毛沢東の性豪が伝説!虎は歯を磨かないの豪語が激しい思い込みに絶句

この記事は5分で読めます

毛沢東

中華人民共和国を建国し、最高指導者として
知られる毛沢東。

現代の中国の共産党の礎を作った毛沢東は歴史
に名を残す殺戮の限りを尽くして文化大革命を
引き起こした人物でもあります。

今回は、そんな毛沢東の女性遍歴や驚きの
性豪伝説や、彼が「虎は歯を磨かない」と豪語した
歯磨き嫌いと激しい思い込みに絶句などについて
紹介します。

Sponsored Link

目次

毛沢東プロフィール

名前:毛沢東(もうたくとう)
出身地:中国湖南省
生年月日:1893年12月26日
死亡年月日:1976年9月9日(享年82歳)
出身学校:湖南第一師範学院
職業:政治家・軍事戦略家
中華人民共和国初代国家主席

毛沢東は20代後半で第1回共産党大会の創立
メンバーになり、国共内戦や日中戦争で頭角を現し
共産党内の実権を握り1949年に中華人民共和国を
建国しました。

毛沢東は最高指導者として支持を集めますが、
急進的な社会主義政策を掲げ、イギリス社会を
追い越すための大躍進政策失敗で数千万の餓死者を出し
後に文化大革命としてクーデターを起こすなどで権力を
高めていきました。

毛沢東の結婚歴

毛沢東は4回も結婚しているという驚きの
結婚歴に圧倒されます。

初めの結婚は、僅か14歳の時で、3年後に年長の
妻は赤痢で病死。

ただ、この結婚は父親に強制された結婚であると
して本人は結婚歴としては認めていないともいいます。

その後、毛沢東26歳の時、北京の大学教授の娘と
2回目の結婚をし2人の子供をもうけますが、革命の
同志として夫と離れ地下活動をしていた妻は国民党に
逮捕され銃殺されてしまいます。

毛沢東の3番目の結婚は35歳の時で、2番目の妻と
結婚していながら彼女と別居中に、19歳の活動家の
女性と一緒になっています。

ですが今度は女優の江青と不倫に陥り、3番目の妻を
捨てて江青と1939年に4回目の結婚をしています。

この江青は最高指導者毛沢東の妻の座を利用し、国を
窮地に追い込んだ文化大革命を推進し中国を混乱させた
人物としても知られています。

毛沢東の側にはいつも女性があり、次々と色々な
女性に走る結婚歴もすごいですね。

ただ、こうした婚姻歴だけで終わらない所が歴史に
名を残す毛沢東の凄い所です。

大躍進政策や文化大革命によって多大なる犠牲者を
出した毛沢東は決して英雄とは言い難い人物ですが
それでも、こうした事実を知る度、英雄色を好む
の言葉が思い浮かびます。

