西郷隆盛人たらしと言われた性格や最期まで苦しんだ病気が意外過ぎ

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江戸時代後期に薩長同盟を長州藩と結び
幕府に対抗した西郷隆盛。

東京に侵略し、西南戦争を起こした
人物としても知られています。

そんな西郷隆盛が、人たらしと言われる性格で
最後まで苦しんだ病気が意外すぎると驚いています。

2018大河ドラマ「西郷どん」がスタートしたばかりの
西郷隆盛について激動の時代を駆け抜けた過去の偉人の
意外な病気までご紹介したいと思います。




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目次

西郷隆盛プロフィール

名前    西郷隆盛(さいごう たかもり)
誕生日   1828年1月23日
死去日   1887年9月24日(49歳)
出身地   薩摩国(現在の鹿児島県)
所属組織  大日本帝国陸軍

西郷隆盛の人柄がたらしと言われた理由

西郷隆盛は強い信念を持っていて、度量が大きく
清貧であり淡白な人物
だったと有名ですが、実は
西郷隆盛は人たらしという性格も持ち合わせて
いたといわれています。

子供の頃から体格が良く地元のガキ大将のような存在
だった西郷隆盛は子供同士の喧嘩が行き過ぎ喧嘩相手
に後ろから右腕を切られ、それまで剣で身を立てる~と
言われていた彼は晩年まで右腕が使えない程の後遺症を
負い剣の道を断念します。

当時の世襲から剣の道を絶たれた彼は学問に光を見出して
懸命に勉学に励む中当時の藩主であった島津斉彬に認められ
下級武士から出世の道を切り開いたのです。

その島津斉彬に恩義を感じていた西郷は島津が急死した時も
殉職しようとしたり、その後尊王攘夷の月照が幕府から追及を
受けた時もあらゆる解決策を考えるも無理だと分かると月照と
一緒に海に身投げをしたといいます。

この時代にこのような恩義や義理の心情から2度自殺
試みた人物はそういません。

そして2度の島流しにあったのもこの時代に生きた幕末の志士の
中では非常に珍しい人物です。

彼の座右の銘は『敬天愛人』
天を敬って人を愛す~この名の通り自分を慕ってくれる人がいる限り
その人達の為に尽くし、それで死んでも本能~という意味だそうです。

根底からこの考え方があった西郷は様々な逆境も乗り越えて
薩長同盟を結び、戌辰戦争で活躍し徳川幕府を倒した後も
新政府で威張る事なくとても質素な暮らしをしたと言います。

当時参議:西郷隆盛として500円の高給取りでありながら
日本橋小網町の賃貸し3円に住まいを構え、大食いであった事
意外は何の贅沢もせず書生を含む生活費は15円だったとか。

そして残った金を大蔵省に返却まで申し出たと言われています。

結局これは認められず皇居の修理費用や書生らの学費に
使用されたそうです。

このような性格の西郷隆盛は女性にとっては
魅力的な男性で、女性からモテモテでした。

生涯の間で三度の結婚をして男女共に好かれた
と言われる西郷隆盛はとにかく弱気に優しく
とても朗らかな性格で知られた人物でした。

その女性絡みで、西郷隆盛のたらしの性格も
露わになったのではないかと言われています。

最後の戦いの場となった西南戦争でも近代装備を備える
新政府に勝ち目がない事は重々理解した上で(負け戦である事)

『わしの体はオマエ達に差し上げもんぞ』と言い
薩摩に集まった市民の為に戦ったと言われています。

最後の最後まで人の立場に立って物事を考え
そして自己を犠牲にしてもそれを全うした人
これが彼が男女共に最後まで好かれた人たらし
と言われる所以かもしれません。




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西郷隆盛は死んだ原因は?病気についても!

そして今回は西郷隆盛が意外にも最後まで苦しんだ
と言われる病気についてもご紹介します。

西郷隆盛は男性の大事な〇玉が大きくなる
病気を患っていたと言われています。

そもそも、〇球が大きくなるってどういうこと?

原因は、象皮症という後遺症のせいと
考えられています。

もともと、バンクロフト糸状虫などの寄生虫が
人間に寄生することによって、起こるフィラリア症と
呼ばれている病気の後遺症となります。

つまり、西郷隆盛はフィラリア症に感染しており
完治したが、後遺症として象皮症を発症し、〇玉が
大きくなってしまう病気(後遺症)を患っていました。

その病気の原因は、1862年の2度目の
島流しの際に、吹きさらしの牢獄に入れられてしまい
その牢獄は衛生的にも綺麗ではなく、それが原因で
発症したのではないかと言われています。

ちなみに、この病気は現在ではほぼ根絶されていることから
大丈夫みたいですが、当時はこのような症状に悩んだ人が
多かったみたいです。

西郷隆盛は、この後遺症に悩まされながらも
強く生きていました。

しかし、西南戦争をきっかけに西郷隆盛の人生も
ころりと変わってしまいました。

東京に侵略したことが原因で、政府軍に追い詰められ
西郷隆盛の従った将兵経ちも次々に打ち殺され銃弾を受けました。

西郷隆盛も、集中砲火を受けている中に飛び込み
流れ弾が肩と太ももに的中してしまいました。

そのとき、そばにいた仲間の別府晋介にここで

『晋どん、もうここらでよか』そう言って
西郷隆盛からお願いし
別府は西郷隆盛の首を切り落としました。

これが、西郷隆盛がこの世から去った死の原因です。

男らしいといえば男らしい死に方ですが、味方の
別府さんもどのようなお気持ちで西郷隆盛の首を切ったのでしょう?

その後幕府が彼の亡骸を探した時、既に首を切り落とされて
いた西郷隆盛の遺体発見の目安となったのが、長年患っい
晩年は巨大化していたという〇玉で西郷隆盛を発見したと
言われています。

現代ではおおよそ考えられない病気ではあるものの
ちょっと意外な病気を持ちながらも最後まで人に尽くして
全うした人生っだったと言えるでしょう~

まとめ

今回は西郷隆盛について紹介しました。
西郷隆盛の生きている時代を描いたNHK大河ドラマが2018年に放送されたことで話題になっているみたいですね。

それにしても、西郷隆盛が患っていた病気はびっくりです!
男性の皆様気をつけなければ・・・
ということで、NHK大河ドラマの西郷どんが注目を浴びていますのでそちらもチェックしてみてくださいね。




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