東郷青児の若い頃が男前!宇野千代に自殺未遂の激し過ぎる女性遍歴

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東郷青児アイキャッチ

高度成長期の昭和の代表的画家として知られ
「二科会のドン」と呼ばれた東郷青児(1897~1978)。

ブルーを基調としたモダンな美人画で知られ
絵画から本の装丁・化粧品パッケージなど様々
手がけ秀逸な作品を残し愛されています。

彼は育ちもよく美男子だったことも有名で、女性
関係も凄く小説家の宇野千代もその一人だった
ことが伝わっています。

プレイボーイとしてもこれ以上の人はないであろう
という東郷青児の人気が再燃しておりその華麗な
女性遍歴が気になります。

東郷青児の若い頃が超男前の噂や、宇野千代らとの
激しい女性遍歴についてお伝えします。

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目次

東郷青児プロフィール

氏名:東郷青児(とうごう せいじ)
本名:東郷鉄春(とうごう てつはる)
生年月日:1897年(明治30)4月28日
出身地:鹿児島県鹿児島市稲荷町
没年:1978年(昭和53)4月25日、熊本県熊本市
教育:フランス国立高等美術学校卒業
選出:二科会・日本芸術院
影響を受けた芸術家:竹久夢二・有馬生馬

1916年(大正5)に19歳で「二科展」に
初出展し二科賞受賞。

戦後は二科展を主催する二科会の再建に尽くし
昭和36年二科会会長となる。

1953年に二科展が開催されていた熊本訪問中に
急性心不全で倒れ80歳で死去。死後、文化功労者
正四位が贈られている。

東郷青児の若い頃が超男前

東郷青児本人の若い頃が超イケメン、男前と
話題を呼んでいます。

すっきりとしたスマートな顔立ちで、モデルか
アイドルかという日本人離れの美男子ぶりに
注目が集まっています。

彼の描く美人画他その芸術性も高い評価を
早くから受けていますが、その奔放な女性関係や
海外へ渡っての生活なども伝わっており、お騒がせの
文化人としても意外な知名度があったようです。

若い頃だけでなく、晩年までその魅力は女性を
とりこにしたと言われており、多くのファンが
いるのも当然かもしれませんね。

東郷青児は超絶艶福家と言われた女性遍歴

東郷青児は数々の女性を恋人にする超艶福家の
女性遍歴で知られています。

東郷青児伝説の最たるものは、17歳の青児が
憧れていた竹久夢二の店「港屋」で作品写しの
アルバイトをしていた時、夢二の妻たまきと
こっそり寝ていたという驚きのエピソードです。

夢二の留守中でしたが、1日早く帰宅した夢二に
情事が見つかり、バットで殴りかかる夢二から逃げ
裸足で銀座を走り回ったというもの。

東郷青児は最初に資産家の次女、長野明代
結婚していましたが、彼は妊娠中の彼女を置いて
パリに渡ります。

青児は24歳でフランス留学し7年間過ごしています。

そして帰国した時には既に子供が3人いたといいます。

また19歳の海軍少将の娘のみつ子と出会い、恋仲に
なりますが彼女の父親により別れることになりました。

その後も大富豪令嬢の中村修子と出会い既婚のまま
二重結婚をするなど、お金持ちのお嬢様に次から
次へと乗り換えるすさまじさにただびっくりする
ばかりです。

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東郷青児と宇野千代

著名な画家、東郷青児と、小説家の
宇野千代との同棲も良く知られています。

当時としては珍しい女性で、はきはきして
活発なタイプだったという宇野千代さんは
既に当時夫がありました。

ですが宇野千代さんも恋多き女性として当時から
晩年まで語られた女性です。

出版のことで知り合った作家尾崎士郎に
一目惚れし結婚、東郷と知り合った時にも
夫ありの身でかなりの男性遍歴の方でもありました。

当時32歳の宇野千代は、『罌粟(けし)はなぜ紅い』
という小説をかきながら、心中の場面の描写に
手間取っており、ふと東郷と恋人の心中未遂事件
(後述)を思い起こし、電話で彼に取材を依頼します。

宇野千代は酒場で会おうという東郷と待ち合わせ
そのまま東郷の家に行き同棲し始めたというから
なんとも手の早い東郷にひっかかったというわけですね。

しばらくは心中未遂事件のあった品川区大井の
家に住みますが、後に東京世田谷区の淡島に2人の
家を新築して住んだようです。

大井の家には、当時の東郷らの自殺未遂による血痕が
こびりついた蒲団が残っていたそうで、それをも
宇野千代は自身の小説の中で描いており、事件の顛末を
描いた作「色ざんげ」はベストセラー小説になっています。

2人は芸術作品を通しても惹かれあうところが
大いにあったこといえるでしょう。

東郷青児は、家計を宇野千代まかせにして自身は
また自由な生活を始めます。

5年後を経てそんな結婚生活も終わり、東郷は
元の恋人みつ子とよりを戻し再び結婚しました。

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東郷青児の自殺未遂

東郷青児は、英語塾を卒業したばかりの若い
大富豪令嬢である中村修子と出会い、なんと
二重結婚を試みたといいます。

既に妻がありながら、中村修子と結婚式を
あげたのですが、その後いったん別れた元恋人
みつ子が舞い戻った事で寄りを戻します。

そしてまたも周囲に猛反対されるだろうを予測
してか昭和4年3月、彼女と共に自宅寝室で
ナイフで首を切りガス自殺を図ります。

未遂に終わりますが有名な新進画家の東郷の
自殺未遂として、当時のマスコミも大きく
取り上げています。

その後、事件について取材に来た小説家の
宇野千代と恋仲になり同居し始めるという
素早さにはこれまた絶句せざるを得ません。

東郷青児の最後の女性とは

東郷青児の女性遍歴の多さに驚きますが、彼の
最期の女性とは誰だったのでしょうか。

東郷は昭和8年、宇野千代と別れた後、妻の
明代とも離婚し、10年の紆余曲折を経て情死
未遂の相手だったみつ子と翌年結婚します。

彼女は彼が80歳で亡くなるまで添い遂げた
といわれています。

昭和15年にみつ子との間に長女東郷たまみ
(のちに水谷八重子、朝丘雪路とトリオで歌手デビュー
その後画家として二科会会長)誕生しました。

東郷の80歳の死去後、昭和58年に娘のたまみが
艶福家の父の性愛日記を公開し、同年読売新聞の
東郷番記者・田中譲も伝記出版して夢二の妻たまき
との関係や、二科会での帝王ぶりなどが世に出て
話題となりました。

美しい作品とそのイケメンぶりで、亡くなった
後も多くの女性ファンが絶えない東郷青児の生前の
プライベートには、最後まで女性がついていた
ことはいうまでもありません。

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おわりに

昭和を代表する日本人画家として若い時から注目された東郷青児は、昔から男前で知られその華麗なまでの女性遍歴にはあ然とするばかりですが、80歳で亡くなるまで数多くの女性に彩られ、素晴らしい美人画他たくさんの作品を残しました。
元恋人みつ子との自殺未遂事件を経た後になって、妻やこれまでの女性との関係を清算し、東郷が最後に選んだ女性がやはりみつ子だったことを振り返ると、彼の理想にかなう女性像が彼女だったということでしょうか。
超男前の東郷青児は、最後まで女性なしにはいかなかったようで、彼の描く女性たちそれぞれにも彼の女性遍歴が投影されていることでしょう。


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