中曽根康弘の日航機事故の真相は墓場まで持って行くの内容激白に激震

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昭和を代表する元総理大臣を務めた中曽根康弘氏。

現在は100歳を超える長寿で今もお元気で健在の
元総理ですが、現役総理時代に起きた日本史に残る
大惨事として今も語られる日航機墜落事故について
中曽根康弘氏は、その真相を墓場まで持っていく。

そう語られていると言い伝えられています。

当時日航機墜落事故が起きた時、現役総理大臣だった
中曽根康弘氏が知る真実とは?

何をして墓場まで持っていくと彼は言ったのか
様々な言われが今だ言い伝えられる事故の真相を
追ってみようと思います。

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目次

中曽根康弘元総理時代の日航機墜落事故とは

日航機墜落事故「1985」は日本航空123便が
群馬県御巣鷹山で墜落した事件です。

墜落原因はボーイング社の修理ミスとされて
きましたが、当時首相だった中曽根康弘氏
「なかそねやすひろ(101歳)」は被害拡大を
防ぐ為に航空機の撃墜を命令したからだという
噂もあります。

日航機墜落事故に関しては元客室乗務員で現在は
作家の安倍譲二氏「あべじょうじ(82歳)」が見解を
出しています。

また事件のあった1985年辺りの米国との外交関係は
良好で、中曽根氏は軍事協力に重きを置いた政策を
していました。

日航機墜落事故の真実を追及すると共に「運命共同体」
とまで言われた日米関係にも触れていきたいと思います。

日航機墜落事故と中曽根康弘元総理氏が何故関係が
あるのか疑問に思う方もいると思います。

現在101歳の彼は戦前から戦後にかけての政治の真実を
知る人物である一方、リクルート事件・九頭竜ダム建設
落札偽計事件・ロッキード事件
など数々の汚職事件への
関与も疑われています。

彼が首相在任中の1982年から1987年は、田中角栄元
総理の金と派閥の路線を継承した政治を行ってきました。

総理を辞職した後も2003年に定年制で引退要請を
されるまで長く政治の世界に身を置いています。

前置きが長くなりましたが、そんな彼が首相在任中に
起こったのが日航機墜落事故です。

御巣鷹山に墜落した日本航空123便は、後部圧力隔壁の
破損がきっかけで各装置・システムの制御が効かなかった
と言われています。

これは出発前のボーイング社による整備不良
原因だとの見解が発表されましたね。

前述しましたが中曽根康弘元総理は田中角栄元総理の
ロッキード事件に関与したという噂もあるので、ボーイング
社が報告書を作成する際中曽根政権が圧力をかけたとする
見方もあります。

しかし真相はあれから長い年月が経った今日も
分かっていません。

実際に彼は思わせ振りな発言をしているので次の項で
詳しく述べたいと思います。

中曽根康弘の日航機事故の「墓場まで持って行く」の真相

インターネットが急速に普及し様々な情報が散乱する昨今
日航機事故に関しても多数の意見や噂があります。

そのなかで有力な情報は中曽根氏の
「墓場まで持って行く発言」からくる日航機事故
への関与の疑いです。

飛行機が墜落する際場所が悪ければ甚大な被害が
出ますが、それを危惧した中曽根氏が自衛隊機に
よる撃墜命令を出したと囁かれています。

多くの人を救う為、一部を犠牲にする考えは哲学に
ありますが、最後まで諦めず策を考えるのは政治家の
務めでもあります。 

日航機撃墜命令が事実だとすればとんでもない
ことですよね!

実際に関与したかは未だに闇の中ですが、数々の
汚職事件を疑われている人物がしたこの発言は
世間に大きな衝撃を与えました。

疑惑に対して自らは関与していない!

と訴えたのなら、こんな思わせ振りな発言は
しないと思います。

現在101歳になる彼は新聞や歴史書に目を通せるほど
健康で、見た感じですがまだ頭もしっかりしている
ようです。

しかし自然の理のままなら人間は必ず老化し死ぬ
流れは変えられません。

彼は人生を終える前に、日航機墜落事故に関する
発言の真意を明らかにする義務があります。

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中曽根康弘と当時のアメリカとの関係

彼が首相在任中のアメリカとの関係は、少なくとも
表面上はかなり良好でした。

政治には表もあれば裏もある場合があるので、アメリカに
別の意図がある場合も考えられますが・・・。

現在残っている情報から見ると当時のアメリカ大統領
だったドナルドレーガンとはお互いにロン・ヤスと
呼び合う仲だったのだとか。 

しかし政権発足当時は「日米同盟に軍事的側面はない」
と発言した鈴木善幸元首相の影響が両国間に残っていました。

鈴木元首相のこの発言に米国は怒り日本に敵対心を抱きます。

当時ソ連がヨーロッパに向けて大陸間弾道ミサイルを
配備した為、アメリカもこれに黙っていませんでした。

弾道ミサイルパーシングⅡの配備計画を立てます。

そして日米間で密接な防衛体制を築き無防備なアジアを
カバーしようとします。

そんな時に鈴木元首相が軍事協力を拒否する発言を
したものですから、相当な怒りを買ったのも無理は
ありません。

この緊迫した日米関係を
「更なる日米間の軍事協力強化」を推し進め改善
したのが中曽根氏です。

米国は世界の警察官で、日本にとって敵にしたく無い
大国だということをよく理解していたのでしょうね。

日米関係に大きく貢献したことは、現在でも広く
語り継がれています。

安倍譲二の見解にも絶句

元暴力団員・作家・漫画原作者・タレントなど様々な
経歴を持つ安倍譲治。

彼は元日本航空の客室乗務員だったこともあり
日航機墜落事故について自らの見解を発表しています。

日航機の墜落は事故ではなく事件だったと言う
根拠は何か考察していきますね。

安倍氏の見解は複数ありますが気になるのは自衛隊
所有の無人標的機が航空機の尾翼に衝突し、それを
隠す為に撃墜命令を出したと言う情報です。

公式発表では飛行機の垂直尾翼が脱落したと
ありますが、彼によるとこの尾翼という部分は
かなり堅牢で、戦闘と衝突事故以外で壊れたことは
ないそうです。

事故当時、自衛隊では、おわりに護衛艦「まつゆき」
が新しく製造され、相模湾で試運転をしていました。

彼は、まつゆきから発射された無人標的機が機体に
誤って衝突したと発言しています。

高速移動をする同兵器は意図的に当てることは
不可能なそうで、それがたまたま当たったのだとか。

そして操縦不能となった飛行機は、普通なら衝撃の
少ない海に向かいますがこの時は山に向かいました。

これは敢えて山へ誘導されたからだそうです。

現場近くの複数の住人は飛行機が炎をあげて落ちて
きたと証言していますが、ジェットエンジンを最大
出力で噴出しても炎に見える可能性はないと証言
しています。

実際2機の戦闘機が発進していたようなので、これらから
ミサイルが発射されたという安倍氏の見解。

実際彼は単発エンジン小型機の免許持っていますが
どこまで信じていいか判断するのは難しいですね。

最終的には決定的な証拠がなければ事故を事件と
見るのには早計な気もしました。

現在も101歳でお元気との事。

この日航機墜落事故について、結局は中曽根元総理は
本当に真実があるとすれば「墓場まで持っていく」
つもりなのでしょうか・・・

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おわりに

日航機墜落事故は日本史に残る大変重大な出来事です。こうした悲惨なことを繰り返さないようしっかりと原因を追及してもらいたいと思います。


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