内海桂子若い頃の子供出産経緯と夫の馴れ初めが波乱万丈過ぎる!

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内海桂子アイキャッチー

戦前、僅か16歳で漫才の初舞台を踏んで以来
女芸人のパイオニアとして君臨しツイッター投稿でも
知られる内海桂子さん。

今日まで、現役最高齢芸人記録を更新し現役芸人と
しても弟子ナイツの師匠としても知られる。

彼女の若い頃から長年のコンビであった好江の
死去や子供誕生の秘話に現夫の成田常也との出会い
まで波乱万丈の1世紀に及ぶ生涯を追ってみよう~



目次

内海桂子プロフィール

名前 内海佳子 (本名:安藤 良子)
誕生日 1922年9月12日
出身地 東京都
血液型 A型
活動期間 1938〜

内海桂子の漫才師としての経歴

1938年、16歳の時に高砂屋とし松とコンビで
浅草橋館に漫才初出演し、その後1950年に弟子の
好江と組んだ漫才コンビ「内海桂子好江」
約半世紀にわたって人気を集めました。

このとき桂子さんは28歳、好江さんはまだ14歳でした。

好江
出典:http://www.jprime.jp/articles/-/10043?page=3

1958年第4回新人漫才コンクールで優勝してからは
数々の演芸賞をほしいままにしてきました。

しかし1997年に内海好江が胃がんで他界したために
活動の歴史に幕を下ろす事になってしまいます。

好江の没後は、1998年に漫才協団会長に就任。

また、2005年に漫才協団が社団法人漫才協会になり
同協会会長に就任。

漫才活動の他、映画・ドラマ・トーク番組・バラエティ
番組などに出演し、最近ではレポーター、講演会の講師
今村昌平監督の日本映画学校・演劇科講師を務めるなど
常に新境地を開拓し、現在各番組でコメンテーター
Twitter等活躍中で世間の注目を集めています。

内海桂子の波乱万丈過ぎな出会いと別れと出産と~

父親は深川の籐(とう)職人、母は本所の
理髪店の娘の駆け落ち先の銚子市にて誕生する。

両親が20歳の頃に駆け落ちして大正11年に
佳子が生まれます。

だが幼い頃に父親が蒸発し、その後は祖父の
家で暮らしていました。

母は新しい夫と一緒になるが借家の敷金20円が
払えず、それを見た桂子が小学校を3年で中退し
老舗の蕎麦屋に子守奉公になる事を自ら言い出します。

奉公先で頭にケガをさせられて2年足らずで
家に戻り、近所の鼻緒屋で仕事をしながら1か月に
3円稼ぎ、月謝に1円50銭、その半分を親に渡しながら
三味線と踊りを習い始めます。

ツイッター
出典:https://curazy.com/archives/159953

その後高砂家とし松と相方を組み、19歳で
とし松との間に長男を出産。

17年にとし松とのコンビを解消。

戦時中は「三桝家好子」の芸名で色々な相方と組んで
漫才の舞台をこなし、満州などの外地へも慰問に行きました。

戦後は、漫才以外にもキャバレーの女給から
団子売りまでなんでもして稼ぎました。

桂子さんは、もう1人父親のいない子どもを
産んでいます。

それは、次の相方との間にできた娘。

この相手とは5年ほどの夫婦生活の後、別れました。

現在、桂子さんには孫が6人、ひ孫は7人います。

流れるように親を助ける為、丁稚奉公に幼くも働きに
出て、漫才と出会い妻子ある男と地方を回り、そして
男と女であるが故男女の関係になり、子供を産んだ。

その繰り返しで2度の出産を経験している内海桂子
さんですが、それを、だからどうだとは振り返る余裕も
なかったと過去を振り返って発言しています。

それ程生きていくことに必死だった・・・

この二人の子供の父親との戸籍は入ってなかったそうです。



内海桂子と旦那の馴れ初めも波乱万丈!

現在の夫成田常也氏とは、内海さん64歳
成田さん40歳のときに初めて出会います。

2人の年齢差は24歳差の姉さん女房です。

半端じゃありません。

成田さんは8歳の頃から内海圭子・好江さんの
大ファンでした。

成田さんは日本航空系の大手に勤めており
日本から芸人を呼ぶ仕事を任され内海さんの
家の番号を調べて連絡を取りました。

アメリカでの公演は実現しなかったものの
内海さんに一目惚れした成田さんの手紙攻勢が
始まります。

1年間で300通。毎日のように、桂子さんの
家に成田さんの手紙が届きました。

「アメリカで暮らしましょう」
とプロポーズするものの、返事はノー。

ツイッター
出典:http://www.mag2.com/p/news/232353
本当凄い!94歳にしてこのツィート・・・

愛に溢れています。
カッコいい師匠って感じ・・・

ならば、自分が東京に住もうと長年勤めたアメリカの
優良企業のポストを捨てる覚悟を決めたのだ。

同居当初は「遺産狙いじゃないか」などと言われ
娘や息子の賛同は得られませんでしたが、次第に
その誠実ぶりが家族に認められていきました。

成田さんより5歳年上で結婚には反対だった
桂子さんの長男も、病床での最後の言葉が
「母を頼みます」だった。

夫
出典:http://www.jprime.jp/articles/-/10043?page=5

そして同居から15年が過ぎた’99年、2人は
島根県の出雲大社で結婚式を挙げました。

これが内海桂子の初めての結婚となっている。



まとめ

今回は内海桂子さんを紹介しました。
いや~出産も旦那さんとの出会いも波瀾万丈な人生を送っているな~と思いました。
あとジェネレーションギャップになるのか、最近の若い子のお金の単位で「銭」を使っても通じない単位が出てくるほど昔の話を紹介しているな~と自分で記事を作りながら感じました。
御年95歳という年齢でまだ芸能事務所に所属して活動されているみたいですし、もしかしたらどこかのテレビ番組で見かけることもあるかもしれませんね。
益々元気で100歳を目指して現代人に喝を入れるべく約1世紀を生きた生き証人としてお元気で活躍して欲しいですね。


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