橋本聖子の父親借金と馬喰一代の評判!鉄拳制裁の子供時代に絶句

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橋本聖子アイキャッチ

7度ものオリンピック出場者でメダリスト
でもある国会議員の橋本聖子さんが改めて
五輪組織委員会長に就任しました。

橋本聖子と言えばオリンピアンであると共に
現役選手時代から有名だったのが父親の存在です。

馬喰一代を地で行く生き方をした父親の借金も
常に話題だった橋本聖子の父親とは一体どんな
人だったのでしょう。

父の存在なくして自分の五輪出場はなかったと
いう橋本聖子の子供時代の驚愕の鉄拳制裁も
同時に追ってみようと思います。

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目次

橋本聖子プロフィール

名前:橋本聖子(はしもとせいこ)
生年月日:1964年(昭和39年)10月5日(56歳)21年2月時点
血液型:B型
身長:156㎝
出身地:北海道早来(はやきた)町(現・安平町)
前職:富士急行従業員・スピードスケート選手・自転車競技選手・国務大臣
現職:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長・参議院議員
所属政党:自由民主党
兄弟:橋本善一(長男)・橋本睦(長女)・小熊あさ子(次女)
夫:石崎勝彦(子供6人)

橋本聖子の父親の借金20億の噂

夏の五輪開催を巡る騒動の中、かつてのオリンピアン
として日本代表で大活躍した選手橋本聖子。

橋本聖子と言えば現役時代から、かなりの存在感で
有名だったのは、彼女の実の父親である橋本善吉さん
の存在でした。

苦しくも昨年95歳の寿命を全うした橋本聖子の父
橋本善吉氏は娘の聖子にも負けない存在感と職業と
していた牧場関係ではかなり知られた存在です。

2006年にも週刊誌で父親の借金が報道された
ことがわかっています。

実家の北海道勇払郡安平町で、橋本聖子が幼い
事から既に養牛を営んでいた父親の善吉さんは

「マルゼン橋本牧場」を経営しており、「牛のハシモト」

として世界に名を知られた牛の仲買商でした。

そして、彼がこの牧場経営に関して多額の融資を
受けていたようで、デイリー新潮によると、

牛に始まり、競走馬も手掛ける程の手広い牧場
経営で知られた橋本牧場は、牛より更に多額の
資金がいる競走馬を管理する生産牧場としても
有名だったのです。

“「バブル期の前後には地元の『千歳信用組合』から、本来の融資限度額の2倍以上である16億円余りもの融資を受けていました。ところが返済が滞り、そのあおりで千歳信組は99年に経営破綻。翌年には、債権回収を行う整理回収機構が信組の元理事長ら4人を相手取り、3億円の損害賠償を求めて提訴したのです。」”
(地元関係者)

“「06年には、聖子さんの選挙資金と称して善吉さんが知人から2千万円を借り、一部を返済せずに訴訟で返済命令が下ったことが明るみに出ました。この件は人まず解決しましたが、あわせて善吉さんには借金20億円以上あるとも報じられたのです。」”

借金は合わせて20億にも上る噂は本当だった
ことになりますね。

これだけの借金を抱えるというのは経営者とし
疑問符がつくところですが、橋本さんにとっては
あまりよい話ではありませんね。

橋本氏さんが東京五輪・オリンピック組織委員会の
会長就任に初め難色を示していたのは、この巨額な
負債のためとも言われている程です。

去年から現在に続く世界的パンデミックのコロナ
渦で講演会など、かなりの数が開催出来ない状況
と言われていますが、それ以前は国会議員の傍ら
父親の残した借金返済の為盛んに講演会などに出席
していると報道されていたほどです。

