佐々木朗希の父親の仕事や人物評に涙!母親の再婚説と兄弟の現在は

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佐々木朗希アイキャッチ

21歳で剛速球を連発し、令和の怪物の異名を取る佐々木朗希投手、侍ジャパンに選出されWBCでも大活躍していますね。

デットボールを当ててしまったチェコの選手にお菓子の差し入れをするなど野球以外でも好青年ぶりが話題です。

人気の佐々木投手ですが、実は父親を12年前の東日本大震災で亡くしており、その悲劇と共に父親の人物評や兄弟、母親再婚説も話題になっています。

佐々木朗希の父親の仕事や人物評に涙、母親の再婚説と兄弟の現在についてお伝えします。

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目次

佐々木朗希プロフィール

氏名:佐々木朗希(ささきろうき)
生年月日:2001年11月3日(21歳)23年3月時点
出身地:岩手県陸前高田市
出身校:岩手県立大船渡高校
身長:190㎝
体重:85kg
投打:右投右打
プロ入り:2019年ドラフト1位
所属球団:千葉ロッテマリーンズ

佐々木朗希の父親の仕事は

2011年3月11日東日本大震災が起こり、佐々木投手は9歳の時に被災しています。

両親、祖父母、兄弟との7人家族だった佐々木投手の実家は、海のそばにあり流され、37歳だった父の功太さんと、祖父母は津波にあい帰らぬ人となりました。

佐々木投手の父・功太さんはサラリーマンで葬儀屋で働いていたそうです。

父親は野球はやっておらずバスケットボールだったそうですが、子ぼんのうでいつも笑顔で誰からも愛される存在だったといいいます。

功太さんは、休みの日になると子供たちをスノーボードやジェットスキーに連れていってくれたそうです。

葬儀屋で働き、不規則な生活ではあったと思われますが家族思いで幸せだった矢先で、突然の死に佐々木投手も大きなショックを受けました。

佐々木投手の父親と祖母の遺体は見つかっていますが、祖父はまだ行方不明とのことです。

佐々木朗希の父親の人物評が泣ける

父親の功太さんは、町ではリーダ的な存在で、誰にでも好かれる明るい人だったそうです。

夏祭りでも町内会の中心となり盛り上げたりする気さくな人で、佐々木投手も父親を見ながら地域に尽くしたい気持ちが高まったようです。

2020年3月11日の「日刊スポーツ」のインタビューで、佐々木朗希さんは父・功太さんについて「誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。」と話しています。

佐々木功太さんは、もともと、陸前高田では知られた人で、人情あふれる働き者として太陽のような存在だったといわれています。

「有限実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人で気さくで行動力があって、先輩も後輩もみんながついていって」(陸前高田市長:戸羽太さん)

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市において、なくてはならない若きリーダーだったといい、佐々木一家だけでなく地域の人々にも衝撃の出来事だったといえます。

佐々木朗希の父息子の未来を予測してた!

冒頭で紹介したように、野球はしてないもののバスケットボールをする181㎝の高身長だったスポーツマンの功太さんはまだ幼い頃の朗希さんとキャッチボールを良くしたそうです。

その際、子供ながらに力のある投球だったのでしょう。

当時から「朗希は凄い。将来プロになれる」と話していたんだそうです。

佐々木朗希さんが9歳で亡くなっている事を考慮しても小学校低学年での息子とのキャッチボールで、そうした可能性を感じ、既に輝く未来の可能性を感じていたのは父親の功太さんだったのでしょう。

佐々木朗希の母親再婚説はマジ?

佐々木朗希投手の母親再婚説が出ているようですが、本当でしょうか。

佐々木投手の母親が、ロングヘアですごい美人なのと、年齢よりかなり若く見えるため、再婚もありかもと思わせるところはありますが。

父親を失ってから、女手一つで佐々木兄弟を育てた母親の陽子さん。

千葉ロッテマリーンズとの入団交渉時の時に同席した時の陽子さんがあまりにも綺麗で、ネット上が騒然となったとか。

陽子さんは現在49歳で、身長が170㎝と長身、保険会社の営業をしているといわれています。

ただ元々夫婦仲もよく、子供らの写真をフェイスブックにのせるなど子供好きの陽子さんで、佐々木投手からも大きな信頼を得ており、再婚の事実は出ていないようです。

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佐々木朗希の兄弟の現在

佐々木投手は3人兄弟の次男で、長男は琉希(りゅうき)、三男は怜希(れいき)といいます。

長男の琉希さんは朗希投手の3つ上で、厳しかった父親の代わりとして弟たちを厳しく育てたといわれています。

朗希と名付けたのも兄といわれていますね。

琉希さんも大船渡高校出身で野球をしており、佐々木朗希投手も影響を受けています。

高校卒業後、琉希さんは東北学院大学に入り、大手広告代理店に勤務しているそうです。

三男の怜希さんも大船渡高校で野球をしており、今年2023年に3年生となります。昨夏の甲子園・岩手県大会では1番・遊撃手でデビューしていますが惜しくも敗退、今後が注目されています。

佐々木朗希の震災後の生活

佐々木投手は9歳の時、小学校4年生で被災しています。学校にいた佐々木投手は、兄弟と逃げ避難したそうです。

隣町の大船渡市にいた母親と再会できましたが、家族も住む家もなくした佐々木投手や兄弟らは、しばらくは避難所の老人ホームで生活しています。

その後母親の親戚がいる大船渡市赤崎町へ引っ越します。

赤崎町でも野球を続け、保護者や支援者の協力もあり近隣の運動施設などでの練習試合にも参加していました。

「地元で甲子園を目指したい」という佐々木投手は県立大船渡高校に進学、既に有名選手の知名度も高く1年生から試合に登板、観客が殺到していたとか。

3年生で甲子園をかけた決勝で、大船渡高校の監督が連投の佐々木投手の故障を気遣い試合に登板させなかったことで大きく話題になりました。

このエース投手を登板させなかった英断で、奇しくもチームは敗退しましたが、この大船度渡高校の野球監督の判断は英断だとテレビでもかなり話題となり記憶に新しい人も多いかと思います。

そうした周囲の手厚いサポートも実り、ドラフト1位で千葉のロッテマリーンズに入団し活躍の場を広げています。

日本のプロ野球史上最年少で完全試合を達成したことも話題となりました。

佐々木投手は、震災後母親と兄弟と生き延び大変な目に遭いながらも、野球をあきらめず地元のために頑張り、今や日本屈指の若きエースとして注目を浴びています。

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おわりに

令和の怪物佐々木朗希投手の父親は葬儀関係の仕事をしており、子煩悩で地域からも大変愛される人物だったことがわかります。父は東日本大震災の津波にあい残念ながら亡くなっていますが、佐々木投手は母と兄弟と共に震災後の生活を乗り越え、野球で地域を助けたいという強い意志が、プロへの道で生かされています。
母親の再婚説は事実ではないようで、兄は社会人、弟も注目の野球選手となっており、今後も佐々木一家が大きな注目を集めそうです。


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