斎藤立の兄は斎藤一郎で柔道選手?父親はメダリストの母子の想い

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斎藤立アイキャッチ

柔道界のレジェンドとして活躍し金メダルを連覇
した斎藤仁を父親に持つ斎藤立。

志半ばでこの世を去った父親の意思を背負い母親
の支えから柔道界で活躍する斎藤立。

次世代の柔道界で注目される斎藤立の現在までと
それを支える家族の想いも同時に追ってみようと
思います。

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目次

斎藤立プロフィール

名前  斎藤立(さいとう たつる)
生年月日  2000年3月8日(17歳)19年12月時点
血液型  O型
出身地  大阪府
身長・体重  191㎝・156㎏
階級  100㎏級
学歴  国士館高校
得意技  大外刈、体落し

斎藤立の足跡~現在まで

2020年の東京オリンピックのチケットの第2次
抽選結果が先日発表されました。

日本全体がどんどんオリンピックムード
に包まれて行ってますよね。

さて、オリンピックと言えば日本人なら誰もが
注目してしまう競技として「柔道」がありますよね。

そんな中でも今回紹介する選手が斎藤立選手です。

高校生ながら、2020年の東京オリンピックの
金メダルを期待されるほどの逸材で、メディアでも
特集が組まれるほど大注目の選手です。

今回は、偉大な父親を柔道家に持ち柔道界で注目を
集める斎藤立の現在までを駆け足で追ってみましょう。

斎藤家の次男として産まれ、5歳の時に父親の
影響で柔道を始めました。

父親は斎藤仁、日本のお家芸である柔道界では
知らぬ者が居ない存在の斎藤仁さんは過去の
ロサンゼルス五輪とソウル五輪95㎏超級で金メダル
を連覇した覇者として知られる柔道界のレジェンドです。

息子である立は父親である斎藤仁さんのドキュメンタリー
ドラマを観た事がきっかけで

「柔道をやれば出来ないこともやれるようになるのではないか」

と思ったことがきっかけだったそうです。

小学校6年生の時に、全国少年柔道大会の個人戦で
6試合オール一本勝ちし優勝するという快挙を
成し遂げています。

中学生になっても、全国中学校柔道大会で
優勝しました。

高校は、上京し父親の出身校である国士館高校に
進みました。

高校に入っても素晴らしい成績を残しています。

斎藤立の戦歴

【2017年】
・全日本カデ 90㎏超級 優勝
・全日本ジュニア 3位 
【2018年】
・ロシアジュニア国際 優勝 ※オール一本勝ち
・金鷲旗全国高等学校選手権 優勝
・インターハイ 個人戦  優勝 ※オール一本勝ち
・全日本ジュニア  優勝

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斎藤立の兄も斎藤一郎で柔道選手?

斎藤選手には3つ上のお兄さんがおり、同じく
柔道選手として活躍している斎藤一郎さんです。

斎藤一郎さんは、中学は斎藤選手と同じ大阪にある
柔道の強豪校の上宮高校に進学しています。

高校は上宮高校に内部進学したようです。

高校の時は、ジュニア柔道体重別選手権大会の
大阪大会(90㎏級)でベスト4入りするなど
好成績を残しています。

ありし日の立選手と父親仁さん。

写真を見ると、お兄さんの一郎さんはお母さん似で
斎藤立選手はお父さん似のようですね。

現在は東海大学の研究室にいるという情報や
税理士をされているとの噂などがあるようですが、
国士舘大学で柔道をされているみたいですね。

現役選手として柔道家としても活躍されているようです。

斎藤立の父親もメダリストの死の理由

冒頭でも説明しましたが斎藤立の父親は柔道界でも
日本国民でも一定の年齢(50代以降)ならばまず
知らない人が居ないレベルの柔道家でした。

現役引退後も様々な柔道界では知らない人な居ない
レベルの篠原信一さんや鈴木桂治ら選手を指導した
コーチとしても活躍した人物です。

オリンピックは世界中が注目する4年に1度の競技ですが
その中の競技でも日本人にとっての柔道は特別な競技。

斎藤選手が柔道の道を進むきっかけを作った父親の
斎藤仁さんですが、1984年ロスオリンピック、1988年
ソウル五輪の95㎏超級の金メダリストです。

これだけのバックグランドと最強遺伝子を持って誕生
した斎藤立が柔道をするのは、もはや必然の事でした。

しかそんな父親は斎藤立選手が13歳の頃に
肝内胆管がんで亡くなりました。

2013年に発病し、2015年に僅か54歳という若さで
亡くなりました。

闘病中は余計な心配を周囲にかけたくないと、がんで
あることを隠し通す決意をしたそうです。

明らかに痩せた姿や体調の悪い姿を胃潰瘍や
インフルエンザであると話していたようです。

しかしその痩せ方は様子がおかしく、本人も
かなり身体が辛かったようです。

斎藤立選手が父親の斎藤仁さんから最後に
かけられた言葉は「稽古に行け」という
言葉だったようです。

そして最後まで柔道の事を語っていたほど、柔道
一筋の人生だったようです。

斎藤立と柔道家支える母の想い

大黒柱である父親の仁さんが亡くなって、息子
ふたりを支え続けたのは母親の三恵子さんでした。

仁さんは妻である三恵子さんにだけは弱った姿を隠さず
見せていたようです。


さすが元スッチーなだけありお母様かなり美人!

仁さんが柔道を優先して病になって亡くなったことは
後悔していないだろうけど、息子たちが未来に活躍する
姿を見られないのは心残りであるだろうと三恵子さんは
仁さんが亡くなった後に感じたようです。

斎藤選手は、父親の仁さんが亡くなるまで怖い父親と
恐れたようで柔道の稽古も嫌がっていたようです。

厳しい稽古を嫌がる斎藤選手を母親の三恵子さんが
学校まで迎えに行き、練習場まで連れていくことも
あったそうです。

2018年に行われた金鷲旗全国高等学校選手権で
優勝した後に受けたインタビューではそのことを
目を細めながら語りました。

斎藤選手の母親の三恵子さんはTwitter(@9nhohEGl16puZd2)
をしています。

自身の近況を綴っていますが、結構な頻度で息子さん
たちのことについてツイートしています。

元々エールフランスのCAだったようで、その為か、
柔道のことはあまり詳しくないとの旨の発言を
Twitterに挙げています。

しかし、ご主人の仁さんの想いも引き継ぎふたりの
息子の活躍を応援しているようです。

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おわりに

柔道界のサラブレットは異例の強さで大躍進していますが、その裏には父親の大きな存在と母親の強い支えがあったんですね。まだまだ高校生で伸びしろが沢山ある斎藤選手の今後の活躍がますます楽しみですね!東京がダメでも、その次のフランス五輪での出場が充分可能性のある斎藤立の活躍に期待したいですね。


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