ただ五輪相辞任で大臣手当を失い借金が返せるのか
などの噂まで出ており心配は残ります。

橋本聖子の父橋本善吉のプロフィール

橋本聖子さんの父、橋本善吉さんの祖父母は
開拓者で、父親は宮城県から、母親は奈良県から
入植したのだそうです。

聖子さんの祖父が北海道の山奥を開拓し、そこに
父親が牧場をおこしたのでした。

日本がまだ貧しい時代で祖父母とも農家育ち、
極寒の地で畑を開いて開拓するのは大変な苦労が
あったそうです。

3人兄弟の次男だった善吉さんは小学校も満足に
通うことができず、小さい時から行商をしたりして
働き、涙を見せる暇さえなかったといいます。

そして善吉さんは養牛の牧場経営を初め、牛の
買い付けをする中で馬と出会い、馬の生産も
手掛け立派な馬を輩出する輝かしい実績を重ねて
いきました。

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橋本聖子の父親の馬喰一代の評判

聖子さんの父親・橋本善吉さんは牧場経営者で
あると同時に、サラブレッドのJRA顕彰馬マルゼン
スキー
オーナーでもあり、世間でも話題になったそうです。

マルゼンスキーは中央競馬で8戦無敗の好成績を
持つ素晴らしい名馬で、善吉さんの名はこの幻の
ダービー馬と共にあると言ってよいでしょう。

善吉さんの牧場は、主にサラブレッドを生産する
牧場として知られていました。

牛の目利きで知られた善吉さんが視察でアメリカに
渡り、セリで1頭の繁殖牝馬に目が留まり落札し
日本に持ち帰ります。

その時お腹にいたのがマルゼンスキーで、サラブレッド
生産者として一目おかれる存在となりました。

8戦8敗の無敗のまま、77年に脚部の不安で引退した
マルゼンスキーですがその後種馬入りします。

種牡馬入りしてからも優秀んあ子供に恵まれ
誕生馬にはサクラチヨノオーなど複数のG1馬を
出しています。

競走馬にかけ、競走馬で一代をなした善吉さんが
亡くなった昨年には、あの名馬のオーナーとして
感謝の声も多く上りました。

現在は、長男の橋本善一さんが橋本牧場を継ぎ、
オーナーとして活躍しているようです。

橋本聖子の子供時代は鉄拳制裁に絶句

橋本聖子さんの父親である橋本善吉さんは、
彼女の子供時代は鉄拳制裁もいとわない厳格な
人だったことがわかっています。

朝晩正座をして、三つ指を立てて挨拶することや、
兄弟間でも敬語、ため口禁止、ご飯を父に渡す時に
両手でお茶碗を持つなどの細かいルールがあったとか。

言葉より先に叩かれることもあり、叱られている
間は泣いてはいけないといったまさに昔のがんこな
父親像そのままの感がありますね。

家族の誰もが善吉さんには逆らえる事は無く
絶対君主と言っても過言ではない威厳を持ち
時には母親にも手を挙げる事があったというから
かなりの強面なのが分かります。

聖子さん曰く、時代が時代なら虐待の部類に
入る程厳しい子育て観や家長制度が橋本家には
存在していたようです。

また競走馬を管理する牧場らしく聖子さんがまだ
本当に幼い頃からポニーでの乗馬を教え込まれ
砂場とは言え何度落馬しても乗馬を教え込まれた
のだそうです。

そして人に厳しい分自分にも厳しかった善吉さん
の考えは自分が出来ない事を他人に強要できない
との想いから、どんな気性の荒い馬でも善吉さんの
手にかかると大人しくなったそうです。

かなりの馬使いだったことが分かりますね。

聖子さんも、そうした環境からロデオの馬に
乘っても落馬しないレベルの乗馬を身に付けた
そうです。

聖子さんは4人兄弟の末っ子で、兄や姉とは少し
歳がはなれていましたが、父親の教えを守り
敬語を使っていたそうです。

橋本聖子さんの父善吉さんは2020年10月19日、
96歳で老衰のため亡くなっています。

その前日に橋本さんは父親を実家で一晩だけ
看病し東京に帰りましたが、その後静かに息を
引き取ったといいます。

1964年に開催された東京五輪で母親を連れて
東京五輪の開会式に訪れた時に誕生した末っ子
の聖子さんの名前を聖火にちなんで命名した
善吉さん。

産まれて物心つく頃から
「お前はオリンピック選手になるんだ」

言い続けられ、もはや五輪出場を目標とするのは
自分にとっては当たり前の事と洗脳にも似た確信を
娘に植え付けた善吉さん。

結果を見れば聖子さんの人生そのものを形成
してくれた唯一無二の父親だった事でしょう。

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おわりに

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の新会長に就任した橋本聖子さんの父親には20億の借金があったことが知られており、新会長就任の裏でこの負債の心配が見え隠れしているのは確かなようです。
父親の善吉さんは競走馬の生産者で知られ、サラブレッドのマルゼンスキーの生産者として名をなし亡くなるまでその功績で有名な人だったといえます。厳しい父親で、聖子さんにも鉄拳制裁というのには絶句ですが、その厳しさに耐え聖子さんは立派なアスリートとして成長できたのかもしれません。
橋本さんが新会長としてその名にふさわしい働きをしてくれるのか、今後の動向を見守りたいところです。


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