イメルダ夫人の現在は?悪女と呼ばれた超成り上がり伝説と武勇伝

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アイキャッチイメルダ

元フィリピン大統領夫人として世にも有名な
マルコス政権時代の悪女と呼ばれた女性こそ
イメルダ夫人です。

夫であるマルコス政権失脚の際に発覚した約
3000足もの靴が彼女の当時の浪費ぶりを象徴
したように彼女が悪女と呼ばれるには確たる
理由がありました。

超成り上がり伝説と呼ばれる程の若い頃からの
美貌を武器に成り上がったイメルダ夫人の今と
過去の武勇伝を追ってみようと思います。

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目次

イメルダ夫人の現在は?

マルコス政権が失脚してからの33年という月日を
経て夫であったマルコス大統領は1989年に既に
死去
してますが妻だったイメルダの現在は何を
されているのでしょう。

2019年現在イメルダ夫人は89歳となっています。

89歳もの高齢になっても尚未だに彼女はフィリピン
の下院議員として活動をしています。

その上昨年18年10月16日には来月に控えた19年5月
の中間選挙である北部ルソン島の北イロコス州知事選
に立候補を表明しています。

この立候補は後に撤回しています。

今年の7月に90歳の高齢になる事を考えたら当然の
結果と言えるでしょうが・・・

それにしても一時的であれ立候補するバイタリティー
と政治への飽くなき野望に驚くばかりです。

そんなマルコス家に反感を持つ人物ばかりではなく
指示する国民もいる事にまたも驚きを隠せません。

北イロコス州は故マルコス大統領の出身地らしく
未だにマルコス家の政治力が衰えてない事が健在
した形とみられているようです。

なお彼女と故マルコス大統領との間に誕生した
ご子息である長女のアイミーマルコスが2010年
から州知事を務めており、今回の表明で州知事を
高齢の母親に譲って自らは上院選に鞍替えして
立候補することを表明しています。

長男のフェルディナンドは既に上院議員として
活動しており16年には副大統領戦にも立候補し
支持率を集める程の政治力と人気を持っている
との事。

北イロコス副知事選には現在地方議員を務める
孫のマシューも立候補するそうで当選すれば
元大統領夫人のイメルダ夫人と、その娘と息子
に孫と言う親子三代にわたる政界進出が叶う事
となるようです。

1986年の市民改革からマルコス政権が弾圧されて
から33年の時を経て脈々とそのマルコス家の影響力
を残し根強い支持があるマルコス家。

長男フェルディナンド氏には大統領待望論もある程
その影響力はまだまだ健在という状態のようです。

イメルダ夫人の悪女伝説

独裁政治の下、国費を1兆円横領して湯水の如く
自らの衣装や靴に散財した事で知られるイメルダ
夫人。

イメルダの悪女伝説は数々あるがそのほんの一部を
紹介しましょう。

1967年にミスユニバースコンテストの為に当時から
沢山の建築物があったにも関わらず、新たな建築物
としてフォークアーツシアターを建築。

施工に時間が足りなく、開催に間に合わせるよう
不眠不休で建築させた事で知られています。

そして無事開催されたのは良いとして、ミスコンの
市民パレードに見合わない市民(貧しい身なり)らの
全てを撤去した事でも知られています。

ビートルズが来日した時には、豪華パーティーへの
イメルダからの誘いを断った事に腹を立て、マスコミ捜査
をして、あたかもビートルズが常識の無いアーティスト
のような言い方で一挙両断。

事前の誘いからスケジュールに合わないと断りを入れて
いたにも関わらず、

『待っていた子供達が可愛そう』とマスコミを使って
弾圧し、そのおかげでビートルズが帰国するときには
空港で怒り狂った国民から暴行を受けると言う事件も
発生していた。

また失脚前のマルコス大統領の女性遊びが収まらない
事から噂になり、自らもマルコス大統領との関係を暴露
した女優には脅迫行為までして自らを絶対としたイメルダ。

そんな素振りにマルコス大統領も嫌気がさしたのか
一向にイメルダ夫人を顧みる事はなかったといいます。

そんなマルコス大統領に対して行った行為が、イメルダの
浮気返しと言う驚きの行為。

イメルダはマルコス政権時代数々の浮世を流したとも
言われているのです。

もはやヤリタイ放題のイメルダでしたが、それほどの
自惚れも致し方ないと言う権限を持たされていました。

1975年から大統領令として発表された権限はマルコス
大統領に何かあればイメルダはじめ6人の議長に実権を
一任すると言う発表までマルコス大統領は自ら出して
いるのです・・・

