
山本順一氏(当時57)と兄弟子3人らが共謀して
齋藤さんに暴行を加えたことが判明します。

彼らは齋藤さんをビール瓶や金属バットで叩いた
というから驚きです。

相撲協会を解雇された山本氏は2011年、名古屋高裁で
傷害致死罪によって懲役5年の実刑判決を言い渡され
三重刑務所で服役しました。

山本順一が力士にした壮絶かわいがり

山本順一氏が力士にした壮絶なかわいがりが
大変な批判を浴びています。

力士に対する度を越した稽古で力士が死亡し、
逮捕者が出たのは前代未聞でありましたが、元々
上下関係の厳しいとされる相撲の世界にようやく
メスが入ったとされています。

事件当日、部屋宿舎から逃げ出した齋藤さんに
その夜説諭しながら額にビール瓶で殴打した
山本氏は、兄弟子たちに

「てっぽう柱に縛り付けておけ。」と指示、

約20分ひもで縛りつけ複数人でビンや木の棒
などで暴行したといいます。

そして翌日も兄弟子数人で囲み通常5分程度の
ぶつかり稽古を30分以上続けたそうです。

数十発のはり手や蹴り、金属バットでの暴行に
無抵抗だったという齋藤さんは多数の皮下出血や
あばら骨の骨折を負ったのでした。

しつけ・教育とする無謀な稽古が大抵の親方や
兄弟子らの主張であり、国技相撲の稽古場は「聖域」
として捜査機関が入ることはなかったようですが
もはやこれを見逃すことはできず、厳しく取り締まる
べきといえるでしょう。

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山本順一の事件後の遺族に付いた嘘に絶句

山本順一氏の暴行死事件が発生した際に、彼が
遺族らについた嘘には絶句します。

暴行した時、太山が倒れた直後も救急車を
呼ばず弟子たちに口止めし、時府太山の遺族に
現地での火葬の承諾を取ろうとしたというのです。

17歳と若い息子の突然死に納得がいかない遺族側が
これを拒否し、郷里である新潟に帰ってきた息子の
変わり果てた亡骸を見て両親も身内も絶句したと
言います。

変形して丸まると晴れ上がり変色した顔に身体の
数々に壮絶な暴行の跡、予定していたお通夜や
葬式を急遽変更し、すぐさま地元の新潟大学病院で
行政解剖をします。

亡くなった時太山さんが死亡した愛知県犬山中央病院
での死亡原因は死因を心不全。

時太山さんを搬送した愛知県犬山署は、その明らかな
暴行死を確認しながらも発表した死因は

「虚血性心疾患」として発表。

警察と角界との関係を裏付ける結果が明らかに
なった事件でもあります。

遺体に残された明らかな暴行痕についても山本順一
は、あたかも時太山に全ての原因や素行の悪さが
諸悪の根源だったと言わんがばかりの虚偽の供述を
します。

「死亡した力士にはマリファナの使用歴があった」

等の山本氏の発言も物議を醸したといいます。

山本氏が事件後の2007年10月3日にテレビ番組に
出演した際も、一転し暴行事実を否定

証拠を隠ぺいし罪を認めようとしない姿を
遺族がどう見ていたかと思うと哀れでなりません。

山本順一の実刑と最期

いきすぎた山本氏の時太山さんへの暴行が
招いた暴行死は当然、実刑となり懲役5年
実刑判決となり、三重刑務所に服役します。

ただ、のちに山本順一は任期途中に肺がん
診断され三重県内の病院で治療を受けたといいます。

後に病気が進行し刑の執行停止がなされ、
東京都内の大学病院入りますが症状が悪くなり
2014年8月12日に64歳で亡くなりました。

現役当時から親交のあった力士の蔵玉錦は、彼の
死去前の同年6月見舞いに行き、抗がん剤による
がん治療を始めたと聞かされたと言います。

また亡くなる前月は病院で会ったときは、とても
元気で「うまそうにかき氷をたべていたのに。」
と話しています。

山本氏には病気の苦しみもあったでしょうが、
病院で親しくしてくれるわずかな力士があった
ことには何となく救われたことでしょう。

暴行を受けた力士にもそんな親しみを見せて
あげてほしかったのですが。

師匠と弟子の関係は相撲界、スポーツの世界では
厳しいものですが、お互いに高めあいいたわり合う
ことがなぜできなかったのか今となっては知る由も
ありません。

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おわりに

相撲界において初の実刑判決を受け批判を浴びた山本順一元時津風親方の暴行死事件からその最期を見てきましたが、相撲界にある行き過ぎたかわいがりについて議論が巻き起こりこれも氷山の一角とする見方も出てきています。
若く将来を夢見る若者たちが親元を離れ、第2の家族として部屋に入門し優れた師匠と出会うはずの世界に対する不安や危惧を高め、人々の相撲界離れの元となった事件だったといえます。
山本順一氏は亡くなりましたが、同様な事件がまた引き起こされないよう健全で国民を励ます相撲界であってくれることを望みます。


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