美智子様の実家の現在は正田醤油?まんぷくとの関係や兄妹の今は? 

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美智子様

平成から新たな元号令和の時代が到来して、今
改めて注目されている前皇后美智子様。

昭和に時代まで皇族や華族から未来の皇后となる
妃を選ぶと言う時代に初めて民間からの妃として
皇室に嫁がれた美智子様。

当時であっても美智子様のご実家は先祖代々続く資産家
で当時でも相当な財力を持つ実業家として様々な事業を
手がけていたご実家のれっきとしたお嬢様です。

美智子様のご実家とドラマまんぷくとの関係や
4兄弟の現在まで、美智子様の生涯をご実家の
様子と共に追ってみましょう。

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目次

美智子様の実家の現在は正田醤油?

美智子様は、二男二女の4人兄弟の次女に
あたるそうです。

旧姓は、正田美智子さんです。

美智子様の父親の兄弟は、学者が多く、兄弟
それぞれの配偶者も、学者や、その家系の方が
多いようです。

江戸時代から群馬県館林市に先祖代々住まれ
正田文左衛門と名乗る米問屋を営んでおり、その
様は館林市近郊では随一の資産家であり、その名声は
関西にまで知らぬ者がいない程の財力を持つ資産家
だったそうです。

美智子様の実家の家業といいますと、日清製粉とか
正田醤油といったイメージで思う方が多いのでは
ないでしょうか?

日清製粉グループは、小麦粉の製造及び販売を主な
事業とし、加工食品、中食、惣菜、酵母・バイオ
ペットフード、健康食品、エンジニアリング
メッシュクロスなどの事業を加えた企業グループ。

メインの事業は「小麦粉そのもの」と、「小麦粉の加工食品」
を扱う会社だそうです。

実際のところ、美智子様の先祖は代々の家業は、米問屋を
職業とし、醤油の製造業や製粉業は、明治時代に入って
からだそうです。

平成13年、社名を「日清製粉グループ本社」に変更!

創業当時は数年前に日清戦争が終わったばかり
だったそうです。

当時の感覚では、「日清」という言葉に、すでに「外国」
「海外」という意味が含まれており、それがそのまま現在
でも使われているそうです。

正田醤油と言うのは、当時から財界でも一目を置く事業家
として知られた正田家の称号そのままのイメージで言われた
だけで、本来は米問屋から始まり、時代と共に日清製粉へと
事業を展開していったと言うのが真相のようですね。

とにかく、少し調べただけでも、当時の皇太子との結婚で
民間から皇室へ嫁いだ初の女性と言う事で一大ブームと
なった美智子様ですが、やはり、想像を絶するレベルの
お嬢様であった事は間違いなさそうですね。

美智子様の実家とドラマまんぷくの関係!

美智子様の実家は日清製粉で、美智子様はその
創業者の一族のご出身です。

前途でも説明しましたが、「日清」とは、
「広く海外を相手に商いをする会社」
という意味だそうです。

NHKドラマ「まんぷく」で描かれた日清食品と日清製粉
とは、まったく無関係でした!

屋号が似ている事から、もともとは同じ会社では
なかったのか?

と調べてみましたが、会社の名前が似ているだけでして
本当に美智子様と「まんぷく」は関係がありませんでした。

NHK「まんぷく」朝ドラに美智子様が登場すると
思った方も多いのではないでしょうか?

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美智子様の兄妹の現在は?

冒頭でも説明しましたが、皇后美智子様は民間人
として初めて皇室に嫁がれた女性として、知られて
いますが、美智子様の妹や弟の現在は、何を
しているのでしょう?

と思う方も多いのではないでしょうか?

兄の巌さんは、昭和6年生まれの美智子様の3歳
年上で、現在は87歳で最終学歴は東大法学部卒業。

元日本銀行監事も勤めのドイツ生まれです。

1972年に三菱商事に入社されてその二年後に
日清製粉に転職。

その後に取締役・社長へと就任されています。

1973年に社長から今度は会長へと就任。

1999年にこの世を去っています。

次男の修さんが昭和17ねん生まれの現在76歳。

1986年に日清製粉の社長へと就任。

ここで完全にバトンタッチです。

次女となる妹の・正田恵美子さんが昭和15年生まれの
現在78歳で、ご結婚は日本体育教育会会長の
安西孝之(昭和エンジニアリングの社長)の
ご子息である次女とご結婚されています。

美智子様が皇太子妃となった後の正田家の変化

このように超の付く生粋のお嬢様だった美智子様
ですが皇族や華族の人々には、それでも、皇室とは
釣り合わない一介の一般人だとの捉え方に変わりは
ありませんでした。

皇太子と御結婚後、様々なご苦労があり、今では
考えられないような皇室内のバッシングの中皇后と
しての役割と、それまでとは異なる子育ても実践して
きた美智子様。

そんな中での正田家から皇室に娘が嫁ぐと言う名誉
を経て実家の正田家にも大きな変化があったようです。

やはりこの時代には時代なりの家格と言う物の見方
があったのでしょう。

美智子妃殿下となる以前に既に兄の巌氏には婚約者
が決定していましたが、妹の美智子様の妃殿下入り
決定で、この兄の婚約は解消されたといいます。

その理由は
『お宅とうちは家格が違うから解消します』

との理由を明確に言われて破談になされたそうです。

その後、ご結婚された相手は濱口雄幸首相の子孫
である孫娘にあたる、淑さんとご結婚。

淑さんの父親は当時東京銀行頭取を務めていた
人物です。

妹の恵美子様もエンジニアリング家であった
安西家に嫁がれ、次男の修さんで現日清製粉
社長も当時クラレ社長、大原総一郎氏の次女で
ある素子様とご婚姻されています。

正田家が、当時から随一の実業家として知られる
名家だった事に違いはありませんが、この正田家
の美智子様が皇太子妃となった事で、明らかに当時
の正田家では相手にされない家柄のお相手との婚姻
だったそうです。

今でも滅多に聞きませんが、明らかにある所にはあるある
な恐ろしい家格の問題。

一般家庭で、ほぼこの話題があがる家庭は、余程の
事が無い限り上がらないでしょうが、そんな事実が
分ったからこそ、今現在の孫にあたる眞子さまと小室圭
さんとのご結婚に反対されている~の情報も致し方ない。

そう思わざる得ませんね・・・

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おわりに

目に見えない中でもハッキリと家柄や家格と言う違いが存在していた昭和初期の時代に、自らが民間から皇族へ嫁ぐと言う壮絶な苦労の中、全うされた美智子様。その事によって、新たな皇室の歴史を作り、自らのご実家も繁栄させた美智子様、今眞子様の小室圭さんとのご結婚問題に、痛く心を痛めているとの報道に、今回の美智子様の出生やご実家を調べて、至極当然のご意見だろうと思わざるを得ない気持ちになりました。あれ程の実家から嫁がれた美智子様でも、壮絶な皇室、華族からのバッシングを浴びて今日があったと言われます。皇后の座を降りた今も眞子様のご結婚に心を痛めておられるのではないでしょうか。あまりにも想定外なお相手過ぎて・・・


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