こうした行為もイメルダの止まらない欲望に拍車を
かけてしまったのかもしれません。

マルコス政権が誕生してからと言うモノ国政介入
しだしたイメルダは外国企業からのリベートを取り
賭博の収入もくすねてあらゆる手段を用いて国費を
私物化した事で有名です。

その最終的に発覚した国費の横領額が驚異的な
金額で驚きます。

偽名を使ってスイスに持った口座には国庫から
2億ドル(230億円)を横領し私物化していた事が
発覚しています。

在職中の公務外交は62回。

訪問国32国。

外遊に伴って運んだ衣装類の荷物が飛行機二機分で
ドレスの詰まったトランク200個を運んだ事で知らて
います。

1986年ピープルパワー革命でマラカニアン宮殿を追われた
イメルダはハワイに亡命します。

残されたマラカニアン宮殿には3000足の靴と15着の
ミンクコート。508着のガウンに888個のハンドバックが
残されていました。

この失脚後に露わになったイメルダの常軌をきした
浪費癖に対する国民の大バッシングを受けて出した
イメルダの言い分である声明に飽きれてモノが言えません。

イメルダ曰く浪費したのは
『貧しい者の為の希望の星であることが義務だった』

一体どうしたらそんな思考で、この場に及んでの
この発言が言えるのでしょうか・・・

恐るべきイメルダの無邪気なこの発言には驚く
ばかりです。

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イメルダ夫人の成り上がり武勇伝は美貌を武器に

過去のイメルダ夫人が若かりし頃の画像を見ても分かる
通り、高齢となった今にもその残像がハッキリとみて
取れる程、若い頃のイメルダは美貌が自慢の女性でした。

彼女も自らの美貌は理解していたのでしょう。
若い頃イメルダ

一説には女優を目指していたとも言われておりマルコス
大統領が一目惚れしてイメルダにプロポーズした事は有名
な話です。

当時マルコス大統領には同棲する女性との間に
子供も居たのにです・・・しかも二人もです・・・

若い頃
若い頃の容姿の美しさは、キリスト教徒が多い事で
知られるフィリピンでもマリア様を彷彿とさせる程と
形容された程だったそうです。

フィリピンのレイテ出身のイメルダが夢を持って大都市
マニラに上京した時にはイメルダ曰く100人の男性がアプローチ
してきたと豪語する程、その美貌は当時から人目を引く存在
だったようです。

マニラに移住して銀行に勤めたイメルダは色々なミスコンに
応募しながらミスマニラコンテストで次点になった際に当時の
市長ラクソンに訴えて、ミューズオブマニラを勝ち取った事は
有名な実話だそうです。

そしてこの実話を元にマルコス大統領と知り合うきっかけ
となるイメルダを最初見たマルコスはイメルダから目を反らす
ことが出来ず、飲む事も食べる事も眠る事さえもできなくなる
程イメルダを愛したそうです。

マルコス当時37歳とイメルダ当時25歳は当時から既に
未来の大統領になる男と呼ばれていたマルコスに対する
美貌を持って成り上がってやろうと目論んでいたと言われる
イメルダと利害が一致。
今
横顔だってこんな綺麗です・・・

イメルダの願望は、マルコスと知り合った事で叶う
事となるのですが確かに若かりし頃のイメルダ夫人の
画像を見たら、猛烈にイメルダにアピールしたと言う
マルコス大統領の逸話も嘘とは思えない程の美貌の人
である事は確かなようです。

美しいとは罪な事・・・

あまりに美しすぎて何もかもを翻弄する程の威力が
あるのですから・・・

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おわりに

マルコス政権の崩壊で残されたマラカニアン宮殿の3000足の靴が今も伝説の国費散財として悪女の名を遺したイメルダのその人となりを考えた時、あまりに美しすぎて、周囲にチヤホヤされ続けた事が全ての発端だったのかもしれないと思えてくるのです。それ程までに、イメルダの美しさは圧倒的な存在感だったのだろうと想像してしまう程。とは言え今も御年90歳を迎えようとする中でも政治家としてしぶとく活躍しているイメルダのある種の図太さと生命力の強さにも驚異的なモノを感じますが、イメルダに翻弄されたのはマルコスはじめフィリピン国民を巻き込んでの美貌なので、その威力たるや半端では無かったのだなと思わざるを得ません。全てをくぐって今もまだ精力的に生きているイメルダはまだまだ長生きしそうです。最後のその日まで美に拘りながら・・・


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