歴史をたどれば決して英雄ではない毛沢東の
凄まじい女性遍歴は婚姻歴どころの話ではなかった
のです。

毛沢東の性豪伝説が恐ろしい

毛沢東の女性好きはかなり有名なようで、その
性豪伝説も恐ろしいほどです。

既に何度も結婚しており56歳にして実質的な皇帝の
座についた毛沢東は、それだけでは飽き足らず多くの
愛人たちと関係を持ったとされています。

彼は毎日のように迎賓館で全国から集められた
美女集団の舞踊団を呼び観劇したと言われています。

側近たちが毛沢東のために集めた若い女性とダンス
ワルツなどを踊り、彼の気に行った女性はホール横
にある別室に連れ込んでいたといいます。

毛沢東は自分を神のように崇める若い娘を好んだそうで
結果として共産党のおかげで良い生活ができるように
なった貧農の娘たちが選ばれていたようです。

また当時の女性達も、時の権力者であった毛沢東に
選ばれる事をこぞって競い名誉に思っていたとの事。

当時の毛沢東は自分を神と崇め最終的な人生の
目標として不老不死を望んだと言います。

そして不老不死に最も効果があるとされた言い伝え
若い女性の処女と性行為する事が不老不死に効果が
あると妄信的に信じ込んでいたようです。

全ての権力を手に入れた毛沢東は不老不死を手に
入れる為に毎夜せっせと若い処女を求めて行為に
いそしんだと言うのだから恐ろしすぎます。

妻もありながら、これだけの女性に囲まれた生活を
堂々とする毛沢東には驚くばかりです。

Sponsored Link

毛沢東の『虎は歯を磨かない』の豪語に絶句

当時の国家主席である毛沢東には当然、首席の健康を
管理する専門の主治医が付いていました。

毛沢東失脚後のその主治医が中国から他国に亡命した後
回想録で漏らした毛沢東の生活ぶりが驚愕の内容で世界を
震撼させました。

現代でも歯の健康は全ての健康に繋がるとされ、定期的な
歯の検査や歯石の除去は最も重要と考えられています。

当時でも優秀な医師の中では既に定説だったのでしょう。

歯を磨く習慣が全くなかった当時の毛沢東に何度も
「ブラシで毎日歯を磨いてください。」

と提案するも毛沢東は「イヤだ!」の一点張り。

中華人民共和国初代国家主席の毛沢東が、生涯歯磨きを
拒んだことはよく知られているようです。

実は毛沢東は中国の山奥の田舎出身で子供時代から
歯を磨く習慣がなく、起床後お茶で口をゆすぎ、そのまま
飲み込むか、お茶の葉を噛むくらいしかしなかったそうです。

しかも毛沢東は喫煙者でもありました…最悪の
口内環境の中最後まで歯磨きを否定し続けた毛沢東主席。

中華人民共和国を建国した55歳頃に検診した主治医
によれば、口内に緑のペンキが塗ってあるようだったとか。

国のトップになっても歯を磨かない毛沢東に、見かねた
主治医が歯ブラシを渡すと、彼は憮然とし

『虎は歯を磨かない。それなのに虎の牙はなぜ鋭いのか。』

と答え、主治医もこの理論にお手上げだったようです。

彼の激しい思い込みにも驚きますが、結局そのまま
歯を磨くことはなかったといい、まさに絶句の史実
ですね。

その為、当然ですが毛沢東の口臭は、それはそれは強烈な
悪臭を放っていたと言われています。

晩年の毛沢東は、ほとんど笑わなかったといわれますが
上顎の歯が全て抜け落ちているのを隠すためで、口臭も
ひどく指令のたびに悪臭が漂ったのだそうです。

それでも、最後まで頑固に歯を磨かなかったのは、
猛獣のトラの威力を自身に重ねていたからなのでしょうね。

恐ろしいレベルの思い込みで想像するだけで気絶しそうな
史実ですね。

Sponsored Link

毛沢東は風呂嫌いも凄い悪臭の人だった

歯磨きをしない事実だけでも考えただけで物凄い
悪臭だっただろうことが想像できる毛沢東ですが
彼の悪臭はそれだけにとどまりません。

何と毛沢東は風呂嫌いでも有名で、口内以上に凄い
悪臭が周囲を困らせていたようです。

彼の内妻が濡れたタオルで体を拭いてやったのだ
そうですが、理由はよくわかりません。

毛沢東は、お風呂は嫌いだったのにプールは大好きで
専用のプールがあったといいます。

晩年はプールの傍らで過ごすことが多かったとか。

黄河・長江などの大河で泳ぐのも好きだった
そうですから、水が苦手というのではなさそうです。

単なる面倒さからではなさそうですが、歯磨きや
風呂嫌いなところから清潔を好む人ではなさそうですね。

毛沢東は来賓や多くの人との交流の場が多かった
はずですが、ひどい臭いに側にいる人は大変
だったのではと想像できます。

それで最後まで衰える事の無かった性欲に応えた
女性達は何を想っていたのでしょう…

と言うか毎夜、毛沢東主席に選ばれて不老不死の為か
自身の衰えない性欲を満たす為か今となっては分かり
兼ねますが、こうした状況の悪臭の人だった毛沢東と
夜を共にした女性達は、それでも毛沢東の夜に呼ばれる
事を名誉としていたのでしょうか…

同じ女性としては時の権力者だった人物とはいえ
その史実には何ともいたたまれない気持ちになります。

おわりに

中国の偉大な建国の父毛沢東には意外な性豪伝説があり、4回の結婚歴や妻がありながら若い女性らを愛人にし、生涯多くの女性を側においていたことがわかります。
一方で歯磨きが嫌いで、主治医にも『虎は歯を磨かない。』と豪語し、思い込みの激しさも人一倍でがんこな一面があったようです。お風呂も嫌いで凄い悪臭があったことも伝わっており、主君らしからぬ私生活ぶりに注目が集まっています。
中国の政治や経済に多大な影響を及ぼした指導者毛沢東ですが、自己の気の向くままに突き進み、自由に我が道を行くといったタイプであったのではないかと感じられます。


関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

このサイトについて

モバイルバージョンを終了